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思い出のクラムチャウダー

「おめでとうフレデリカ。リニューアルした瓶詰(びんづ)め離乳食の売れ行きが好調なんだってね」


 父の第二秘書を担当しているクリスから声をかけられて、フレデリカは笑顔を見せた。

 クリスとは子供の頃から家族ぐるみで付き合いがあり、気心の知れた間柄だ。


「ありがとう。チームの努力が結果に繋がって、私もとても嬉しいわ」


「新製品の開発には、君のアイディアが大きく貢献したって聞いたよ」


「大げさね、そんなことないわ。私の力なんて微々たるものよ」


 謙遜ではなく、本音だった。

 そもそも、研究開発チームのメンバーに抜擢されたのだって、フレデリカの父親が多額の出資をしてくれたからだ。

 そうでなければ、何の実績もないフレデリカをチームの一員に加えようと考える者など、いるはずがない。


 表向きは丁重に扱われながらも、裏では毎日のように陰口を叩かれる日々。そんな居心地の悪い環境ではあったが、一人だけフレデリカの味方をしてくれる人物がいた。


 研究開発チームのリーダーを務める、ロイドだ。

 初老に差し掛かる年齢ながら、彼の知的好奇心は衰えることを知らず、次々と新しいアイディアを思いついては実験に取り組み、失敗と挑戦を重ね、最終的には成果を上げる。


 そんな彼は、チーム内のカリスマだった。誰もがロイドのようになりたいと願い、けれども彼のようにはなれず。

 周囲から羨望と嫉妬の入り混じった視線を浴びせかけられながらも、当の本人はどこ吹く風といった様子で意にも介さない。


 そんなロイドに、フレデリカが心惹かれるのは時間の問題だった。

 だが、親子以上に歳の離れた相手への恋心を告げるつもりなど一切なく、ただひっそりと大切に心の奥底へと想いを閉じ込め、フレデリカは仕事に情熱を注いだ。

 そうして日々は、穏やかに過ぎ去っていくはずだった。


 あの日までは。




「フレデリカ様、本日よりしばらくの間は、外出をお控え下さい」


 朝早く起こされた上に、突然わけのわからないことを使用人から告げられて、普段は滅多に怒ることなどないフレデリカも、さすがにムッとした。


「いきなり何を言うの? きちんと順を追って説明してもらわないと分からないわ。なぜ、今日から外出してはいけないの?」


 使用人のケネスは、答えを言い淀む。

 彼は長年この屋敷で働いており、今までに一度だってこのように口ごもることなど無かった。


「……どうしたの? そんなに言いにくいこと?」


 フレデリカは、急に不安になった。

 いったい何があったのだろう。


「大変申し上げにくいことなのですが……フレデリカ様も開発に(たずさ)わった新製品が、世間を騒がせているようです」


「具体的には?」


「詳細につきましては、(のち)ほどクリス様がご説明にいらっしゃると伺っております」


 ケネスを下がらせた後、フレデリカは身支度を整えてクリスの来訪を待った。



 昼過ぎに屋敷へやって来たクリスは、疲労困憊といった様子ではあったが、現状を分かりやすく丁寧に説明してくれた。


「製品を口にした赤ん坊が次々と病院へ運ばれ、治療を受けている。調査の結果、新製品の離乳食から毒物が検出された」


「そんな、まさか……。工場からの出荷後に、どこかで毒物が混入されたということ?」


「いや。毒物を含む化合物が、最初から入っていたそうだ。新製品の添加物としてね」


「その添加物って……」


 尋ねながら、フレデリカの手には汗が滲む。


 クリスが、ためらいがちに添加物の名称を口にする。


 その添加物は、腐敗を防ぎ保存性を高めるために使用された化合物で、フレデリカの提案がきっかけとなって製品に添加されたものだ。


 フレデリカは両手で顔を覆いながら、必死に考えを巡らせる。



 あの化合物は、無害のはずだ。

 製品化する前に何度も試験を重ねたし、その度に安全性は確認できていた。

 それなのに、どうして。



 クリスが、いたわるような声で話を続ける。


「原因とされる化合物は、本来であれば無害だ。試験段階で使用された、純度の高いものをそのまま使用していれば、何の問題もなかった。だが製品化に伴い、安価で純度の劣るものに切り替えられてしまったんだ。その中には、食用に適さない工業用の粗悪な化合物も紛れ込んでいて、今回のような事態につながってしまった」


 フレデリカは、言葉もなく項垂(うなだ)れている。


「フレデリカ、これは不運が重なった末の事故のようなものだ。君が責任を感じる必要はない」


 クリスの発言に、フレデリカは思わず声を荒げた。


「事故のようなもの? そんな言葉で、被害者が納得できるわけないでしょう!」


 言ってから、すぐに後悔した。


「ごめんなさい、クリス。あなたは何も悪くないのに、酷い八つ当たりをしてしまったわ。本当にごめんなさい」


「いや、僕も無神経だったよ。ただ、これだけは言っておく。この先、何が起こったとしても君のせいじゃない。これだけは確かだ。いいね、このことだけは絶対に忘れないでくれ」


