表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/13

サクサクひとくちチーズパイ

「チーズ味の、甘くないパイなんだよ」


 そう言って、赤ら顔の大柄な男性は、身振り手振りを交えながら、さらに詳しい説明を付け加える。


「こう、ひとくちサイズの四角い形でさ、酒のつまみにもピッタリだし、ちょっと小腹が空いた時なんかにも、ちょうど良くてね。あとほら、甘いものが苦手な人もいるだろう? そういう客を招いた時にも重宝(ちょうほう)したなぁ」


 興奮気味に語り続ける男性の話を遮って、見習い天使のフレデリカはこう尋ねた。


「それで、レシピはご存知なんですか?」


「いや、知らない。だからこうして、イメージがつかめるように詳しい話をしてるんじゃないか」


 再び話し始めようとする男性を、フレデリカが慌てて止める。


「それでしたら、もっと簡単な方法があるのでお任せください」


 そう言って、フレデリカは自分の指先を男性の額にあてた。


 やわらかな光が二人を包み、男性の記憶がフレデリカへと流れ込む。


 膨大な記憶の中からチーズパイに関する部分だけを抜き出し、味や食感からレシピを推測する。


「どうやら、奥様はパイ生地から手作りしていたみたいですね、マルコさん」


 男性に呼びかけると、フレデリカは頭の中でイメージした材料を次々と調理台の上に出現させていく。


 マルコと呼ばれた男性は、目の前の出来事に目を見張りながら

「こりゃ凄い。手品みたいだ」

 とフレデリカに賛辞の拍手を送った。


『ずいぶんと明るい(たましい)ね』

 と、フレデリカは心の中で思う。


 この店にやってくる人間の魂は、たいてい酷く動揺している。

 自分が死んだことを認められずに(わめ)き散らす者もいれば、泣き崩れて話もできない者や、(うら)(ごと)を延々と語り聞かせてくる者など、多種多様ではあるものの、一様(いちよう)に取り乱している者がほとんどだ。


 だからこそ、フレデリカはマルコの妙に明るい言動が気になってしまい、普段なら絶対に口にしないようなことを尋ねてしまった。


「あの……死んでしまって、悲しくないんですか?」


 マルコは一瞬きょとんとした顔をしたあと、苦笑いを浮かべてこう言った。


「そうだなぁ、悲しいというよりは……『これでリズを楽にしてやれる』っていう安心感の方が大きいかなぁ。あっ、リズっていうのは、俺の女房の名前なんだけどね」


「知ってます。さっき、記憶を覗かせていただいたので」


「だったら、分かるだろう? 寝たきりになった俺を、リズは(うと)ましく思っていたわけだからさ、あいつのお望み通り、サッサとくたばることができて良かったよ。……まぁ、息子のことは気がかりだけどね」


「息子さん、まだ小さいですものね」


「トトは六歳になったばかりだから、まだまだ手もかかるし……。それに、しばらくの間はこれまでの蓄えで暮らせるだろうけど、その後は大変だろうな……」


 話しながら、先ほどまでの明るさが嘘のように、マルコは暗く沈んだ面持(おもも)ちになる。


「こんなに早く死んじゃって、悪かったなぁ……」


 後悔という名の()のオーラが、マルコの魂を包む。


 その時、フレデリカの店の片隅から(まばゆ)い光が放たれて、店内を明るく照らし出した。


「あらあら、ずいぶんドス黒いオーラを放っている魂がいるわね。私の出番かしら?」


 弾けるような笑顔と共に姿を現したのは、フレデリカの師である天使のマチルダだ。


「呼んだ覚えはないわ。帰ってちょうだい」


 冷たく突き放すフレデリカの言葉を右から左へ受け流し、マチルダはマルコの額にそっと指先をあてて記憶を読み取った。


「あなた、妻子よりも先に死んだことを後悔しているみたいだけど、全然気にしなくて大丈夫よ。リズと息子さんは、あなたがいなくなったおかげで、とっても幸せになれるから」


 眉をひそめるマルコに向かって、マチルダは笑顔で話を続ける。


「だって生前のあなたは、かなり酷い夫だったもの。覚えてる? あなたは悪阻(つわり)で苦しんでいるリズに向かって、『飯も作らずゴロゴロしてるだけなんて、いいご身分だな』って言い放ったのよ」


「それは、本当にリズが一日中寝ているだけだったから……」

 マルコが反論すると

「起き上がれないほど体調が悪いから横になってたのよ。怠けていたわけじゃないわ」

 マチルダはピシャリと返して話を続けた。


「それから、些細(ささい)なことで喧嘩になるたびに、『ここは俺の家だ! 稼ぎのない奴は出て行け!』って怒鳴りつけて、リズを家から追い出してたわよね。お腹の大きな妊婦を真冬の寒空の下へ放り出すなんて、普通の人間にはなかなか出来ることじゃないわ」


