1話
ドスン!!
時刻は深夜0時、ぼくは庭のほうで何か大きなものが落ちた音で目を覚ました。
ここは偉大なる魔法使いジャンヌの家。敷地には認識阻害と防御を兼ねた結界を張っているため、おかしなことは起こらないはずなのに何かが落ちる音。ジャンヌが起きていないということは隣国との戦争による攻撃ではないということなので、安心してぼくが見に行く。
5年前までここ、フィラスフィア王国は隣国アヴァグース王国と戦争をしており、一応終戦はしたが今もまだ冷戦状態が続いている。何が刺激になってまた戦争が始まるか分からない緊張状態だ。
そんな状況だから攻撃かと疑いたいところだが、もし隣国からの攻撃だったらこんな誰が住んでいるかわからない山ではなくもっと栄えた都市を狙うだろう。だから庭から聞こえたこの音はきっと、事故か何かで最近開発された空飛ぶ貨物船から荷物が落ちてしまった音だ。空飛ぶ貨物船は最近開発されたもので、陸路・海路より早く荷物を運べると評判だ。ただまだ開発されて間もないためこういう事故も起きる。先日も海に積荷が落ちたらしい。
ちなみにジャンヌの結界は危険物以外は通す仕様なので、そういう荷物もきっと結界をすり抜けてしまうのだ。上から荷物が落ちてきたのは初めてなのでよくわからないが。
放置したくて山々だが、ジャンヌが怖いので(ジャンヌは庭をとても大切にしていて、ガラス片ひとつで大騒ぎするのだ。自分では一切手入れせず、ぼくにまかせっきりなのに)ものすごく眠いがガウンを羽織りカンテラを持って庭に向かった。
自分が手入れしている勝手知ったる場所のはずだが、カンテラを頼りにして見ると暗く、知らない場所のように感じる。
落ちた場所は敷地のすれすれでは無いはずだ。とは思いつつも念の為端から端まで見ることにする。
「ひっ・・・!!」
庭を見たら畑を見なければ。畑のほうに何かが落ちたかもしれないし。そんなことを考えながら歩いていたら、カンテラの光が照らす地面に、真っ白な手が落ちているのを見てしまった。
思わず飛びのいてしまう。それから、恐る恐るもう一度カンテラで照らした。
やはり手だ。
でもよかった。手だけじゃない。ちゃんと繋がっている。
ぼくはカンテラの光で手のその先をたどった。
手、胴体、顔、また胴体にもどって、足も繋がっているのを確認する。
落ちてきたのは金髪の美しい女性だった。波打った美しい金髪に白いネグリジェ、そのネグリジェから除く手足もまた白く細い。近づいてはっとした。彼女の顔には見覚えがある。長いまつ毛とすっと通った鼻筋、ぽってりした唇と、その右ななめ下にある黒子、とじた瞳は印象的なエメラルドグリーンのはず。彼女はアヴァグース王国の名門伯爵家、エーデルシュタイン家の次女ルナジェーン・エーデルシュタインだ。たしか9年前に王弟に嫁いでルナジェーン・マグダレノ公爵夫人になったんだか。子供がなかなか出来ないと新聞が騒いでいたっけ。
そんな彼女がなぜここに・・・。
空飛ぶ船は開発されたばかりで、乗っているのは荷物と訓練された飛行士だけ。彼女の細腕は訓練されているとは到底思えない。しかも船から落ちたならここまで綺麗ではないはずだ。
この場合の汚いとはどういう意味かは、察して欲しい。
とにかく、ジャンヌの庭に突然現れた理由、現れるにあたって用いられた手段に検討がつかない。結界を通り抜けたということは悪意はないということだろうが・・・。
まあ気絶している人間の意識に悪意があるかは分からないが。
ぼくはガウンが地面につかないよう気をつけてかがみ、よびかけた。
「もし、マグダレノ公爵夫人」
