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天空の庭

 晩餐会(ばんさんかい)当日、店まで迎えに来てくれたニーナは、フレデリカの異様な姿を目にして悲鳴を上げた。


「どうしてそんな姿に……いったい何があったの?」


 震え声で尋ねるニーナに、フレデリカは落ち着き払って答える。


「私、天使としての役割を終えたらしいの。だから、もうすぐ消滅するみたい。今日がその期日だって言われたわ」


 ぼやけた輪郭(りんかく)だけを残し、全身が透き通った姿へと変貌(へんぼう)したフレデリカは、今にも消え入りそうな様子で(たたず)んでいる。


「そんな……」


 と言ったきり、ニーナは二の句が()げずにいる。

 フレデリカは、ニーナから預かった招待状を差し出しながら口を開いた。


「あなたから預かった招待状を、マチルダとルカに渡せなかったの……本当にごめんなさい。あと……こんな姿で晩餐会へ行くわけにはいかないから、謝罪の言葉と欠席する(むね)をカレンに伝えてもらいたいんだけど……お願いできるかしら?」


 ニーナは、気持ちを落ち着けるように深呼吸を何度かした後、フレデリカの透き通った腕を(つか)みながら、こう宣言した。


「消滅なんか、絶対にさせない。今日の晩餐会には、大天使様もいらっしゃるのよ! ほら、前に話したことがあるでしょう? 私が人間だった頃に探し当てた、いかめしい顔つきの天使様。あの方、今は大天使様なんですって! だから私、大天使様に『フレデリカを助けてください』ってお願いしてみるわ。慈悲深い方だもの。きっと力を貸してくれるはずよ。さあ、行きましょう」


 次の瞬間、まばゆい光に包まれて、フレデリカは目を閉じた。





「着いたわ、フレデリカ」


 ニーナに呼びかけられて目を開けると、フレデリカは美しい緑と花々に囲まれた場所に立っていた。


「ここは……?」


「天空の庭よ。テーブルのある場所まで案内するわね」


 ニーナに手を引かれて緑のトンネルをくぐり抜けると、いっきに視界が開けた。


 花の絨毯(じゅうたん)の上には大きな丸いテーブルが置かれ、グラスやカトラリーが()の光を弾きながらきらめいている。


 すでにカレンとマチルダ、それから(いか)めしい顔をした(たくま)しい体つきの天使が席に着いており、ルカの姿はない。


「もう大天使様もいらっしゃってるわ。急ぎましょう」


 ニーナの声に焦りがにじむ。


「マチルダとカレンの間に座っている方が大天使様なの?」


 フレデリカの質問に、ニーナが頷く。


 フレデリカの姿に気付いたマチルダが立ち上がろうとすると、大天使は片手で制した。


「フレデリカが席に着くのを待ちなさい」


 有無を言わせぬ、力強い声だった。


「分かりました」


 マチルダは不満そうな顔で返事をすると、自分の隣にある椅子を引いて、座るよう目線でフレデリカに(うなが)す。


 フレデリカがマチルダの引いてくれた椅子に腰掛けると、ニーナはカレンの隣の席へ着いた。

 フレデリカとニーナの間には、椅子が一つ残されている。そこへ座るはずのルカは、まだ姿を見せない。



 どうしよう、私のせいだわ。



 フレデリカは、ニーナから預かった招待状を握りしめたままだったことに気付き、それをテーブルの上に載せると謝罪の言葉を口にした。


「ごめんなさい。私からマチルダとルカへ招待状を渡すと言っておきながら、届けることができなくて……ルカがこの場に居ないのは、私のせいなんです。申し訳ありません」


 すると、背後からルカの声がした。


「僕なら、ここにいるけど」


 フレデリカが振り返ると、不機嫌そうな顔をしたルカが立っており

「フレデリカとニーナに挟まれた席に座らされるなんて、最悪だ」

 と言いながら、ドサリと椅子に腰掛ける。


「文句があるなら、一人で先に帰りなさい」

 マチルダはルカに冷たく言い放つと、フレデリカの方を向いて話し出した。


「ニーナが寄り道するんじゃないかと心配だったから、ルカにもフレデリカを迎えに行くよう言いつけたの。どうやら入れ違いになっちゃったみたいだけど。あと、招待状のことは気にしなくて大丈夫よ。カレンのところへ顔を出した時に晩餐会の話を聞いて、招待状が届いていないことを伝えたら、ニーナが真っ青な顔して全部白状したから」