 クリスの言葉に、フレデリカは黙って頷くことしか出来なかった。



 その後、被害者の数は増加の一途を辿り、死者も出た。被害を受けた赤ん坊の多くに後遺症が残り、原因となる製品を与えてしまった親達は皆、自責の念に(さいな)まれ、心を病んでしまう者もいた。


 フレデリカ自身も、精神的にかなり参っていた。

 そして追い打ちをかけるように、ロイドの訃報(ふほう)が飛び込んできた。


『全ての責任は、自分にある』


 そう書き(のこ)して、自ら命を()ったのだ。


 ロイドの死を知ったフレデリカの精神は、音を立てて崩壊した。



 死のう。

 私もロイドの元へ行こう。

 だが、その前にやるべきことがある。



 その日から、フレデリカは『命と引き換えに願いを叶えてくれる』という天使を探し求めた。


 そしてようやく見つけ出した天使に、こう願った。


「私の命と引き換えに、不幸に見舞われた人々を救って下さい」


 だが、その天使はフレデリカの願いを鼻で笑い飛ばし、追い返そうとした。


「あなた、ずいぶん自分のことを責めてるみたいだけど、その必要は無いんじゃない? 私に言わせれば、あなたには何の落ち度もない。だから、死ぬ必要もない」


「でも、全ての始まりは私の提案がきっかけです。そのせいで、たくさんの人を不幸にしてしまいました」


「そんなこと言い出したらキリがないわ。きっかけを作った人間まで悪だというなら、この世は罪人だらけになってしまう。それでも『自分が許せない』と思うんなら、勝手に死ねば? わざわざ私の手を(わずら)わせないでちょうだい」


 天使から突き放すような言葉を向けられても、フレデリカは諦めなかった。


「それじゃダメだから、あなたに頼んでるんです。ただ単に命を絶つだけでは、誰も救われない。私は罪から逃れるために死にたいんじゃない。命と引き換えに、できる限り多くの人を救いたいんです」


 必死に訴えるフレデリカの瞳を、天使はじっと見つめながらこう言った。


「ふーん。あなた、変わってるわね。気に入ったわ、協力してあげる。ただし、その救済とやらは自分でやってね」


 そこで、人間だった頃の記憶は途切れていた。





「フレデリカ、大丈夫?」


 気が付くと、フレデリカはカウンター席に座らされており、目の前には心配そうにこちらを見ているマチルダの顔があった。


「私が見つけ出した天使は、マチルダだったのね……」


 (つぶや)くフレデリカの姿を、マチルダの温かな眼差(まなざ)しが包む。


「そうよ。あの頃からずっと、フレデリカのことを見守ってきた。ねぇ、覚えてる? あなたが初めて作った料理、酷かったわよねぇ。味は薄いし、材料に火は通ってないしで、死者の魂からも『こんなんじゃ満足出来ない』って言われて作り直しさせられて……」


 そう言って、マチルダは笑い出した。


「だって、それまで料理なんてしたことなかったんですもの!」


 フレデリカが言い返すと、マチルダは不思議そうに首を傾げる。


「それなのに、どうして死者の魂のために最後の一皿を作ろうなんて思ったの?」


「それは……マチルダの元で修行していた時に、ここを訪れる人間達がみんな、とても幸せそうな顔をしてマチルダの作るスープを飲んでいたから……」


 フレデリカの言葉に、マチルダがパッと顔を輝かせる。


「そうなの? つまりフレデリカは、私に憧れて真似(まね)をしているってこと? この子ったら、なんて可愛いのかしら!」


 感極まって頬ずりしてくるマチルダを押し戻しながら、フレデリカは否定の言葉を放つ。


「勘違いしないで! 私が素敵だなと思ったのは、マチルダそのものじゃなくて“美味しい食事を提供することで、最後のひと時を最高のものにする”っていう、その部分だけよ。だから別に、あなたに対して憧れの気持ちがあるわけじゃない」


「あらそう、残念だわ」


 そう言いながらも、マチルダの目は笑っている。

 そして、こんなリクエストをしてきた。


「ねぇ、久しぶりにあのスープを作ってよ」


「あのスープって?」


「とぼけないでよ、本当は分かってるんでしょう? あなたが一番最初に作って、死者の魂から酷評された、あの思い出のスープよ。今ならきっと、あの頃よりもずっと上手に作れるんじゃない?」


