一
穏やかな朝の光の中、武家屋敷と町人街の立ち並ぶ境の石畳を、
少女が歩いている。頭上の桃にはつぼみが膨らみ、黒い帽子をかぶったような
オナガが止まっている。
その薄青い尾を見て目を細める少女、制服に身をつつみきつく後ろ髪をしばりあげ
木刀袋を肩からかけている。引き締まった体躯が武芸を感じさせるが
その表情はまだ幼い。
「吉房どの!」
少女を追って、小柄な少年が走ってくる。吉房と呼ばれた少女は一瞥して
また歩き始めた。
「おはようございます!昨日の武芸大会は」
「朝から騒々しいな重森。小鳥もさえずらなくなった。」
「これは……すいません。」
少年と少女は談笑しながら歩む。他の学徒達の姿も増えてきた。
「瓦版見ました?不知火が出てましたよ!」
「昨日母上から聞いたよ。狗族を殲滅したって」
「恐ろしいですねえ 隊士は七名で狗族は二百以上って」
「不知火はそういう部隊でしょ」
素っ気なくいいながら、吉房七重はその侍達に畏敬の念と憧れを隠す事が
できない。やや頬が紅潮している。
通学している学徒達は木刀袋や弓袋を手にし、思い思いの様相だが
心に期する表情の者も多い。
全国でも有数の学徒練兵場である私立武僑高等学園。
今はその全校武芸大会の只中である。
道の傍らを、異様な男が歩いている。
背に薪の束を背負い、行商しているのだろうがその大きさ、量が
尋常ではない。金属製の骨格だけの背負い籠に革で巻いた山のような
薪をのせ、一歩一歩歩いている。七重と重森は思わず顔を見合わせる。
「牛みたいな運び方するやつだな」
「薪屋の井上さんじゃない……?」
七重の家にでも出入りしている馴染みの老人ではない。
毛皮の作務衣に似た長着に短めの軽衫で、そこから伸びる足は力強く
髪はざんばらの総髪で表情はわからないが若いようだ。
「松脂の匂い」
異様な風体の男に目を奪われた七重は、そこに残った香りに気がついた。
「一年の吉房だな」
七重と重森の前に大柄な学徒が立ち塞がった。
若年でありながら堂々した体躯、異様な目の光を発している。
「船山さん」
重森がおびえた表情で七重の背後に隠れる。
「船山……武専の。」
名前と顔で七重が思い出した。学園では三年次より武道専門級、
通称武専と呼ばれる選抜組が存在する。
船山と呼ばれた男の背後に二人、その級友と思わしき学徒が従っている。
「こいつが中等で全国優勝した吉房?」
「ふうん。」
悪意あるまなざしで七重を値踏みする二人。
「大会でお前にけがをさせたくなくてな。」
大仰に船山が言った。
「まだ一年。俺たち三年は本閥選が掛かってる。」
「辞退届、出せ」
武僑高等学園はその優秀な人材育成の実績により、
本閥入団への特別推薦枠を持っている。
本土決戦軍閥師団への入団。それは武を志し国を護る者たちの
最高の到達地点であり、一族の誇りにもなりえるものだった。
年間一度の全校武芸大会、そこで結果を残す者には
本閥への推薦がかかっている。
船山は試合の前に七重に出場辞退を強いてきたのだった。
町家の間の暗い路で七重は取り囲まれていた。
「私の怪我を気にして頂かなくて結構。大会には、でます。」
決然と言い放つ七重。強い意志とおおきな茶色い瞳が輝いている。
にやにやと笑いながら船山が体躯に似合わない素早い動きで
七重の手首をとった。
「細い細い 色も白い。」
背後の男達が笑い声をあげる。
「橈骨」
船山が笑いながら七重の手首を味わうように握りしめる。
「ずれると二月は動かせない。」
船山の意図をくみ取り、蒼白な表情を浮かべる七重。背後の重森は
いつのまにかいない。万力のように手首をつかまれ引き上げられて……無理に
引きはがせば骨折もやむない。悔しさに表情を歪ませる。
肉体に重量ある物体が激突した音が鳴った。重く、身体を破壊する嫌な音。
武専の一人が物言わず蹲る。
「近藤?」
手下ともいえる男に気を取られる船山。その後もう一人の男にも鈍い音が。
うめき声をあげて町家の壁にもたれかかる男。その腹部から地蔵の頭ほど
の丸石が落ちた。
「片岡!?どうした」
二人の異変に狼狽した船山は、紅潮した顔で七重を睨みつける
「吉房、何を」
言い始めた途端、七重は足元に飛来する丸石が急激な弧を描いて
上昇、船山の鳩尾に埋まる瞬間を見た。
白目をむいて倒れ伏せる船山。口の端から血の混じった泡を吹いている。
手首をさすりながら七重は後ずさりし、道の出口に視線を向けた。
一瞬、そこに人影を見たが、表通りに出たとき、もうそれはない。
「松脂の匂い。」
七重は、またその香りを感じた。