起きない。次は肩を叩いてみる。ご婦人のむきだしの肩に直接触れるのは紳士としてあるまじき行為だが、今は緊急事態だ。
「夫人、マグダレノ夫人」
起きない。
肩を強めに叩いてみても起きない。
もっと強く叩いてみる。
「マグダレノ夫人!」
「気絶しているだけだアージェス。それ以上叩くな。今はまだ赤くなっているだけだがその調子で叩けばきっと取れてしまう」
「あ、ジャンヌさん」
いつのまにかジャンヌが後ろにいた。彼女のまわりをふよふよと浮いていたトランクが地面に置かれる。ジャンヌは波打つ真っ黒な髪にエメラルドグリーンのギラギラと輝く瞳を持ち、そしてなにより特徴的なのはそのツノ。南に住むグーズーという動物がもつ細く真っ直ぐなツノが2本、頭から生えている。以前聞いたが彼女は歴とした人間とのこと。物語に出てくる獣人とかではないらしい。ツノがひっかからないようフードに2つ穴を空けたローブを着て、大きな杖を持ったその姿はまさしく、童話にでてくる魔法使いだ。
話をもどそう。ジャンヌの指摘どおり夫人の肩は赤くなっている。痛そうだ。
「ジャンヌさん、ぼくが気絶していて、起こす時はこんな風に肩を強く叩かないでください」
「時と場合による。それより、こんな時間に我が家の庭に侵入したその女は何者だ?」
おや、稀代の天才魔法使いジャンヌさえ知らないことをぼくが知っているとは。
「わたしはお前よりはるかに魔法の真理を追求しているが?」
「心読まないでください」
「読まずとも、お前が考えていることはよくわかる」
ぼくはため息を心の中で吐いた。特に指摘されない。まさか本当にぼくの思考を分かっているのか。
「アヴァグース王国の名門伯爵家、エーデルシュタイン家の次女であるルナジェーン・エーデルシュタインです。9年前に結婚してルナジェーン・マグダレノになりましたが」
「エーデルシュタイン・・・」
「おや、いかに世間離れしたジャンヌさんでもさすがにエーデルシュタイン家の名は知っていましたか。そうです。200年ほど前に戦での功績で当時の国王から爵位と最西の領地をもらい、その後も必ず男児は軍に入り将軍の地位に座り続けているあのエーデルシュタインです。現在の当主はラズワード・エーデルシュタイン。5年前のルーデンベルクの戦いでの活躍で、最年少、27歳で少将になりました。その後も活躍を続け昨年31歳で中将になった天才です」
「アージェス、詳しい説明ありがたいが全く知らない名だ」
まるで鬱陶しい羽虫が顔のまわりをぶんぶん飛び回って煩わしいと言わんばかりの嫌悪の滲んだ声色に、長く付き合ったぼくだから、ジャンヌとエーデルシュタインは昔なにかあったのだろうと推測できた。
「その女がルナジェーン・エーデルシュタインというのは確かか?」
「マグダレノ夫人です。ええ、もちろん。なにより特徴的なのは口元の黒子ーーー」
「あー、もういい。わかった。その女、近くの村・・・町か?ともかく、ピッチフォークに捨ててこい」
あまりの物言いにぼくは空いた口が塞がらない。
いくら稀代の大魔法使いであるジャンヌでも、その言い方はあんまりだ。ぼくは断固抗議することにした。
「そんな、ジャンヌさん正気ですか!?ピッチフォークに夫人を置いていくなんて・・・。ピッチフォークといえば史上初の独立都市。各国からの干渉はなく法律も無いため自由の都市と言えば聞こえはいいですが、実際はただの無法地帯で犯罪都市。200年前の独立戦争で今あるどこの国も必要ないと言ってできた地図にも載らない隙間に流れ者、犯罪者たちがたどり着いていつの間にか街が出来てしまい、どうしようもなくなって独立都市と認めざるを得ない状況で仕方なく認められた都市です。犬も歩けば棒に当たるというように、人も歩けば殺される、飼い犬に手を噛まれるどころか食い殺されるところです。一般人が迷い込んだら5秒とたたずに殺されて、魔術師が入り込んだら10秒で殺されるか違法な実験の実験体にされて最後は下水道の中でゾンビになって彷徨う羽目になるあのピッチフォークに、か弱いご婦人を置いていくんですか!?」
