表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/13

チョコとクルミのスコーン

 ギィと音を立てて、入り口の扉が開く。


 ここは、とある街の片隅にある、カウンター席だけの小さなお店。


 店主のフレデリカは、人間の世界で修行を積んでいる見習い天使だ。


 このお店はマチルダという天使から譲り受けたもので、フレデリカは寿命を迎えた人間の魂を天上へ返す前に、人生で最後の一皿となる料理を作ってあげることにしている。


「こんにちは」


 フレデリカは、扉を開けて中へ入ってきた女性に声をかけた。


 ふっくらとした優しい顔立をしたその女性は、不思議そうに店の中を見回している。


「あの……私、どうしちゃったのかしら。今日は娘が友達を連れてくるって言うから、スコーンを焼こうとして……足りない材料があったから買いに出かけて、それで……」


 そこで女性が言葉に詰まる。

 フレデリカは、彼女の代わりに言葉を続けた。


「それで、道端に停められた荷車のそばを通りかかった時に、崩れてきた荷物の下敷きになったんですよね、デボラさん」


 ニッコリ微笑むフレデリカに、デボラと呼ばれた女性は眉をひそめる。


「だけど私、どこも怪我なんかしてないわ。痛みも感じないし」


「ええ、そうでしょうね。だって今のあなたは、もう魂だけになってしまったんですもの。嘘だと思うなら、あなたのものだった体がどうなったか、確かめてくるといいわ。事故があったのは、すぐそこの大通りですから」


 デボラは青ざめた表情で店を飛び出し、しばらくするとまた戻ってきた。


「どうしよう……もうすぐ学校が終わって、あの子が帰ってくるのに……チョコとクルミの入ったスコーンを焼いてあげるって、約束したのに……」


 さめざめと泣き出すデボラに、フレデリカはこう提案した。


「じゃあ、私が代わりに焼きましょうか」


「……え?」


 デボラが戸惑いを浮かべた瞳でフレデリカを見る。


「申し遅れました。私、見習い天使のフレデリカといいます。人間の魂を天上へ返す前に、最後の一皿をごちそうすることにしているんです。デボラさんの食べたいものは“スコーン”ってことでいいですか?」


「……私が食べたいわけじゃないのよ。娘に食べさせたいの」


 フレデリカは、顎に手を当てて少し考え込む。


「自分が食べたいものじゃなくて、娘さんに食べさせたいものですか……いいですよ。それじゃ、早速レシピを教えてください」


「え? 私が教えるの?」


 デボラが目を丸くする。


「はい。本人がレシピを知らない場合は、魂の記憶をたどって味などを再現しますけど、今回は直接聞いた方が早いですから」


 フレデリカはカウンターの後ろにある作業台の上へ、ボウルや木べらなどの調理道具を並べていく。


「材料は?」

 というフレデリカの問いに

「ええっと、小麦粉・バター・砂糖にミルク……それから膨らし粉をほんの少し。あとはチョコチップとクルミも忘れずに」

 とデボラが答えていくと、材料が次々と作業台の上に現れた。


「凄いわ! 魔法みたい!」

 感嘆の声を上げるデボラに、フレデリカは

「それでは、作り方の手順を教えていただけますか?」

 と先を促す。


「はいはい、まずは小麦粉と砂糖と膨らし粉をボウルに入れて、泡立て器でよくかき混ぜてちょうだい」


「粉をふるいにかけずに、泡立て器でかき混ぜるんですか?」


 フレデリカが手を止めて尋ねると、デボラは豪快に笑いながら答えた。


「私みたいに大雑把でズボラなタイプはね、粉をふるいにかけるなんて、そんな面倒なことはしないのよ。こんな性格だから、お菓子作りは苦手なんだけど……このスコーンだけは、適当に作っても美味しく焼き上がるからお気に入りなの」


 フレデリカは納得したように頷くと、言われた通りに作業を進めていく。


「次は小さく切ったバターを入れて、木べらで更に細かく切るようにしながら粉と混ぜ合わせてね。バターの塊がなくなってきたら、両手の指先で擦り合わせるようにしながら、粉チーズ状にするの。手の熱でバターが溶けないように、手早くやるのがコツよ」


 デボラは指示を出しながらフレデリカの手元に目をやり

「あなた、手際がいいわねぇ」

 と感心したように呟く。


「この後は?」

 フレデリカが先を促す。


「ミルクを入れてゴムベラで混ぜるんだけど、少し粉っぽさが残るくらいでやめてね。あっそうそう、チョコチップと砕いたクルミも入れないとね。それから手で何回か折りたたむようにしてまとめて……粉っぽさがなくなってきたら、ラップに包んで冷蔵庫で休ませてちょうだい」


