File65 奢りと理由
いつも以上にざわついた空気が教室に満ちていた。
無理もない。
あんなハプニングは退屈な日常に花を添えるスパイスみたいなものだ。
あちこちで教師の目を盗んで回される手紙の内容は、見なくたってわかる。
嫌になるのはそれは何も生徒だけに限った話ではないということ。
表立っては静かにしろと叫んでいた教師たちも、休み時間ともなれば教師同士で原因究明という隠れ蓑を身にまとってハウリングの話題を口にしていた。
誰もが非日常に浮かれている。
そんな空気を残したまま、下校時刻がやってきた。
ゴチャつく気持ちを鞄と一緒に抱えたまま、僕が第二図書室に向かおうとすると、廊下に小林さちが待っていた。
「テンコ! 空野! 一生のお願い! 一緒に先生のとこ付いてきて!」
「お前なあ……」
「だって緊張して頭真っ白になっちゃうんだもん……! お願い!」
そこにひょこひょこと合流してきた星崎が開口一番小林を両断する。
「幸子甘えるな! そんな意気地無しにプレアデス星人は微笑まない」
「誰だよ……?」
「愛と平和の宇宙人……とされている」
「ううぅ……でもテンコの言う通りだよぉ……」
小林はそわそわと足踏みしていたが、やがて大きく息を吸ってから顔を上げた。
「行ってくる……!」
「幸子案ずるな。骨は拾ってやる」
「それは死ぬ前提で言うやつだよ……」
結局一人で職員室に向かって小走りで去って行った小林の背中を見送り、僕らは顔を見合わせた。
「どうする……? 別々に行くか?」
「もう二人でいるところを大勢に見られている。一緒に行こう」
こうして僕らは並んで放課後の廊下を歩き始めた。
部活生やダラダラと教室で管を巻く生徒達。
吹奏楽部のどこか寂し気な基礎練の音色。
長く伸びた僕らの影は、間に差し込む西陽ではっきりと分かたれて、決して交わることは無い。
意味もなくセンチメンタルな気持ちになった僕は、それを振り払うように口を開いた。
「あのさ……」
カサ……と鞄の中の封筒が音を立てた気がした。
「思ったんだけど、別に第二図書室じゃなくても、いいんじゃないか……?」
「他に行く場所がない。図書館までは距離がある。それに……お金も無い……」
僕はバクン……バクン……と音を立てる心臓を深呼吸で飲み込んでから、覚悟を決めて提案する。
「あのさ……! どっか飯食いに行かね? その、僕が……奢るから……」
「どういう風の吹き回し……?」
星崎は目を細めて僕を睨みながら尋ねた。
「べ、別に……腹減っただけだし……! 金はあるから、たまにはコンビニ弁当じゃないもの食べたいと思って……それで……」
どんどん細くなっていく言葉が消えないように、僕は最後の言葉を絞り出す。
「星崎も一緒に食べないかなって……」
いつの間にか俯いている自分が、我ながら情けない。
なんとかチラリと見上げると、星崎も顔を逸らして窓の外を眺めていた。
「あまり遅くならなければ……奢ってくれるのを断る理由がない……」
星崎も僕と同じように、モゴモゴと口ごもるようにつぶやいた。
夕日に照らされた星崎の横顔は綺麗なオレンジ色に染まっていて、その心の内を覗き見ることは出来なかった。