 マチルダが険しい目でニーナを見ると、ニーナはか細い声で

「私が頼まれたお使いを押し付けてしまってごめんなさい」

 とフレデリカに謝る。


「押し付けられてなんかいないわ。私の方から『渡しておくわね』って申し出たんだから。私の方こそ、約束を守れなくてごめんなさいね」


 フレデリカとニーナの謝罪合戦は、ルカの苛立った声によって遮られた。


「そんな話、どうでもいいよ。それより、今日はフレデリカがマチルダの後を継ぐのかどうか、返事をする日なんだろ? 早く答えを聞かせろよ。もしフレデリカが後継者になるって言うなら、僕は今すぐにマチルダとの師弟関係を解消して他をあたるから」


 ルカが話し終えるやいなや、大天使はルカのいる方向へ息を吹きかけた。

 目に見えない何かが物凄い速さで空中を駆け抜け、ルカを吹き飛ばす。

 椅子から転げ落ちたルカは花びらの絨毯に倒れ込み、微動だにしない。


「ルカ!」


 声を上げて立ち上がろうとするフレデリカの腕を、マチルダが掴む。


「大丈夫よ。黙らせるために気絶させただけだから。私も昔、よくやられたわ。あの大天使は、私とカレンの師匠だったのよ」


 思いがけない話にフレデリカが目を(またた)いていると、カレンから声をかけられた。


「それで、フレデリカはどうするか決めたの?」


 フレデリカが返事をするより先に、ニーナが口を開く。


「あのっ……えぇと、その……お願いです。フレデリカを助けて下さい。長年の間、死者の魂と真摯(しんし)に向き合い、寄り添ってきたフレデリカが消滅してしまうなんて、そんなの……そんなのって(ひど)過ぎます。どうにかして、助けてもらえませんか? もし私が身代わりになることでフレデリカを救えるなら、それでも構いませんから」


 ニーナが口にした最後の言葉を、フレデリカはすぐさま打ち消す。


「何を言い出すの? ニーナが身代わりになるなんて、そんなの絶対にダメよ。そんなことをしてもらっても、私は少しも嬉しくない。誰かを犠牲にして存在し続けるくらいなら、今すぐに消え去ってしまった方がずっといい。さっきのようなことは、二度と言わないでちょうだい」


 言いながら、気付く。

 フレデリカ自身も、過去に同じことをしたのだと。

 自らの命と引き換えに被害者を救済してくれと願い、残された家族や友人達がどんな気持ちになるかということなど考えもせずに、命を差し出した。

 そして結局、自分に出来たことといえば、魂を天上へ送る前に最後の一皿を提供して、ひと時の安らぎと満足感を与えることだけ。

 後遺症に苦しみながらも生き抜いて、同じ苦しみを味わう者のために尽力したあの老人の方が、どれほど多くの人を救っただろう。

 生きるべきだった。

 生きて、一人の人間として、被害者の救済に力を尽くすべきだった。


 フレデリカの頬を、熱い涙が(つた)う。


「私は、マチルダの後継者にはなりません。いかなる事情があろうとも、他者の命を奪ってもいいという理由にはならない。私は、そう思うからです。この考えは、この言葉は、誰かの心を著し(いちじる)く傷つけるかもしれません。復讐を()とする誰かの気持ちを踏みにじり、怒りを呼び起こすかもしれません。それでも私は、マチルダのようなやり方で生きている人間から寿命を奪い取ることには、どうしても賛成できない。どうしても、出来ないんです」


