二
ざわつく教室の一角、七重は自分の机を用意し教科書を風呂敷から出していた。
船山に襲われた直後逃げ出した重森が平身低頭、謝っている。
「もういい。大会で決着つけるから。」
にべもなく言い放つ七重の瞳は強い光を放ち、近づき難い空気を出している。
愛想笑いを浮かべながら重森はその横顔に見とれている。
「はいー朝礼するよー」
甲高い声をあげて担任の日根野が入ってくる。中年で小太りに丸顔、
朝なのにうっすら汗をかいている。
学徒に優しい教師で慕われているが、本人はその人気には無頓着な男だった。
学徒と教師が一礼する。
「大会二日目ですー。来週までまだまだ日程はあるのでみんな怪我だけ気をつけて」
「良い成績を残したものは本閥選の推薦、あるの知ってるね。」
丸顔を紅潮させて日根野が声をあげる。ざわめく教室。
級友がにこやかに七重は絶対大丈夫と声をかける。
七重も微笑みを返しながら強く拳を握った。
武専の船山達が固執する推薦枠は学年を超えて本閥への推薦を許される。
「本閥選」とは、全国の一五歳以上の男女により一年に一度行われる
総合兵役試験である。
厳しい試験を潜り抜けると、さらに専門課程の課題があり、その突破により
本閥への入団を許される。
学業・生活の全てをかける学生は多数いた。
「あ、いかん。はいりなさい。」
日根野が廊下にたたずむ学徒に声をかける。
教室に入ってきたのは、朝の薪を運んでいた男だった。制服ではなく作業着のまま
総髪は申し訳程度に後ろで結わえている。
「自己紹介しなさい。」
「本日より編入とあいなった、播磨悪兵衛である。」
少年らしい緊張の混じった声で自己紹介する男、頑強な体躯の割に童顔で丸鼻、
垂れ目に厚い唇で、なんとも愛嬌のある顔をしている。
独特ないでたちの転入生に教室はざわめく
「きたねえ!」
「髷結ってねえよ」
「言葉が古い」
「顔洗ってなさそう」
「服からバッタでた」
「たらこ唇」
「可愛い顔してる」
「バッタでた」
「変」
「えー播磨君はお家の都合でまだ制服もないけども、みんな大会の事
教えてあげて、早く仲良くなれるように。」
日根野が播磨の真ん中の音が上がる妙な発音で学徒達が笑う。
頭をかく播磨悪兵衛。
指示された最後列の席に歩む。七重の横を通り過ぎる時、
やはりあの「香り」を残した。
*
鐘楼から昼をつげる鐘が響く。
教室では学徒が思い思いの食事の弁当を広げている。
女子生徒で固まっていた七重は席を立ち、最後列の悪兵衛のもとに
歩み寄り、座った。
「ね、播磨君。」
「朝会ったよね?……石投げたでしょ。」
悪兵衛は一瞥した後、手元の朴葉の包みをあけ、
ふかした薩摩芋を皮ごと食べた。
「会っていない。」
「嘘だ。どうやって投げたの?あ、それよりありがとう。」
頬を少し紅潮させて話しかける七重から視線をはずし、
芋を食する悪兵衛。その表情からは何もくみ取れない。
その様子を重森が食い入るように見つめている。
「吉房どの、転入生が気になるみてえ」
「なんか野生の男って感じだよな。」
「お嬢様はあの手合いが好きなのよ。」
口さがない級友が笑いながら小声で話す。聞いた重森が立ち上がり
悪兵衛に近づく。
「お前、飯いもだけなの?」
「食べ物ないとか?珍しいねえ。」
重森が半笑いで話しかける。その意図は悪兵衛の貧しい食事を
笑いものにする為だった。不穏な空気に教室の視線が集まる。
七重が重森をみあげて睨む。しかしいつもと違う彼の表情に一瞬狼狽した。
「なんか言えよ。」
