第3話 彼女のアレな性癖
「あ、あの……」
俺の問いかけには答えず、乙村さんはゆっくりと歩いてくる。そして俺の横にやってくると、中央のデスクからチェアを引き寄せて腰かけた。
固まっている俺に、乙村さんは微笑みかけた。
「わたし、ゲームが得意なんですよ」
「……へ?」
「だから、ゲームです。得意なんですよ」
と、2Pコントローラーに手を置いた。
俺はしばらくぽかんとしていたが、ようやく我に返って言う。
「ええと、対戦する……?」
「もちろん」
乙村さんは屈託なく笑う。俺はほっとして、ようやく肩の力を抜いた。
――というか、ゲームまで得意なのかよ。
このPCどころではない高スペックだ。
対戦モードに入り、キャラを選択する。俺は当然、メインで使っている響を選ぶ。乙村さんは――。
――彩女!?
合気道の使い手で、いなし技やフェイントを得意とするファイターだ。
――このテクニカルなキャラを……?
いやしかし、乙村さんならば、あるいは。
俺は生唾を飲みこむ。
試合が始まった。
小刻みにステップを踏みながら乙村さんの出方を見る。しかし彼女はぴくりとも動かない。
――……?
パンチしてみる。なんなく当たる。
膝蹴りを入れる。彩女は吹っ飛んで地面に倒れた。
――……???
起きあがったあと乙村さんはパンチやキックを放った。
誰もいない空間に向かって。
俺はしばらくその謎の演舞を観察していた。
――倒しちゃって……いいんだよな?
彩女の上段蹴りに合わせて肘を入れ、パンチから双掌打のコンボにつないだ。
『K.O』
画面にでかでかと表示された。
「ええと……」
なんと声をかければいいか分からずにいると、乙村さんが言った。
「だいたい分かりました」
その落ち着き払った声に、背筋がぞくりとした。
圧倒的強者の余裕。俺はもしかすると、相手がライオンだと気づかずにじゃれついていた哀れなウサギだったのかもしれない。
つぎの試合が始まる。
俺はバックステップで距離をとった。乙村さんは無防備に距離を詰めてくる。
――……っ!
大胆すぎる行動。俺はさらに逃げる。乙村さんは連続でパンチを放ちながら近づいてくる。
――くっ……!
恐怖のあまり逃げまくっていると、いよいよリング際まで追いつめられてしまった。このままではリングアウトでどのみち負けだ。
俺は破れかぶれになり、威力は高いが隙の多い背中からの体当たり――鉄山靠を繰りだす。
それがカウンターとなり彩女は吹っ飛んだ。体力ゲージも一気に三分の一ほど減る。
――た、助かった……。
しかしまだ試合が終わったわけではない。彩女は起きあがると、まるでなにも考えていないかのようにぐんぐんと近づいてくる。
――ひいっ……!
俺は恐怖に駆られ、相手の動きなど見る余裕もなく、祈るような気持ちであらゆる大技を繰りだした。
そのどれもがクリーンヒットし、彩女はダウンした。
『K.O』
二本先取で俺は勝利した。
――……………………え?
俺はなにが起こったのか分からずフリーズしていた。
なにかのまちがいかもしれない。しかし、もしかして、ひょっとすると、あるいは――。
――めちゃくちゃ弱くない?
試合が終わって冷静になってみると、大胆に距離を詰めてきたりパンチやキックを連打したりしていたのは、単なるガチャプレイ――無作為でいい加減な操作――で暴れていただけのように思える。
というか。
――ド素人では?