 皮肉たっぷりに言われたマルコは、怒りに顔を歪めながら

「リズが口うるさいことばかり言うから悪いんだよ! あいつが細かいことをグチグチ言ってこなきゃ、俺だってあんな態度はとらなかった!」

 と吐き捨てるように言ったが、マチルダは

「親に叱られた子供みたいな言いぐさね」

 と一笑(いっしょう)()す。


「まだまだあるわよ。あなたのご両親を外食に連れて行く予定の日に、高熱を出してたリズに対して、『なんでこんな日に熱を出すんだ! 台無しにしやがって!』って怒ったでしょう? それから、産後の言動(げんどう)も酷かったわね。あなたのご両親が、赤ちゃんのお披露目(ひろめ)パーティーをするって言い出した時、リズは『赤ちゃんのお世話で寝不足だし体調もボロボロだから今は無理。もう少し落ち着いてからにしてほしい』と泣いて頼んだのに、『どうして一日くらい頑張れないんだ! せっかくみんながお祝いしてくれるのに!』って怒鳴りつけて、無理矢理パーティーを開いたのよね。ご両親やあなたは大満足だったみたいだけど……。さて、あの時のリズは一体どんな気持ちだったのかしら」


 話が長くなりそうだったので、フレデリカはパイ生地を作り始めることにした。


 よく冷えたバターをサイコロ状にカットしてボウルに入れ、半々にした強力粉と薄力粉をふるい入れる。

 氷水にあてながら切るように混ぜ、バターが粒状になったら、冷水を少しずつ加えながらさらに混ぜ合わせる。


 その間にも、マチルダの口撃(こうげき)は止まらない。


「あなたはリズと喧嘩するたびに彼女を悪者にして、両親や友人たちに悪い噂を吹聴(ふいちょう)して回った。その上、息子の(しつけ)にも非協力的で甘やかしてばかり。リズが息子を叱ると『お前は厳し過ぎる』と言って(かば)うものだから、トラブルの()えない悪ガキに育っちゃったのよね」


 息子を(けな)されたマルコは、顔を真っ赤にして抗議した。


「トトを悪く言うな!」


「悪くなんて言ってないわ。事実を述べただけよ」


 言い争う二人を横目に、フレデリカはパイ生地をひとまとめにしてから半分に切り、重ねて押す、という作業を何度か繰り返した。

 それから生地を綿棒で縦横に伸ばし、三つ折りにしてから冷蔵庫に入れる。


 マチルダの話は、まだ続いていた。


「あなたが(やまい)に倒れて寝たきりになった時、リズは冷たかったでしょう? 温かい言葉一つ、あなたにかけることはなかった。でも、三度の食事は欠かさなかったし、いつも清潔な衣服を用意して体を綺麗に拭き、排泄の世話までしてくれていたわよね。どうしてだと思う?」


 マチルダの問いかけに、マルコは黙り込む。

 たぶん、どうしてなのかが分からなかったのだろう。

 でもそれは、フレデリカも同じだった。



 なぜ、自分に酷い仕打ちをした相手を、リズは見捨てなかったのだろう。

 復讐をする絶好の機会が訪れたのに、どうして仕返しをせずに世話をし続けたのだろう。



「黙ってないで、何か言いなさいよ」


 ゾッとするようなマチルダの冷たい声に、マルコは口をパクパクさせるばかりだ。


「分からないみたいだから教えてあげる。リズはね、あなたみたいに思いやりのない人間とは、決して同類になりたくなかったのよ。だから復讐に手を染めなかった。だって、もしも仕返しをしてしまったら、自分まで(くず)の仲間入りをしてしまうじゃない。それだけは絶対に嫌だったのよ」


 唇の端を吊り上げて笑うマチルダの表情は、天使どころか悪魔そのものだ。


「寝たきりになったあなたの世話を投げ出さなかったのは、リズのプライドよ。馬鹿げた意地だと言う人もいるかもしれないわね。でも、私はそうは思わない。どのような状況に置かれても誇りを失わず、自分の信念に恥じない生き方をする。私はそういう人間がとても好きだし、そういう人間にこそ幸福になってもらいたいと願ってる」