普段は声を荒げたこともない重森が、机の上の芋を足蹴にしようとした。
衣擦れの音と閃くように動いた悪兵衛の腕を、七重はみた。
蹴ろうとした重森の足裏に、悪兵衛が掠るように拳を当てたのだ。その瞬間
重森の身体は一回転して着地した。わけもわからず本人は足元を見ている。
「軽業!?」
「すげえ」
「転入生にかくし芸?」
「重森やるな」
一気に教室が沸く。芋をかじる悪兵衛。事態を飲み込めない重森。
騒然としたまま昼休みは終わった。
*
武僑学園の校門が開けられ、学徒達が帰途に溢れてくる。
その日の午後から行われた大会結果に喜ぶもの、落胆するもの、
悲喜こもごもの表情。
取り組みのない学徒は通常の授業が行われ自習を勧められる。
順当に剣術部門で上級生を打倒し、授業を受けた七重が現れた。
その瞳が輝き、のそのそと歩く播磨悪兵衛の背後に追いつく。
「播磨君。」
「吉房どの、でしたか。」
「君って……すごく勉強できないんだね。」
笑いをかみ殺した表情で深刻そうに悪兵衛をのぞき込む七重。
「面目ない……。」
ばつの悪い表情で目を落とす悪兵衛。午後の授業で
読み書きも、算術もからきしなのが教室で話題を集めてしまった。
指導のしようもない程の勉学の遅れを、日根野は自習にあてるよう
促していた。
重森はそれに気を良くしたのか、昼以降、悪兵衛に絡むような事は
していない。
校門から日根野が小走りでやってくる。
「播磨くん、これお家でみたらいいから。」
読み書きの参考書を悪兵衛に渡す、相変わらず妙な発音の言い方。
額に汗をかいている。
「お家の事情で勉強遅れてるのは恥ずかしくないから。すこしずつ進めよう。」
「かたじけない。」
参考書を風呂敷でつつみ、歩み始める悪兵衛。いたずらな瞳で観察しながら
ついていく七重。
「昼、怒ったの?重森に使ったの合気でしょ。」
七重の慧眼にやや驚きながら答えない悪兵衛。
「見た事ない技だった。どうやってするの?」
困ったような表情で答えない悪兵衛。まっすぐ前を向いている。
やや後方につくよう、歩みを遅めた七重が木刀袋から小刀を取り出し、
しずかに片手打ちする。
乾いた音を立てて悪兵衛の頭部に木刀が撃たれる。
……が意にも介さず、頭をさすっている。
「痛いでござるよ。」
「え、避けないの?さっと……避けるかなって。」
屈託なく笑う七重。悪兵衛の額に一筋の血が落ちてくる
「あ!いけない、頭割れてるよ!」
笑いながら布を当てる七重。困った顔の悪兵衛。その二人を遠くみつめて
にっこりと笑う日根野。学徒に帰りの挨拶をしながら校門を閉じる。
*
「こちらでは本閥選の推薦を受けられるとか。」
「うん、武芸大会で優勝したら、推薦枠をもらえるの。」
夕日に赤く染まる公園で悪兵衛の頭を布で抑えている七重。悪兵衛の手には
お詫びに七重がおごってくれた五平餅の包みがある。
丸くのしたもち米にたれをつけて焼いたもので、学徒のおやつの定番であった。
「右側がひき肉とゴマの醤油あん、左が大葉と落花生の味噌あんだよ。」
聞きながら口に運ぶ悪兵衛。
「うまい。ものすごくうまい。」
「変ないいかた」
こらえきれず笑い出す七重。悪兵衛は夢中で五平餅にかぶりつき、喉をつまらせ
七重に竹筒の水までもらう。
「本閥選で合格したら、尉官として教練を受けながら本閥に入隊できるんだよね」
「この年でも勉強しながら狗族と戦う事が出来る」
遠く夕闇をみつめる、七重の茶色の瞳に悪兵衛は問う。
「本閥四軍ではどの部隊を希望されるのか?」
「不知火。剣をいかすなら防衛義務のない白兵隊が一番だもの」