第16話 運んで落とす
「前前K、PP前PP……」
待ちあわせ場所のゲーセン前に現れた乙村さんは、据わった目でずっとぶつぶつ言っている。
黒のニットと茶のロングスカート、上にボアブルゾン。初めて見た彼女の私服。大人びたコーディネート。デパートで待ちあわせ。まるでデート。
胸が高鳴る要素は勢揃いなのに――。
「前前K、PP前PP……」
この念仏のせいで、そんな煩悩はかき消された。
「あの……、大丈夫?」
「はい前前K、大丈夫PP、ですよ前PP」
――全然大丈夫じゃねえ……。
完全に『なにか受信したひと』である。
乙村さんは額に手をやった。
「ごめんなさい。昨晩、延々とコンボの練習をする夢を見てしまって……。いまだに引きずっています……」
「分かる……!」
ゲーマーあるあるだ。ゲームを夢中でプレイした夜は、決まってそんな夢を見る。
つまり乙村さんは、技量はともかくとして本当にゲームを楽しんでおり、立派なゲーマーになりつつあるということだ。
俺はうんうんと頷いた。
「成長、したな……」
「どうしたんですか? 急にしみじみとして」
「順調に沼にはまってるなって思って」
「沼……?」
「楽しんでるなってことだ」
「なるほど。――はい、おかげさまで毎日が充実しています」
と、屈託なく笑う。
「じゃあ、そろそろ行こうか」
俺がゲーセンのほうへ歩きだすと、
「あ、あの」
と、乙村さんが言った。俺は立ち止まり、振りかえった。
「どうした?」
「少しご相談が」
「なに?」
「ええと……」
しばしもじもじとしたあと、上目遣いで俺を見て、言った。
「返し技、というものがあるじゃないですか」
「ああ、あるな」
相手の打撃をいなして逆に投げ飛ばす返し技は、彩女の代名詞とも言える。
「それが?」
「かっこいいですよね」
「そうだな」
「昨晩の練習で何回かうまく使うことができまして」
「そうか」
「それで、その……、このあとの試合で少し使ってみたいなと……」
「……」
乙村さんはゲームを楽しんでいる。だから色々と試したくなるのも分かるが――。
「今日の優先目標は勝つことだろ?」
「はい」
「なら、不確定要素の大きい方法は試すべきじゃない」
返し技はリスクが大きい。タイミングをまちがえれば無防備になり、かえってピンチを招いてしまう。実践でも多用はされない。
真剣勝負にそんな遊びを入れるなんて不合理だ。勝利を求めるならクールに、そしてロジカルであるべきだと思う。
「ですよね。……すみません」
乙村さんはばつが悪そうに笑った。
「では、行きましょう」
俺たちは決戦の地――格闘ゲームコーナーへ向かった。
礼音くんはすでに到着していた。例の取り巻き女子三人組も一緒である。
女子三人はシロクマかなにかのぬいぐるみを持ってきゃいきゃいとはしゃいでいる。どうやら礼音くんがクレーンゲームで獲得したものをプレゼントしたらしい。
――このイケメンがっ。
近づいてくる俺に気がつくと、女子たちの表情が一気に冷めた。
「あ、哀れが来た」
――『哀れ』をあだ名みたいに……!
