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個人的趣味強め不思議系短編集

紋白蝶が消えた空

 昔の話だ。


 あの日、あなたが教室で先生に叱られて泣いた、という噂を聞いた。

(ああ、やっぱり)

 いつかこんなことになる気がしていた。

 この噂には尾ヒレがついている。あなたに不利な尾ヒレが。

 あなたはそんな子だった。私(おかしなことを言って嫌われて、クラスメイトから距離を取られてしまうような私)とは違って、人に尾ヒレをつけさせる、出る杭的な性質を持ち合わせていた。


ーーあいつ、泣いてたんだ。ザマァだな。


 誰かの声が私を掻き消した。

 


 どんな迷路も曲がる気のないあなたと、もはや空気みたいな私が、どうやって出会ったかは覚えていない。 

 二人にはただ、約束の場所があることだけ。

 それは群生する数珠玉の迷路の中で、子どもが3人程度集まれる場所があった。湿った地面に靴が汚れないよう、古いバスマットや謎の板が敷かれている。ここは少し年上の近所の子どもたちが作った秘密基地であり、その子たちがここで遊ぶことから卒業してしまって放置された空間だった。

 私がやってくるまで、蚊に刺されながら、あなたはじっと私を待っていた。

「なんの用?」

 しゃがみ込でいたあなたは期待外れのフリして私から目をそらす。 

 私は隣にしゃがんで、あなたの目の前に握りしめた両手を差し出した。

「見せたいものがあってね」

 握りこぶしをゆっくり開くと、その中から紋黄蝶が無数に生まれ、次々と飛び立つ。

 あなたは空を仰いだ。

「さすが、魔法使い」 

 手のひらから紋黄蝶がとめどなく空へと羽ばたいていった。

 私が幻影を操る魔法使いだとことを知っているのはあなただけだった。

 入学当初、自己紹介で自分は魔法使いだと言ったけれど、もちろん、誰も信じなかった。嘘つきが早々に確定したため、長い間友だちはできなかった。

「綺麗だね」

 怖がることもなく紋黄蝶を見上げるあなたの、その鼻筋と喉元の輪郭をなぞっている内に、何故かいたたまれなくなった。誰かに背中を押されているような焦燥感と、間近で見透かされているような圧迫感に冷や汗が滲む。あなた以外に誰もいやしないのに。

「金運上がるかなぁと思って」

 何も誤魔化すこともないのに、誤魔化すように笑う。

「なんで金運?」

 当然あなたは首を傾げた。

「黄色いチョウチョを見たあと、ポケットから百円が出てきたことがあるから」

 嘘だ。出任せだ。

 自分の胸が苦しいから、それをなんとかしたくて紋黄蝶を解き放っただけだ。

「そりゃ嬉しいけど」

 軽く受け流して、あなたは再び空を仰いだ。

 紋黄蝶は手のひらから生まれ続け、優しい黄色が空を覆い尽くしていく。あまりの数に、黄色は優しさを失って、もはや狂気じみている。

 それはあまりに異様。

「それでも。人は何も言わない。きっと」

 空が黄色く染まろうとも。

 私がため息を付くと、紋黄蝶は瞬く間に消えてしまった。

 代わりに秋の青空が現れ、全身に白い日差しが降り注ぐ。昨夜汚れた血液まで透き通っていくようだった。

「わたしのためのでしょ?」

 青に吸い込まれながら、あなたは言う。

「違うよ。私はそんな良いやつじゃない」

 自分の苦痛から逃れたいためにやったことだ。エゴだ。私はなんてつまらない魔法使いなのだろう。

「自分のための紋黄蝶」

 空は晴れて空高く青い。西から雲が近づいて、夕方頃から雨が降る予報だなんて信じられないほどに。

「きっと金運は上がったよ」

 あなたは無理やり笑った。

「コンビニでなにか買おうか」

 私は立ち上がり、手を差し伸べる。

「この無駄遣い野郎」

 あなたは手を取らず、一人で立ち上がった。

 あなたに無駄遣い野郎と言われようとも、私は少しも嫌じゃない。

 真っ直ぐなあなたが好きだから。

「じゃあ、もう少しここに居ようか」

 噂はどうせ、ほとんど嘘だ。

 ひどい嘘だ。

 それなのに、あなたの代わりに泣くことも怒ることもできない。

 今、空を見上げても、正しい青しかない。青は、あなたの正しさを叫ぶことができない私をなじる。私は私の無力を責めたてるほかない。

「謝ったら殴る」

 何かを察したあなたが言った。必死に目をこすり、涙を拭いながら。

「謝らない」

 あなたに謝るのは自分がかわいいからでしかない。自分を救うためでしかない。己が助かるためにあなたの顔を踏みつけていることと変わらない。

「でもーー」

「でも?」

「思い出して欲しい」

 ただ、それだけ。

「敵はどこにもいないとしても、寂しいときはあるから」

 そこまでいって、私は黙った。これ以上は言えない。唇からこぼれ損ねた言葉は、私の胸に刻まれる。


 だって、私はあなたの魔法使いだから。



 これは昔の話だ。


 数珠玉の群生地はもうない。約束の場所には戸建ての家が建ち、売りに出されている。

 大人になった私は会社員として働いている。だれにも魔法使いだと知られず、あなたの知らない遠い場所にいる。

 今、私は優しい魔法を探している。

 寂しいとき、あなたは思い出してくれるだろうか。

 紋黄蝶が空を覆い尽くしたこと。全て消えてしまったこと。

 ここに私がいたことを。


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