「君がいるから夫人は10秒以上生きていられるぞ」
「なぜぼくも一緒に行かなきゃいけないんですか!?」
「答えはもうすぐわかる」
そういってジャンヌが天を仰いだので、僕もつられて天を見る。
星が綺麗だ。
「南西だ」
「え?」
言われた通り見ると、南西から向かってくるものが確認できる。あれはなんだろう。
「その女の追手だ。アージェス、わたしが時間を稼ぐ間にピッチフォークへ行ってジャンという男に会うんだ。情報屋だ。その男に、『ニグはエーデルシュタイン邸にいる』という情報を売って、引き換えにエーデルシュタイン邸までの安全な経路を買い、買った情報は女に渡して、きみはわたしとユプクエの2番通りにあるホテル・ユプクエ805号室で14日後に落ち合う」
早口で言われた指示は、とてもシンプルなもので、つまりぼくたちは住処を移すということも含まれている指示だった。
「あと、ピッチフォークに君の命、平穏を脅かす者はいないから安心したまえ」
「わかりました。トライクはぼくが使っても?」
「傷はつけるなよ」
ジャンヌは嘘をつかない。ピッチフォークにぼくの命を脅かすものが無いなら、ぼくが引っ越しついでのお使いを断る理由は無い。前々から引っ越したいと思っていたんだ。なにせここはフィラスフィア王国のはじっこの森の中。まわりには大きな町も小さな村もなく完全自給自足の生活。(さきほどジャンヌがピッチフォークを『近くの町』と言ったがとんでもない。ここからピッチフォークまで徒歩で1日はかかる場所にある)困ったことは魔法で解決するが、それでも町に出向いて流行の最先端を味わったり、珍しいものを食べたりしたい。
お使いを早く終わらせてさっさとユプクエに行こう。ユプクエはフィラスフィアの活気ある港町で、外国のものもフィラスフィアのものもなんでも売っている。名物は魚料理。海の魚を使った魚料理だ。川魚ばかり食べていたから、海にいる大きな魚を食べるのが今から楽しみだ。
まずは荷造りを・・・。
そこまで考えて、ジャンヌがなぜトランクを3つ持ってきたのか分かった。
「この中には枕が入っていますか?僕は枕が変わると眠れません」
「無論入っている。着替えは後にしたまえ。今から来る者の相手をせねばならんが、君がそこらへんで着替えていると、うっかり小石があたってしまうかもしれない」
「それはなんと危険な。荷造りありがとうございます。僕はさっさと、ええ、南国に住む史上最速の動物、チーターのように素早くこの場を去りましょう。終わったら連絡ください。それではさようなら」
ぼくはすぐにトライクを車庫から魔法で呼び寄せ、後ろに荷を積み夫人を前に乗せ、腹部をベルトで自分とつなぎ出発した。
敷地を出るとジャンヌが結界を解いた。
ドカン!!
衝撃派があたりを包む。
衝撃派によりトライクが吹き飛びそうになるのを魔法でバランスをとり、今更ながら追手がヤバイ奴なのではないかということに気がついた。
これは後から分かったことだが、この時ジャンヌと対峙した男はこの世に6人しかいない魔法使いの1人だった。ぼくはジャンヌ以外の魔法使いを知らないので、どんな人が俄然興味がわいたが、実際に会ってみてジャンヌよりもギラギラした青い目と鋭い瞳孔と尖った犬歯に、渡そうと思っていた名刺をそっと懐にしまうことになる。