146.配信者、個性を理解する
「ここに座ってちょうだい」
「ありあと!」
『ウン!』
クリニックで出された椅子にドリとチップスが半分ずつ座る。
ちゃんとお礼が言えたドリの頭を撫でていると、チップスは反対の手を持ち、自身の頭の上に置いた。
「チップスもいい子だな」
ポテトや子どもがいるときはしっかり者のお母さんなのに、いないと甘えたな性格なんだろう。
今まであまり構ってあげることはなかったから、新たな発見ではある。
「ふふふ、みんなの分の椅子も出さないといけないわね」
他の部屋から椅子を持ってきた俺はゆっくりと腰掛ける。
「体調はどうかしら?」
「今のところ大丈夫ですよ」
まだ頭痛は残ってはいるが、さっきよりも体は楽になってきている。
「もりもり!」
『モリモリモリタ?』
力こぶを見せつけると、ドリとチップスもマネをしていた。
「なおきゅんは自分の体に異変を感じているかしら?」
「急に頭痛がしたり、記憶が欠けることですか?」
幼い時から記憶が曖昧なことは多くあった。
その度に周りからは変な目で見られていたのは覚えている。
「そうね。他には何か気になることはあるかしら?」
「春樹との嫌な思い出ばかり残っているとか……」
「やっぱりなあきゅんとはるきゅんは愛し合って――」
「それはないので大丈夫です!」
ちゃんとここは否定しておかないと、変な勘違いされてしまいそうだ。
周囲を見渡しても貴婦人はいないからよかった。
あの人は春樹との話をすると、すぐに口から毒を吐くからな。
「春樹は本当にいいやつだからな……」
俺の中にある春樹の記憶は、いつも俺を揶揄って邪魔ばかりしていた。
だが、記憶の片隅に残っている春樹はいつも楽しそうに俺の横にいた。
こんな記憶が曖昧な俺のことを嫌うことなく、一緒にいてくれたのは事実だ。
それなのになぜか俺は春樹のことを嫌なやつだと思っていた。
今となったら昔の記憶すらも疑問に感じている。
明らかにこっちに帰ってきてから、俺は違和感を覚えていた。
「二人は純愛ね」
やはり先生は勘違いしていそうだ。
「そういえば、さっきのおじさんはなおきゅんの関係者で合っているかしら?」
「ええ、前の職場の本社の方ですが……あれ?」
「パパ?」
過去のことを思い出そうとすると、うまく思い出せない。
本社に呼び出されて解雇になった……いや、自主退職したことは覚えている。
上司である阿保に責任を押し付けられて、毎日謝りに行っていたはず。
それなのに記憶にあるのは、退職した時の出来事だけだ。
「社会人の時の記憶も曖昧だったな……」
「それだけ抑うつ状態が長く続いていたのね」
「抑うつ状態って?」
「気分が落ち込んだり、活動力が低下して体に不調が出てくることね。例えば、不眠や頭痛、めまいとかもそこで起きるわ」
先生の言うことはほとんど俺の身体症状に当てはまっていた。
あの当時は物理的に寝られなかったと思っていたが、まさか病気で寝られなかったとは思いもしなかった。
時間がなくてご飯が食べられなかったのも、実は違うのだろう。
「うつ病でも記憶はなくなるんですか?」
ただ、うつ病だからって記憶がなくなるのは聞いたことがなかった。
それに小さい時から記憶が曖昧なのは、祖父母や春樹からの話で知っていた。
あの時はみんなが嘘をついていると思っていたからな。
今では少しずつ自分のことを理解して、消化できている気がする。
「なおきゅんの場合、うつ病ではない他の精神病が併発されているわ。可能性が高いのは心的外傷後ストレスとか解離性健忘症とかかしらね」
たくさん出てくる病気の名前に少し気が遠くなるような気がした。
病気になるほど、そんなに精神が落ちていたとは思ってもいなかった。
「昔のことで何か覚えていることはあるかしら?」
「昔ですか? そういえば、ここで暮らすようになって両親が帰ってこなくなった日のことを思い出しました。確か……」
夢で見たことを伝えようとしたが、どこか頭がぼーっとしてきた。
「だいじょうぶ?」
そんな俺を優しく慰めるようにドリは頭を撫でていた。
「椅子の上に立つとあぶないよ」
俺はドリをゆっくり椅子に座らせる。
「きっとそういうできごとが絡んで発作に繋がっているのね」
先生は棚から数枚の紙を取り出し渡してきた。
両手で俺の手をギュッと掴んでいるのは何か理由があるのだろうか。
「これが検査に使うアンケートのようなものね。これでなおきゅんを隅々までチェックできるわ」
なぜか俺の下半身に視線が向いているが、そこは別にチェックしなくても良いはずだ。
俺は急いで手を戻そうとするが、中々先生は放してくれる様子はない。
「メッ!」
『ワン!』
そんな先生の手をドリとチップスが一生懸命剥がしてくれた。
「みんな力が強いなー」
ドリとチップスは再び力こぶを自慢していた。
一応女の子だから、そこは自慢しない方が良い気もするが気にしないでおこう。
元気なのが一番だからね。
「きっと症状も落ち着いてきているから、あまり深刻に考えなくていいわよ。なおきゅんは私のことどう思う?」
「どう思うかって言われても……少し変わった人ってイメージですかね。まぁ、探索者って変わった人ばかりですし、我が家の動物達も立ち上がって走るぐらいですからね」
口から毒を吐く人や急に現れる人、犬や熊や猪すら立ち上がって走るからな。
そういえば、この間マツタケが叫んでいたっけ……。
「ふふふ、そこがなおきゅんの良いところよ。普通なら私のことを見て気持ち悪いとか、生きている価値のない人とか言うわよ」
「それはないですよ。別に気持ち悪いとは思わないですし、生きる価値のない人なんていませんよ?」
毎日生きているだけ褒めてあげるべきだろう。
世の中大変なことばかりだからね。
もし、生きる価値のないって言う人がいたら、鍬を持って追いかけ回してやる。
いや、今は体力的に問題があるのか。
「やっぱりなおきゅんのこと好きだわ」
「あっ、ありがとうございます」
人に好かれて嫌な気持ちはしないからな。
「ドリもパパすき!」
『チップモ!』
人に好意を伝えられるって難しいことだからね。
ドリとチップスを抱きしめると、嬉しそうに笑っていた。
「だからなおきゅんも自分のことを個性だと思いなさいね」
抱きしめあっていた俺達は先生の顔を見ると、優しく微笑んでいた。
どこかその一言でスッと胸の奥に何かが落ちていく気がした。
きっと彼も彼なりに大変な思いをしているのだろう。
言葉一つで気持ちを変えられるのはさすが先生だね。
俺も記憶が曖昧になるのも、体調が悪くなるのも自分の個性だって受け止められる日がくるのかな。
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