五
町はずれの薪小屋の元に歩みを進める七重。あたりは闇が漂い、
月が出ていない道はもうすぐ漆黒に包まれるだろう。
道すがら悪兵衛の事を考える。
「播磨くんは失踪事件を調べている?もしくは何か関わりがある?」
愛嬌のある人懐こい笑顔の裏に、得体の知れないものを感じて
七重はおおきく見ぶるいした。このまま悪兵衛に会わない方がいいのかもしれない。
暗い路の先に薪小屋の明かりが見えた。
安心と共に小屋に近づき、七重は愕然とした。
小屋の周りを藩の兵士が警護し、みな物々しい武装をしている。
国の紋章が入った濃緑色の胴丸、槍に刀。
数は二十人に満たないだろうか。それぞれが緊張の面持ちでいる。
かがり火が焚かれ、まだ続々と裏手から集まって来ているようだ。
兵士達の姿を見て動きが止まる七重に気づいた者が静かに歩み寄る。
「吉房殿ですな。中でお待ちです」
小屋の中に案内される七重。土間には鎧櫃が置かれ、囲炉裏に向かって
長髪の男が横顔をむけている。その奥、正面に床几に座った侍がいた。
「播磨くん。」
囲炉裏の炎に浮かんだ悪兵衛は、薄紫の長着を肩掛けにし、
総髪をきつく縛り上げる、髪結いの男にすべてを任せている。
長着の袖には焔の文様が染め上げられていた。
「吉房七重さんですね。本閥の灰音と申します。」
長髪の男がゆっくりと言葉を発した。優しく深い声色で、やや年長のようだ。
羽衣のような薄い色の艶やかな長髪で、その間から怜悧で
切れ長の瞳が見え隠れしている。
兵士の耳打ちを聞いて灰音と名乗った男は悪兵衛につげた。
「悪兵衛殿、装備が到着したようです。」
目でうなずいた悪兵衛は七重に向き直る。
「吉房どの。折り入って頼みがあり申す。」
「播磨くん…君は…」
*
武芸大会決勝の翌日、神前表彰式が執り行われる。
武道場に隣接した武徳殿にて、勝利者の報告が行われるのだ。
純白の稽古着をまとった七重は静かに、神主役の教師、日根野に伴われて
渡り廊下を粛々とすすむ。その背後には土気色の顔をした船山、三位に甘んじた
片岡が続いている。下級生の後塵を拝し、屈辱的な表情であった。
神前にて勝利の報告を行う儀式のさなか、七重は緊張の面持ちである。
昨夜の事を鮮明に思い出していた。
「これは狗族の工作隊による拝殺でござる。」
髪を結われながら、悪兵衛は厳しい表情で七重に伝える。
「拝殺?」
「拝命殺戮。政治的意図によって布告なしに大規模な暗殺を行う、
人道に反した行為でござる。」
震えながら七重が聞き返す。
「暗殺って…?行方不明者は殺されたの…?」
うなずきながら悪兵衛は鈍く光る皮製の胴着を纏う。表面を金属板が補強し
見るからに重量がある。腕を通しながら覆面姿の者の報告を聞く。
「少佐、この者…」
「協力者だ。民間人である。」
「御意」
胴着の前を合わせ、金属製の留め具をはめていく。胴着に巻き付くように
張り巡らされた帯状の金具が、薄く光を発してるように見える。
「輜重隊は何をしておる。指定の半分の武装しかないぞ。」
「少佐にはそれで十分と」
「馬鹿な。戦陣羽織も無しでか」
不満顔の悪兵衛だが態度には余裕があるように見える。
傍らの者が覆面を外すと、七重にとって見覚えのある老人の顔が現れた。
「薪取りの…井上のおじいさん?」
「軍の者です。潜入調査していました。」
こともなげに灰音と名乗った男が言った。絶句する七重。
「装備は章さんの指示か…?」
「いいえ、刑部殿です。」
憮然とする悪兵衛。灰音は微笑みながら鉄瓶のお湯をすくい、茶を入れ始める。
事態を飲み込めないまま、囲炉裏の前の席を勧められる七重。
ふらふらと座り込んでしまう。
「恐らく優勝者が決まった後の神前の詔の儀、族は拝殺を起こす。」
「将来敵対するであろう者の芽を摘むために。今回は吉房どの、貴方の命です。」
悪兵衛が身の毛もよだつ事を話し始めるた。
「空間凝固型の破常力を使うつもりでしょう。」
「章さんが看破したとおり…賜杯をうけた者たちはある一点、
一時期に姿を消す。おおよそ一時間ばかりの間。」
悪兵衛と灰音の会話の中で、七重は感じ取っていた。
薪取りの配達の間、詳細な情報を悪兵衛は調査していた。
またそれに伴う攻撃方法、撃退方法も調べていたのであろう。
静かな佇まいの灰音。学者然としながら茶をいれ、七重に促す。
「固定空間を魁音で割ればいいのか?」
「いえ、悪兵衛殿以外の内容物は八百万と混濁現象がおきます。」
「どういう意味だ。」
「空間内の生物は死にます。すべて。」
言葉を失う悪兵衛と七重。
「笠間村での戦闘に近いですね。」
「凝固した空間内で拝殺、もしくは記憶操作、抹消も行うという事か。」
灰音がゆっくりと頷く。
会話を聞いていた井上がしわがれ声でつぶやく。
「青田刈りですか。なんとも卑劣な。」
「キリヒトノミコトの考えそうな事です。」
「何故にこのような地域を狙って?」
「武橋学園、武道専門級…通称武専ですか。本閥の合格者が飛びぬけて多い。」
「優秀なのでしょう。本閥選を潜り抜け、本隊に入る人間はごく僅かですが。」
「弥者にとっては天敵。しかし実戦を経験する前はただの若者。」
「それを狙う拝殺は合理的です。弥者は志より血族を重んじます。」
目を閉じ聞いていた悪兵衛が口を開く。
「吉房どの。お主は拝殺の目標とされている。」
震え始めた七重が涙交じりに問う。
「私も暗殺されるの?」
「お主次第。」
言葉を失った七重に灰音が落ち着いた声で告げる。
「空間凝固を分離させる方法がひとつあります。」