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鉋の見かけは元の世界のものと大して変らないが、それはノコギリや金鎚もそうだ。
そういった道具は、世界が変ろうとも基本的な形は変らないということなのだろう。
ルリジオンは手慣れた様にしゅるしゅると綺麗に板の表面を削っていく。
それが余りに気持ちよさそうに見えて、俺もやってみたくなってしまった。
「俺にも後でそれやらしてくださいよ――痛っ」
ルリジオンの声に気取られたせいだろう。
ノコギリを掴む手がゆるんで滑り、尻の方の刃をざっくりと指に刺してしまったのである。
「おいおい大丈夫か兄ちゃん。よそ見なんかしてるからだぞ」
自分から俺に喋り掛けて来たのにまるで他人事の様だ。
だけど確かにルリジオンの言うことも正しい。
一旦手を止めてから話に加われば良かったんだし。
「痛ててて。けっこう深くやっちゃいました」
「仕方ねぇな」
俺が流れ出る血を止めようと親指の根元を押さえていると、ルリジオンが頭を掻きながら寄ってくる。
そして俺の指に自分の手のひらを向けると――
「神よ。我らが愛するファロスの神よ。私たちの愛に応えこの者の傷を癒やしたまえ――ヒーリング」
いつもの荒っぽさが微塵も感じられないほど優しい声で祈りの言葉を口にする。
するとみるみるうちに深くえぐられた様になっていた指先の傷が塞がっていくではないか。
「これは回復魔法ですか?」
すっかり塞がった傷口を見ながら俺はルリジオンに問い掛ける。
確かに彼は自分を神官だと言っていた。
だけど回復魔法が使えるなんて一言も聞いていなかった。
「あ? 当たり前だろ。俺はファロスの神官だぞ」
「ファロス?」
「そこから説明しなきゃいけねぇのか。めんどくせぇな。とりあえずファロスってのは癒やしの神なんだよ」
運の良いことにルリジオンは回復魔法が使える神官だったらしい。
この世界の神については全く知らないが、彼が『癒やしの神』と言うくらいだから他にも『戦の神』とか『商売の神』とかいるかもしれない。
それにしても回復魔法が使えるような人材がどうしてこんな所に少女と住んでいるのか。
ますます俺はルリジオンという人物がわからなくなってきた。
「ボーッとしてねぇで、せっかく治してやったんだからさっさとその板を切っちまえよ」
そんな俺の疑問を問い掛ける間もなく、ルリジオンはそれだけ言い残して板の仕上げに戻っていってしまう。
もしかしたら余り触れられたくない話題なのかもしれない。
「それじゃあ気をつけて切りますね」
俺はいつか彼が話してくれるまで彼の過去を詮索する様なことはしないと心に決め、今度こそ慎重に板の切断を再開したのだった。