 そう言ってマチルダはとびきりの笑顔をマルコに向けると

「だからリズと息子さんのことは何も心配せずに、さっさと消え()せてちょうだいね。それじゃ、チーズパイが焼き上がった頃にまた来るわ」

 と言い残して姿を消した。



 フレデリカは、休ませていた生地を冷蔵庫から取り出し、作業台の上に打ち粉を振って生地を伸ばし始めた。


 三つ折りにして伸ばす作業を何度か繰り返してから、再び冷蔵庫に入れて生地を休ませる。


 それから、ぼんやりとした目でカウンターテーブルの木目を眺めているマルコに、コーヒーを()れて差し出した。


「あ……どうも」


 マルコはカップを受け取って口をつけると、褐色の液体をゆっくりと喉に流し込んだ。


「結婚する前は、上手くいってたんだ」


 マルコがポツリと呟く。


「リズと一緒にいると楽しかったし、心が安らいだ。でも……夫婦になって、子供が産まれて、だんだんお互いの嫌なところばかり目につくようになって……リズが俺を疎ましく思っていたように、気づいたら俺も、リズのことが嫌で嫌でたまらなくなってた。どうして、こうなっちゃったんだろうなぁ」


 黙って話に耳を傾けているフレデリカに、マルコは問いかけた。


「俺はリズが悪いと思ってたけど、さっきの話だと俺の方が悪者みたいに聞こえるし……。なぁ、あんたはどう思う?」


 フレデリカは少し考えてから、こう答えた。


「どちらが悪いというよりは、相性が悪かったんだと思います」


「相性?」


「はい。でも相性がぴったりの相手に巡り会えることなんて、なかなか無いでしょうから……皆さんきっと、相手に合わせたり合わせてもらったりしながら、より良い関係を築こうと努力しているんでしょうね」


「……努力したいと思える相手じゃなくなった時点で、別れれば良かったのかな……」


「それも一つの選択肢だと思います」


 そこで話を打ち切ると、フレデリカは冷蔵庫から生地を取り出して薄く伸ばし、ナイフで一口サイズにカットしていく。


「パイ生地を作るのって、こんなに手間暇(てまひま)がかかるんだな。知らなかったよ」


 マルコの言葉に(うなず)きながら、フレデリカは生地の表面に牛乳を塗り、粉チーズを振りかけた。

 それからパイ生地を天板に並べてオーブンに入れ、こんがりと焼き上げていく。



 すっかり冷めたコーヒーをマルコが飲み干した頃、チーズパイが焼き上がった。


「さぁどうぞ、召し上がれ」


 フレデリカは、新しく淹れ直したコーヒーと共に、皿に盛ったチーズパイをマルコに差し出す。


「ありがとう。いただくよ」


 サクサクと(かす)かな音を立てながら、ひとくちサイズのチーズパイが次々とマルコの口の中へと消えていく。


「懐かしいな……。幸せだった頃の味がする」


 マルコの頬を、一筋(ひとすじ)の涙が伝う。


 彼の体は徐々に透き通り、やがて光に包まれて見えなくなった。



 フレデリカが空になった皿を見つめていると、マチルダが戻ってきた。


「あらやだ! 全部食べちゃったの?!」


 忌々(いまいま)しそうに空っぽの皿を睨みつけながら声を荒げるマチルダに、フレデリカは呆れた声で返す。


「マルコさんのために作ったんだから、全部食べたって構わないでしょう?」


「私も食べたかったのに!」

 マチルダは悔しそうな顔をしつつも、すぐに気持ちを切り替えた様子で

「まぁいっか。リズが作ったチーズパイを食べてきたばかりだし」

 と言った。


「リズのところへ行ってきたの?」

 フレデリカが驚いて尋ねる。


「そうよ。リズったら、埋葬の手続きやなんかで忙しいはずなのに、なぜか大量のチーズパイを焼いていたのよ。リズと息子だけじゃ食べきれないくらいの量だったから、こっそり何個かもらって食べちゃった」


 マチルダの返事に、フレデリカは首をかしげる。


「どうして、リズはチーズパイをそんなにたくさん焼いたのかしら……」


 一番たくさん食べるであろうマルコは、もう死んでしまったのに。


「どうしてかしらね。人間の考えることは、時々よく分からないわ」


 マチルダはそう言うと、ふいっと姿を消してどこかへ行ってしまった。



 リズの焼いたチーズパイには、どんな気持ちが込められていたのだろう。


 わずかに残った、マルコへの愛情だろうか。

 それとも、これまで受けた仕打ちを許せずに、冷たい態度を取ってしまったことへの懺悔?

 まさか、さっさと死んでくれたことへの感謝だったりして……。



 フレデリカはいろいろと考えてみたが、これだと思うような答えは見つからなかった。



 人間界で修行を続けていたら、いつか複雑な人間の気持ちを理解できる日がくるのかしら。



 フレデリカはそんなことを思いながら、汚れた皿や調理道具をスポンジでゴシゴシと洗った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