ゲームスキルがおばあちゃんレベルだ。
乙村さんはなんでも得意。そう思っていた。しかし神様は、ゲームに関するステータスだけは振り忘れてしまったらしい。
俺ははっとした。恐怖のあまりボコボコにしてしまったが、乙村さんのプライドを傷つけたのではないだろうか。
怒らせてしまったか、あるいは泣かせてしまったか。おそるおそる横目で見た。
乙村さんはきらっきらの笑顔だった。まるで、生まれて初めて訪れたディズ○ーランドでミッ○ーマウスと対面した子供のような、喜びと興奮に満ちた表情だった。
――なにその顔。
「負けちゃいました!」
乙村さんは嬉しそうに言った。
「乙村さん、ボコられて嬉しいのか……? まさか、そういう――」
――被虐的な趣味が?
乙村さんはしばらくきょとんとしていたが、察したようで慌てて否定した。
「ち、違います。ボコボコにされて嬉しいわけないじゃないですか」
「だ、だよな」
乙村さんは顔を赤らめ、自分の身体を抱くようにして言った。
「まったく手も足も出ない状態でいいように弄ばれたのが嬉しいんです」
「より高度なやつ」
まさかそっち方面まで高スペックとは思わなかった。
「だから違います! ――ゲームが下手だっていうことが分かって、すごく嬉しいんです」
「ああ……」
――いや、どういうこと?
ふつう、負けるのも下手なのも悔しいのでは?
「ゲーム得意って言ってなかった?」
「お父さんには負けたことがありません」
そういうレベルか。
「『だいたい分かりました』っていうのは……?」
「これはどうやっても勝てないな、ということを理解しました」
「あんな落ち着き払った顔で?」
「朝、目が覚めて、もう遅刻確定の時間だったら、妙に肝がすわってことさらゆっくりご飯を食べたりしませんか? それと同じです」
「なんか分かるけど。というか乙村さん、遅刻とかするのか」
「もちろん。小さいころですけど」
乙村さんは胸に手を当て、目をつむった。まるで自分の心音に耳を澄ましているように。
「すごくドキドキしてる……」
うっとりとした表情。頬が赤く色づいている。
あの乙村さんの妙に色っぽい仕草に俺までドキドキしてくる。
というか、本人が気づいていないだけで、やっぱり被虐的な趣味が多少なりともあるのではなかろうか。そうとしか思えない言動だった。
「渡来くん」
乙村さんはデスクに手をついて俺のほうに身を乗りだした。
吐息がかかりそうな距離。思わず仰け反る。
彼女は俺の目を覗きこむようにして言った。
「しませんか?」
ささやき声。背中がぞくぞくとした。
「へ、え?」
「もう一戦」
「も、もう一戦、交えたいってこと?」
「はい、交えたいです」
乙村さんは俺と交えたいらしい。
「分かった」
「よかった。つぎはもう少し善戦しますから、本気でお願いします」
「ああ」
第二試合を開始した。
結論から言おう。乙村さんは再び大敗した。変に攻撃を繰りだすものだからかえってカウンターをとりやすく、一戦目よりも試合時間は短かった。
ここまでけちょんけちょんにされたら、さすがの乙村さんもちょっとは気を悪くしたのではないだろうか。そう思い、彼女の顔を見る。
乙村さんは酔ったみたいな陶然とした表情で、ほうと吐息をした。
――だからなんでそんな顔になる……!
負けるのが快感としか思えない。
「わたし、ゲームが下手だ……! ねえ、わたし、下手ですよね?」
「え、ええと……。ま、まあ、初心者ならこれくらいはふつう――」
俺が気を遣って答えると、乙村さんは、
「え……?」
と、この世の終わりみたいな顔になった。
「嘘ですよね……? わたしより下手なひとがいるなんて。渡来くんは見たことあるんですか?」
「あ、あの」
「正直に答えて。見たことあるんですか?」
「……いや」
「ということはやっぱりわたし、下手ですよね」
「まあ」
「はっきり言ってください」
「……へ、下手」
「ただの下手じゃありませんよね? どれくらい下手ですか? 言ってください。聞きたいんです」
「すごく下手」
「その程度じゃありませんよね?」
「ド下手くそ」
「まだ足りません!」
「ちょっと信じられないくらい下手くそで最初はふざけてるのかと思った。本気だって分かっていまは引いてる」
乙村さんは頬を赤らめ、微笑んだ。
「ありがとうございます……」
――なんだこれ。
つい昨日までもう一生まともに会話することはないだろうと思っていたのに、一緒にゲームをプレイしたばかりか訳の分からないプレイにまで付きあわされている。
「とうとつで恐縮なんですが、あの……、お願いがあって……」
乙村さんはもじもじしている。
「もう罵倒のストックないけど」
「罵倒? そうではなくて、その……」
散々言いよどんだあげく、ぎゅっと目をつむり、ひっくり返った声で言う。
「わ、わたしに! ゲームを教えていただけませんか?」
――ゲームを、教える……?