 生地を休ませている間、フレデリカはデボラに温かい紅茶を淹れた。


「ありがとう。魂だけになっても、紅茶を飲んだりできるのね」


 デボラは嬉しそうにティーカップを持ち上げて口をつける。


「こうしてお店の中にいる間だけですけどね」


 フレデリカの返事に、デボラはそっと目を伏せ

「そうなのね……」

 と言ったきり、黙り込んでしまった。


 静寂の中、遠くから街の喧騒が微かに届く。


 紅茶を飲み干すと、デボラは沈黙を破ってフレデリカに話しかけた。


「ねぇ、さっき人間の魂を天上に返すって言ってたけど、そのあと魂はどうなるの?」


「他の魂と混ざり合って、また新しく生まれ変わります」


「混ざっちゃうの?」


「はい。ごちゃ混ぜです」


「天国とか地獄とかは?」


「人間がイメージするようなものはありません」


「へぇ……そうなんだ。なんか、ちょっとガッカリだわ」


「どうしてですか?」


「だって、良いことをした人も悪いことをした人も、みんな同じところに行って混ざり合っちゃうんでしょ? そんなのって……何だかちょっと、損した気分だわ」


 デボラの言葉に、フレデリカは首をかしげる。


「そうですか?」


「そうよ! 私はね、なるべく悪いことはしないように生きてきたし、人には親切にするよう心がけてきたんだから!」


「それならきっと、いい人生だったんじゃないですか?」


「……そうね、まぁ悪くはなかったんじゃないかしら。そりゃあ、いろいろ嫌なことだってあったけど、それなりに楽しいこともあったし……」


 フレデリカは、ニコニコしながらデボラの話を聞いている。


 つられてデボラも笑顔になり

「さあ、それじゃ続きに取りかかりましょうか」

 と言って立ち上がった。


 冷蔵庫から生地を取り出したフレデリカに、デボラが次の手順を伝える。


「生地がくっつかないように打ち粉を振ったら、めんぼうで厚さ二センチくらいに生地を伸ばして、平べったい円形にしてちょうだい」


「円形ですか?」


「そうよ。大きな円形に伸ばして、ピザみたいにナイフで八等分にカットするの」


「なるほど。型抜きする時みたいに生地が余ることもなくて、いいですね」


 フレデリカの反応に、デボラは得意そうな顔をする。


「あとは表面にミルクを塗って、オーブンで焼くだけよ」


 フレデリカは天板に生地を並べてオーブンに入れると、分厚いノートを取り出して何やら熱心に書き込んでいる。


「何を書いているの?」

 デボラが尋ねると

「レシピノートです」

 という答えが返ってきた。


「へぇ、天使もレシピノートなんて書くのね。お気に入りのレシピはどれ?」


「特にありません。記録として残しているだけなので」


 淡々としたフレデリカの返事に、デボラは苦笑いする。


「天使って、みんなあなたみたいに最後の一皿を作ってくれるの?」


「いえ、いろいろなタイプがいますよ」


「たとえば?」


「マチルダという天使は、罪人や悪人の生命力を吸い取って魂を奪い取り、抜け殻になった肉体はスープの材料にしていました」


 フレデリカの発言に、デボラはギョッとした顔をする。


「冗談よね?」


「本当です」


「……天使っていうより、悪魔とか死神みたいね」

 デボラはそう呟いてから

「やだ、失礼なこと言っちゃったわ」

 と慌てたように自分の口に手をあてる。


 フレデリカは少しも気にしていない様子で

「人間にとっては、似たようなものかもしれませんね」

 と穏やかな声で返すと、オーブンの中を覗き込んだ。


 スコーンの表面には綺麗な焼き色がついている。

 その時ちょうどタイマーが鳴り、フレデリカはオーブンの扉を開けた。

 スコーンを取り出して網の上にのせ、粗熱をとる。


「いい匂い! 私も食べたくなってきちゃった。一つ食べてもいい?」

 デボラが尋ねると、フレデリカは

「最後の一皿を口にした魂はすぐに天上へ召されてしまいますから、食べるのは娘さんに会ってからにした方がいいんじゃないですか?」

 と返した。


「娘に会わせてくれるの?」

 デボラは驚きの声をあげる。


「向こうからは見えませんが、デボラさんからは娘さんの姿を見ることが出来ますから、スコーンを届ける時、一緒に行きましょう」

 フレデリカの言葉に、デボラは一瞬だけ嬉しそうな顔をしたが、すぐに悲しそうな表情へと変わり

「会いに行くのはやめとくわ」

 と断った。


「最後に顔を見ておかなくていいんですか?」


「ええ、大丈夫。顔を見たら、天上へ行くのが嫌になってしまいそうだから」


「分かりました。では、お一つどうぞ」


