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中華街の暗殺者 7

 

 太陽が地平線に吸い込まれていった。午後六時。世間の認識が夕方から夜へと変わる。あたしはタバコを吸おうとしたが、止めた。

「あいつから貰ったライターじゃないと満足出来ない……はっ、完全に毒されてるな」

 と、吸いかけたタバコをポケットにしまう。

「さぁて、狐狩りの時間だ」

 あたしはエレベーターに乗り込んだ。

 エレベーター内の無機質なアナウンスが「五階です」と告げる。

「誤解してたよ。李 飯餡は中華街の未来の為に死んだんじゃない。信じてた奴に裏切られたのさ」

 と、あたしは社長室の扉を景気良く開け放った。社長椅子に座る王 喜元。その後ろに立つ副社長琅。見慣れた光景だ。

「今晩は社長」

 と、あたしは営業スマイルを張り付けた顔をして言った。

「ガラスの机なら弁償しなくてもいい。だが、代わりに私の依頼を受けて貰いたい」

「ペットになる件ならもう少し返事を遅らせてくれ。逮捕(パク)られるかあんたのペットになるか真剣に考えているところなんだ」

「その話は一旦保留だ。飯餡社長を殺した犯人を消して欲しい。これが依頼の内容だ」

 と、喜元は言った。琅の表情は例のごとく固いままだ。

「依頼料は?」

「生きているだけでもありがたいと思え」

「逆らう余地は無いってことか」

 と、あたしはソファに座った。カバンの中からレポート用紙の束を取り出す。

「じゃ、手始めにその依頼(・・)の調査結果を聞いてもらおう」

 と、あたしは調査結果をまとめた書類を机の上に置いた。琅が紙一帯を拾って、

「すでに調査を進めていたということですか?」

 と言って書類を喜元に手渡す。

「中華街の暗殺者が捕まればあたしの濡れ衣も晴れると思ってね」

「そいつは重畳(ちょうじょう)。意外と真面目なんだな」

「これしか能が無くてね。まず、最初のページを見てほしい」

 喜元と琅が書類のページをめくる。調査結果の目次が現れる。


  1:四十年前の隠事件について


  2:二週間前、一週間前の隠事件について


  3:李 飯餡氏殺害事件について


 喜元が顔をしかめる。

「ここまで細かく調べる必要はないだろう。隠の正体は〇〇です。毒を飲ませて殺害します。二言あれば足りるはずだろう」

「あたしも簡単に済ませたかったよ。けど、隠事件は単純明快な事件じゃなかった」

「自分としては詳しく拝見しておきたいです」

「琅がそう言うなら仕方ない。話を始めろ」

 と、喜元は椅子に深く腰掛けた。あたしは次のページをめくるよう指示した。


  はじめに


 前提として、現在隠(中華街の暗殺者)は二人存在している。四十年前の隠事件(中華街創造反対主流派連続殺人事件)で犯行を行った隠。二週間前、一週間前の隠事件(中華街革命派重役殺人事件)で犯行を行った隠。本調査書では前者を『初代』後者を『二代目』と表記する。


   1:四十年前の隠事件について


  1‐1事件概要


 中華街創造に反対していた人物(主流派)が何者かに暗殺される。計七人が殺害されている。


 四人目まで:事件現場の血痕は完全に拭き取られている。


 五人目、六人目:事件現場の血痕は半分ほど拭き取られている。


 七人目:事件現場の血痕はわずかに拭き取られている。


 犯人の利き手は右利き。四人目の被害者を殺害後、何らかの原因で色盲を(わずら)ったと考えられる。拭き取られている血痕の量が減っている理由は色盲によるためと結論づけた。