俺が? 乙村さんに?
「格ゲーを?」
乙村さんはこくりと頷いた。
「なんでも得意な乙村さんとしては、苦手なものがあるのが許せないって感じ?」
「なんでも得意……?」
乙村さんはきょとんとした。
「わたし、なんでも得意なんかじゃありません」
「でも、色んな部活で助っ人やってるだろ」
乙村さんは目を伏せた。
「ひとの真似が得意なだけです」
「真似?」
「上手なひとたちを観察して、そのひとの真似をしているだけ。だからある程度の水準まではすぐ上達しますけど、そこから全然伸びないんです」
「それだって才能じゃない?」
「でも、ひとつのことに没頭して努力したひとたちに、わたしは絶対に勝てない。一度も勝てたことがないんです」
いつも朗らか乙村さんの、こんなに悔しそうな顔を俺は初めて見た。
「それならわざわざ一番苦手なゲームじゃなくても」
「ドキドキしたから」
「え?」
乙村さんはまた胸に手を当てた。
「サッカーもバレーもすごく楽しい。でもこんなにドキドキしたのは初めてだから。苦手でも――ううん、苦手だからこそ、頑張る価値があるんじゃないかって」
顔に喜びの色をにじませる。
それを見て俺は思った。
――不合理だ。
わざわざ苦手なことを選ぶなんて。しかもそんなに楽しそうに。
でも――。
『大事なのは合理的かどうかより、自分がやりたいかどうかではありませんか?』
乙村さんの言葉が頭の中をよぎる。
「分かった」
気がつくと、俺はそう口にしていた。
「え?」
「ゲーム、うまくなりたいんだろ?」
「……いいんですか?」
「ああ」
「う、うう……!」
乙村さんは手で口元を覆った。目尻には少し涙が浮かんでいるように見える。
「よかった……! 緊張した……」
「そんなに?」
「こんなこと打ち明けるの、渡来くんが初めてだったから」
深い意味はないが、俺は『渡来くんが初めてだったから』という音声を脳に深く刻みつけた。
乙村さんは俺に向き直り、うやうやしく頭を下げた。
「よろしくお願いしますね、師匠」
そしてちょっと照れくさそうに笑った。
たまたま同じ年に生まれ、同じ都市に住まい、同じ学校の同じクラスになっただけで、そうでなければ話すことすらなかっただろう正反対で遠い存在。それが俺にとっての乙村さんだ。
それが、一緒にゲームをプレイしたばかりか訳の分からないプレイにまで付きあわされ、本当の気持ちを知り、そして彼女の師匠となった。
昨日と状況が変わりすぎて頭がくらくらしそうだ。
しかし。
――俺も乙村さんみたいな顔ができるようになるのかな。
慌ただしく移りゆく中で、そんな期待だけはしっかりと胸の中にあった。
乙村さんはためらいがちに挙手した。
「さっそく師匠に聞きたいことが」
「うん?」
「『カクゲー』ってなんですか?」
「そこから!?」
思わず声が裏返る。
「というかさっき頷いてたよな?」
「なんというか、雰囲気で」
と、ばつが悪そうに笑う。
前言撤回。不安しかねえ。