 デボラはカウンター席に腰掛け、フレデリカの差し出してくれた皿の上からスコーンを一つ手に取り、口へと運んだ。


 カリッとした歯ざわりのあと、口の中でホロリと崩れ、クルミの香ばしい歯ごたえがする。

 少し溶けたチョコレートの甘さを舌に感じながら、デボラは家族と過ごしてきた日々を思い返していた。


 食べ終えたデボラは、スコーンを載せた皿をフレデリカの方へと押しやり

「やっぱり、娘のところへは届けなくていいわ。残りは全部、あなたにあげる」

 と言った。


「どうしてですか?」


「だって、あなたが突然『お母さんからのお届け物です』って言ってスコーンを渡しに行ったら、きっと不審に思われて追い返されちゃうわ。もし受け取ってくれたとしても、喜んでもらえるかどうか分からないし……」


 話しながら、デボラの姿は徐々に透き通っていく。


「スコーンを焼いてくれてありがとう。とっても美味しかったわ。私の魂を送り出してくれる天使があなたで、本当に良かった」


 その言葉を最後に、デボラは跡形もなく消え去った。



 フレデリカは、デボラの残したスコーンを見つめながら考え込んでいた。


 本当に、このスコーンをデボラの娘に届けなくて良いのだろうか。


 するとそこへ、まばゆい光が差し込み、天使のマチルダが姿を現した。


 彼女は悪戯(いたずら)っぽい笑みを浮かべながら

「悩み事?」

 とフレデリカに尋ねる。


「別に」


 素っ気なく答えるフレデリカだったが、そんな彼女が可愛くてたまらないというように、マチルダはフレデリカをきつく抱きしめた。


「ちょっと、やめてよ!」


 フレデリカはマチルダの体を押しのけて睨みつける。

 ハッキリと拒絶されたのに、マチルダは何故か嬉しそうにフレデリカを見つめている。


「あなたって、やっぱり最高ね。人間に対してはあんなに丁寧な態度で接するのに、師である私のことは、ぞんざいに扱うんだから。弱きを助け、強きを挫くっていうの? そういうところが、他の天使達とは全然違うのよね」


 マチルダは、手を伸ばしてフレデリカの頬にそっと触れた。


「ねぇ、このお店を譲ってあげたんだから、私の後継者として罪人や悪人の魂を奪い取る役割を(にな)ってよ。あなたが後を継いでくれたら、私は大天使に昇格できるし、あなたのことだって、すぐに見習い天使から卒業させてあげられるんだけどなぁ」


 フレデリカは、マチルダの手を強く払いのけた。


「あなたってホントに卑怯だわ。寿命の残っている人間の魂を奪い取るくらいなら、私は見習い天使のままで結構よ」


「へぇ、悪人や罪人にも寿命を全うする権利があるって、本気で思ってるんだね。まだまだ修行が足りないなぁ」


 フレデリカはマチルダを無視することに決めて、皿の上ですっかり冷たくなってしまったスコーンを紙袋に入れた。


「それ、どうする気?」


 マチルダに聞かれたが、フレデリカは返事をせずに、店の入口へと向かう。


「娘のところへ行くつもりなら、やめなさい」


 先程とは打って変わった厳しいマチルダの声に、フレデリカは思わず足を止める。


 マチルダは、真剣な表情でフレデリカに語りかけた。


「デボラは、『娘のところへは届けなくていい』と言ったはずよ」


「でも、本当は娘さんに食べさせてあげたかったのかもしれない」


「そうね、私もそう思うわ。でもね、デボラは自分の気持ちよりも、娘の気持ちを大切にしたかったんじゃないかしら」


「どういうこと?」


「デボラの娘は今、母を亡くして悲しみに沈んでいるのよ? そんな時に、母親を思い出させるようなものを届けに行って、喜んでもらえると思う?」


 フレデリカは、スコーンの入った紙袋をギュッと握り締めながら、声を絞り出した。


「……嬉しくは……ないかもしれない」


 マチルダは、真面目な表情を崩してニッコリ笑うと、素早くフレデリカに近付いて紙袋を奪い取った。


「ちょっと!」


 フレデリカが止める間もなく、マチルダは紙袋の中からスコーンを一つ取り出して(かじ)り付く。


「美味しーい! でも、ちょっと冷めちゃってるわね。温め直しましょう」


 そう言って、マチルダはオーブンにスコーンを並べるとスイッチを入れた。

 フレデリカは、すぐさまスイッチを切って抗議する。


「勝手にオーブンを使わないで!」


「いいじゃない、元々は私のお店だったんだから」


「今は私のお店よ!」


「あなたって、本当に可愛くないわねぇ」


 そう言いながらも、フレデリカを見つめるマチルダの眼差しは、慈愛に満ちていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