 (かす)れ声で、フレデリカは言葉を続けた。


「私は、人間だった頃に罪を犯しました。そして、その(つぐな)いとして被害者の魂を救いたいと、(みずか)らの命を差し出しました。でも今は、その行為が間違いであったと思っています。私は、生きるべきだった。生き抜いて、罪を償うべきだった。たとえ許されることなく生涯を終えるとしても。私は生きて、人として、償い続けるべきだった。けれども私は逃げました。果たすべき義務を(ないがし)ろにして、全ての責務を放り出して、人生を終えたのです。だから私は今、どんな罰でも受ける覚悟でいます」


 静まり返った場に、ふわりと暖かな風が吹き抜けた。

 花びらの絨毯が宙に舞い、フレデリカ達の頭上から降りそそぐ。

 そして、大天使の(おごそ)かな声が周囲に響き渡った。


「では人として、生き直すがいい。最後の晩餐会は中止だ。天使としてのフレデリカは今ここで消滅し、人として新たな生を受けることとなる」


 そう言って、フレデリカの方へ歩み寄ろうとする大天使の前に、マチルダが立ちはだかる。


「冗談じゃないわ。フレデリカを人間になんて、絶対にさせない。天使になった人間の魂は、天上に昇ることも他の魂と混じり合うことも出来ない。フレデリカのように自責の念が強く、自己犠牲的な核を持つ魂は、生まれ変わってもきっとまた困難な道を歩むことになる。(いばら)の道を進むと分かっていながら送り出すなんて、そんなこと出来るわけないでしょう!」


 大天使は、睨みつけてくるマチルダを一瞥(いちべつ)すると、手のひらを頭上に掲げて光を集めた。

 ひときわ明るい光が放たれたあと、手のひらの上には布袋が出現し、大天使はそれをテーブルに載せると、マチルダに向かってこう言った。


「フレデリカには、この布袋に入った聖なるコインを(さず)ける。これがあれば、ふりかかる災厄をわずかに抑えることができるからな」


「わずかに抑えるくらいじゃ足りないわ! もっと効果のある加護(かご)を授けてちょうだい!」


 マチルダの要求に、大天使は眉間に刻まれた(しわ)の溝を深める。


「そんなに心配ならば、(みずか)ら手助けしてやればいい。そういえば以前にも、そんなことがあったな……あれは(なん)という名の見習い天使だったか……。あの時も、人間に生まれ変わった後のことが気になると言って、追いかけて行っただろう? フレデリカのことも同じように、そばで見守ってやればいい」


「あんな面倒なこと、二度とやりたくないわ! 天使の力は使えないし、協力者を見つけ出すのも骨が折れるし、だいたい一人の人間を生まれてから死ぬまで見守り続けるなんて、時間と手間がかかり過ぎるのよ! 私は最小限の労力で最大限の成果を手に入れたいの!」


 わめき散らすマチルダに向かって、大天使が片手をかざす。


「たかだか百年程度の(まわ)り道だ。生まれ変わったフレデリカの生涯を見届けたら、お前のことは再び天上へ呼び戻してやるから安心しろ。それから、今回は特別に助手もつけてやろう」


 そう言って大天使は、もう片方の手を地面に倒れたままのルカへと向けた。

 マチルダが顔をひきつらせて叫ぶ。


「ふざけないで! ルカの面倒まで見なくちゃいけないなんて、絶対に嫌よ!」


 抗議の言葉も虚しく、マチルダとルカの姿は光に包まれて消え去った。


「フレデリカ」


 予期せぬ展開に呆然としていたフレデリカは、名前を呼ばれて我に返り、大天使の方へと顔を向ける。


 そして大天使と目が合った瞬間、フレデリカの視界は光に覆われて、何も見えなくなった。

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