胸がむかむかとしたが、俺は「ふう……」と息を吐きだして気持ちを落ち着けた。
――セコンドの俺が熱くなってどうする。クールに、クールに……。
俺は乙村さんに笑いかけた。
「ははっ、最近の小学生はませてるね」
「大丈夫ですか? 鬼瓦みたいな顔になっていますけど……」
ちょっぴり顔の筋肉が引きつってしまったようだ。
そんな俺とは対照的に、礼音くんはナチュラルな笑みを浮かべてたたずんでいる。
「こんにちは、お姉さん。今日はよろしく」
「こんにちは、礼音くん。お手柔らかにお願いしますね」
向かいあう美少年と美少女。その光景を枠で囲めば少女漫画の一コマにできそうだ。
ふたりはDFの筐体に向かいあって座った。
コインを投入。乙村さんは彩女、礼音くんはスティーブを選択。いつもどおり二本先取で勝利だ。
――さて……。
あの戦術がうまくはまるか。
対戦が始まる。スティーブが隙の小さな技を散らして様子を見てくる。
それに対して彩女も、隙の小さな下段技――しゃがみパンチや下段回し蹴りで対応する。
そんな牽制が何回か繰りかえされたのち、スティーブがサマーソルトキックを放った。
しかし彩女はそれを難なくガードし、隙だらけになったスティーブに前蹴りからパンチと肘のコンボを入れる。
『Ring Out』
スティーブは場外へと落ち、彩女が一本先取。
騒いでいた取り巻き女子たちの声が静まった。
――よし、読みどおりだ。
隙の小さな見せ技からサマーソルトキックにつなげるのはスティーブの基本戦術――ではあるが、一定レベル以上のプレイヤーはあまり使わなくなる。高威力、高リスクのサマーソルトより、やや低威力だが低リスクのコンボのほうが好まれるようになるのだ。
つまり上位陣にとってサマーソルトキックは見せ技ならぬ魅せ技となる。
礼音くんは以前の試合でサマーソルトキックを多用していた。派手で強い技を使い、ギャラリー――取り巻き女子たちに喜んでもらおうという意識が強いのだと推測する。
であるなら対応はシンプルだ。サマーソルトを警戒し、しっかりと防御。そして反撃。
しかしぼうっと防御していては投げられてしまう。ゆえに下段攻撃を散らすのだ。そうすれば容易に投げられることはなく、なおかつサマーソルトを誘うこともできる。
だから乙村さんには、下段攻撃を出したあとしっかり防御することを徹底してもらった。そしてうまく防御したあと、隙だらけになったスティーブにコンボを入れる。
コマンド入力が簡単で、かつ相手を運ぶ距離がもっとも長いコンボだ。長々と対戦していては、まだ初心者の乙村さんはきっとボロを出してしまう。だから最速で勝利できるリングアウトを狙う。
そしてその狙いは見事にはまったというわけだ。
ちらっと乙村さんの顔を見る。さぞかしご満悦だろう、と、思ったのだが――。
勝利したというのに、なんだか冴えない表情をしていた。
――……?
ぼこぼこにされるのはともかく、相手をぼこぼこにするのは好きじゃないとか? いや、練習で俺のことを散々殴っておいてそれはないだろう。
まだ一本先取しただけで勝利したわけではないと、気を抜いていないということだろうか。しかしそういう表情ともまた違うような気がした。
つぎの試合が始まる。
事実上サマーソルトを封じられたスティーブは膝蹴りからのコンボを狙ってくる。しかしそれでもこちらの対応は変わらない。膝もサマーソルトと同じ中段技であるため、確実に防御をして反撃すればいい。
のだが。
膝蹴りはサマーソルトと比べて隙が小さく、コマンド入力が遅れると相手の防御が間にあってしまう。
前蹴り始動のコンボを防御され、逆にコンボを入れられる。
そしてこれといった打開策を見出せないまま、一本とりかえされてしまった。
――初心者の弱みがもろに出たな……。
地力がないから対応力に差が出てしまう。やはり付け焼き刃で勝利するのは無理なのだろうか。
すぐ側で『ギリッ』と音が鳴ってびくりとなった。その音は俺の奥歯が鳴らした音だった。いつの間にか顎に力が入っていたらしい。
――落ち着け、俺が力んだところでどうなるものでもないだろ。
俺は「ふう……」と息をついた。
そして運命の三試合目。
下段→防御の行動を繰りかえしていれば、やがて相手もそのパターンに気づき、投げを狙ってくるだろう。
そうなった場合、しゃがみからのアッパー――彩女の場合、掌底の打ち上げだが――を狙うように伝授してある。そこからまたリングアウトを狙っていく。
しかし三試合目ともなれば相手も場外負けを警戒しており、常にリングの中心に近い位置をとるようになった。
こうなってしまうと泥仕合だ。お互いに攻めあぐね、威力の低い技でちくちくと削りあうだけ。
そうすると力量の差が出て、徐々に彩女のほうが押されていく。
――やっぱり駄目か……。
しかし、ほんの少し前までガチャプレイをしていたド素人だったことを考えればかなり健闘したほうだ。
負けはしても、決して惨敗ではない。称えられてしかるべきだろう。
それに、乙村さんが負けることを、俺は心のどこかで望んでいたような気がする。目標が達成されなければ、まだ彼女とのつながりを継続できるから。
体力のバーは残りわずか。もう勝ち目はない。
そのとき乙村さんが俺の顔を一瞥した。
助けを求めるような目――ではなかった。なにか一種の決意が込められた、力強いまなざしだった。