 フレデリカが黙っていると、マチルダはカウンターの上に手をかざして、次々と食材を出現させた。


 玉ねぎ・ジャガイモ・セロリにバター。小麦粉、牛乳、白ワイン、それから砂抜きをした二枚貝。


 これらは全て「クラムチャウダー」と呼ばれる、牛乳をベースとした白いクリームスープの材料だ。



「私も手伝うから、一緒に作りましょう」


 そう言われて、フレデリカはため息をつきながら了承する。


「マチルダは言い出したら聞かないものね。いいわよ、作ってあげる。その代わり、後片付けまでちゃんとしていってね」


「そういえば、どうしていつも天使の力を使って片付けないの? 最後の一皿だって、わざわざ作らずに完成品を出せば済むのに」


 マチルダが尋ねると、フレデリカは玉ねぎの皮を剥きながら答えた。


「私……昔から、労力をかけずに得られる成果に対しては、あまり喜びを感じられないタイプなの」


「ふーん、損な性格ね。私なんか、どうやって楽しようって、そればっかり考えてるわ。自分にも相手にも、完璧なんて一切(いっさい)求めない。気楽に、それなりの結果が得られれば万々歳(ばんばんざい)よ」


「……マチルダと私は、とことん考え方が違うみたいね」


「だから面白いんじゃない。違うからこそ興味が尽きないわけだし、もっと相手のことを知りたくなるものでしょう?」


「私は別に、マチルダのことをこれ以上深く知りたいとは思わないけど」


「またまたぁ。そんなこと言って、本当は知りたいくせに! フレデリカって、いつまで経っても素直に気持ちを表現できるようにならないわね」


 これ以上否定しても、無駄だろう。

 そう判断したフレデリカは、クラムチャウダー作りに専念することにした。



 砂抜きをした二枚貝を水洗いして鍋に入れ、水と白ワインを加えて蓋をする。火にかけて殻が開いたら中身を取り出し、茹で汁は漉してとっておく。


「野菜を(さい)の目に切っておいたわよ」


「ありがとう」


 ザルに入った野菜をマチルダから受け取り、バターで軽く炒めた後、小麦粉を加えて粉っぽさがなくなるまでさらに炒める。

 そこへ、とっておいた貝の茹で汁と牛乳を加えて、アクを取りながら煮込む。


 じゃがいもが柔らかくなり、スープがなめらかなクリーム状になったら、殻から取り出した貝の剥き身を鍋に戻し、塩で味を調(ととの)える。


 スープ皿へ注いで、刻んだパセリを散らせば出来上がりだ。


「さあどうぞ、召し上がれ」


 スプーンを添えて差し出すと、マチルダは優雅な仕草でスープをひと(さじ)すくい、口に運んだ。

 それから幸福そうな顔で吐息を漏らし、言葉を添える。


「ずいぶん上達したわね。この腕前なら、天使をやめて人間になっても、料理人として食べていけるわ」


 マチルダの冗談に、フレデリカも笑みをこぼす。


「それも悪くないわね」


 答えながら、抑え込んでいた感情があふれそうになる。



 私はもう、人間ではない。

 あの頃には、もう二度と戻れない。


 マチルダに戻してもらった過去の記憶が、フレデリカの心に重くのしかかってくる。


 あのまま生き永らえていたら、残りの人生はきっと地獄だっただろう。

 だから私は、逃げたのだ。

 現実と向き合うことから。

 非難を受け止めることから。

 後悔を背負って生きることから。

 全てを投げ出して、人生を終わらせたのだ。


 マチルダに向かって『罪を悔やみながら寿命を全うすることが、本当の罰だ』なんて偉そうなことを言っておきながら、自分はまるで出来ていなかった。



「私……自分が恥ずかしい。何もかも放り出して逃げたくせに、他人には苦しくても生きろだなんて……そんなこと言える立場じゃないのにね」


 泣きそうな顔でうつむくフレデリカに、マチルダが言葉をかける。


「そう? そんなに難しく考えなくてもいいんじゃない? 私なんて、しょっちゅう逃げ出したり投げ出したり他人に偉そうなこと言ったりしてるけど、ちっとも恥ずかしくなんかないわよ」


「……マチルダの心はきっと、ダイヤモンドで出来ているのね」


「あら、そんなに綺麗?」


「違う! やたらと摩擦や軋轢(あつれき)に強くて、傷つきにくいってこと!」


「失礼ね。私が傷つきにくいんじゃなくて、フレデリカがデリケート過ぎるのよ。いっつも深刻な顔で何か考え込んでるんだもの。見てるこっちまで疲れちゃうわ」


「……やっぱり、マチルダと私は気が合わないみたいね。一人になって考えたいことがあるから、そろそろ帰ってくれない?」


「はいはい、それじゃあ帰るわね。ただし、スープはもらっていくわよ」


 マチルダが姿を消すと同時に、スープの入った皿と鍋まで一緒に消えてしまった。


「もう! 私まだ一口も食べてなかったのに!」


 そう怒りながらも、マチルダの子供じみた振る舞いが妙に可笑(おか)しく感じられて、フレデリカは思わず笑ってしまった。

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