小さな誓い
客人が去って、翌日の話です。
朝稽古のあと、今日は休みをもらい森へでかけます。
社の森は、広く東側と北側に山を抱いていて、それ全体が社の一部となっており一般の里の者は立ち入り禁止です。
奥に入ると原生林のような複雑な営みが見え、きこりなどが入り枝打ちなどがされいている森とは一味違います。
沙羅は森の中を歩く
昨日あの後じいにもらったムササビのイトと一緒だ。
天の国に行く供として、これからは沙羅が面倒をみることになる。
普通のムササビに比べて色が白くかなり小さい。
冬毛かと思ったが、これがこの子の普通らしい。
冬にはもっと白くなるのだろうか。
次はいつ来れるのだろうか思うと、見慣れた一本一本の木々が違って見える。
小さな浅いせせらぎを通り過ぎると、さわさわと動く枝や葉が擦れあう音と、ゆっくりと水の流れる音が合わさって耳をくすぐってくるようだ。
その先に沙羅の好きな場所がある。
「森の守り神様」
沙羅はその大木をそう呼んでいる。
樹齢は悠に1000年を超えているだろう、沙羅が5人集まってやっと幹を囲むことができるだろうか。
「森の守り神様、沙羅は天に行くことになりました。」
そうっと幹に触れてみる。
小さな白い生き物が沙羅の肩から森の守り神の幹へ飛び移り、一番近くの枝まで駆け上っていく。
「この子は、イト。天へ一緒にいくことになりました。走り、空を翔るととても速く白い糸が引かれているように見えるので、イトと名づけしました。」
イトは両足で立って胸をはり、沙羅を見下ろすが枝から落ちそうになる。
なんだかえらそうだけど、様になっていない。
「イトは突き抜ける針のように、良く通る声がいい。」
キュイーン
ヒクヒク鼻を動かしながら精いっぱいの声を張り上げて見せる。
無理をしすぎて小さな手の先がプルプル震えている。
イトはムササビのはずであるのだが、白い。
じいが今年の春に突然連れてきたが、今まではじいが面倒を見ていた。
沙羅のいうことが分かっているようなので、賢いはずなのだが落ち着きがなく危なっかしい。
沙羅はそれを見てくすっと笑いながら続ける。
「天に行けば、言葉と魔法を稽古することになるのだそうです。」
じいとばあやは言葉の限りこれからの事を説明してくれた。
天の言葉を学べば魔法学校に入ることができるかもしれないこと、魔法を学べば里の実りを増やし、災害から皆を守ることができるかもしれないこと、5つになる天の国と関係のある子供の中から沙羅が選ばれたこと、このことは里の皆には全て話してはいけないこと。
「巫女舞のように好きになれるかよくわからない。でも天の国の言葉は、くすぐったい音がしてなんだか心が震えた。」
あれから巫女舞の音が頭に流れてこない。
それどころかあの緑色の目の客人、たしか名前はバリウストさんと言ったか、彼が話した音が自然の音と混ざって聞こえる。
「不思議な感じだ。こんな気持ちは初めてで、魔法だとか、実りを増やすとか、災害から皆を守るとか、そういうことはきっと大切なことなのだろうが、そんなことは良く分からなくって。でも・・・、でも、あのはじめて聞く音が心を震わすんだ。」
きっとこの森の守り神様はここでずっとこの森と付近の里を見守ってきた。
そんな大きなものの前で言うのも申し訳ないのだが、「守る」とかそんな言葉は沙羅の心を動かすことはないのだ。
「私、行きたくないってじじに一生懸命言ったら、行かなくていいかもしれない。でも、あの音が面白いと思った。だから、行きたと思う。」
少し上の枝からイトが降りてきて、沙羅の左肩に乗り、耳の後ろ辺りをとんとんと、たたく。
よくぞ申した・・・とでも言いたげだ。
えらそうに。
沙羅はチラッとにらむようにイトを見て、首の後ろをつかんで摘み上げる。
キュイー
「イトはたまに一言多い。」
足をばたばたさせて抗議するイトを横目に両手で抱えなおして、また森の守り神に視線を戻す。
「また来ます。」
さーっと吹き抜ける風が木々の葉と沙羅の髪をなびかす。
どうかその間、この森と、里と、じいとばあやをお守りください。
そう心のなかで呟き、沙羅とイトは深くゆっくりと頭を下げた。
イトの両手が頭を下げたとき、いきよい良く真上にあがっていてちょっとマヌケな姿ではあったけれど、森の神様は暖かく二人(一人と一匹)を見守っていてくれているようであった。
5歳の沙羅には守るとか、責任感とか、そういうものよりも興味があるか、わくわくするか、そちらのほうが重要です。
足を一歩踏み出す理由なんて、それが一番いいし、実際その方がうまくいくことも多いと思います。
子供にとって責任感とか、そういったものはあとから湧いてきたり、教えられる物だと思うのです。
沙羅はそういった責任とかいろいろを大樹に託して、一歩踏み出すことを決めるのでした。