 この事件の犯人は初代。


  1‐2初代の正体と現在の近況


 初代の正体は周 即運。徐 楽泰に仕えた護衛の一人。現在の消息は不明。記録や資料が微量しか残っておらず、安否共に不明である。


 喜元が興味深い顔をして訊いてくる。

「隠は一人じゃなかったのか?」

「ああ。秘密裏に継承されていたらしい。二代目については次のページに書いてある」

 と、あたしはページをめくった。


   2:二週間前、一週間前の隠事件について


  2‐1事件概要


 中華街未来化計画に賛成している人物(革命派)が何者かに暗殺される。計二人が殺害されている。


 一人目、二人目ともに事件現場の血痕は完全に拭き取られている。


 犯人の利き手は左利き。よって、初代はこの事件の犯人には該当しない(初代は右利き)。そもそも、初代は片目が上手く機能していないため、血痕を拭き取ることが出来ない。


 この事件の犯人は二代目。


  2‐2二代目の正体と現在の近況


 二代目の正体は(まー) 分棋(ふぎ)。楽都島中華街にある楽々酒家の店長。


 喜元が再び顔を上げる。

「つまり、私のビジネスパートナーを闇に葬ったのは二代目隠ということか」

「隠の名が受け継がれていたなんて……」

 各々が感想を述べる。その後、喜元が最後のページをめくった。

「次のページには飯餡社長を殺した犯人の写真が貼ってある。じっくりと見てくれ」

 と、あたしは自分の分の書類をカバンの中にしまいながら言った。最後のページにはこう書いてある。


 飯餡社長を殺したのは――王 喜元である。


 文面の下には喜元の写真が貼り付けられているだけ。説明文は一文字も書かれていない。

「何の冗談だ」

 と、喜元は書類を社長机の上に放り投げた。

「言葉通りの意味ですけど何か?」

 あたしはわざとらしい敬語を使って質問に答えた。

「根拠も無く人を犯罪者呼ばわりするのは良くないな」

「そのセリフ。そっくりそのままお返しするよ」

 と、あたしは眼力を強めて言った。琅が横槍を入れる。

「納得出来ません。社長の言う通り、明確な根拠を示して下さい」

「わかった。おい、狐野郎。よく聞けよ?」

 喜元が眉間にしわを寄せる。聞いてやる、そういう意志表示だった。

「飯餡社長は殺した犯人の利き手は右手。この時点で、一番有力だとされていた二代目隠は容疑者から外される。同時に、あたしも容疑者から外れることになる。二代目と同じ左利きだからな」

 と、あたしは白衣のポケットからペンを取って、それを左手でくるくると回した。

「飯餡社長が殺された社長室に血痕は残っていなかった。この事実によって、初代隠も容疑者の(わく)からから外れることになる。初代は赤色が見えない。血痕を拭き取れない奴に今回の犯行は不可能だ」

「二代目が利き手ではない手で殺したのかもしれないし、初代の色盲が治っていたかもしれない」

 と、喜元が言った。あたしは喜元の反論をその場で撃ち落とす。

「隠は二人とも伝統派だ。同じ伝統派である飯餡社長を殺す動機がない。しかも、事件当時二人にはアリバイがある。二代目は楽々酒家でバイトと一緒に深夜残業。初代は都内のカウンターバーでバーテンダーと話していたそうだ」

 琅が複雑な顔をしている。どっちの味方につけばいいのか迷ってる状態だ。

「あたしは隠以外の誰かが犯人だという所まで歩を進めた。けどな、そこで気付いたんだ。部下の話を聞いた途端に(ひらめ)いたよ。王 喜元以外に飯餡社長を殺すことは出来なかったってな」

「そんなものは当てつけに過ぎない」

「黙って聞いてろ。ここからが面白いんだ。飯餡社長は犯人に気付くことなくこの世を去った。この部分が大きく矛盾している」

 と、わたしは立ち上がった。そのまま歩いて扉の所まで戻る。何秒間か室内に静かな空気が流れる。

「犯人が飯餡社長のもとに辿り着くにはここから歩いて行くしかない。この部屋には窓も通気口も無いからな。でも、それだとどう頑張っても気付かれる」

 喜元の部屋は飯餡社長の社長室と全く同じつくりになっている。この部屋で説明しても支障は無い。

「部屋が縦に長過ぎる。外部の者がその扉から侵入すれば絶対バレる。飯餡社長の背後に、飯餡社長に気付かれずに回り込むことは出来ない」

 わたしは喜元と琅の位置を再確認する。そして、喜元に向けて、

「あんたがまだ副社長だったあの日。あんたはそこに立っていたはずだ」

 と言って琅が立っている場所を指差した。

 現在、社長椅子には喜元が座り、その斜め後ろに琅が立っている。つまり、事件当時、社長椅子には飯餡社長が座り、喜元が飯餡社長の斜め後ろに立っていたことになる。そう、喜元は全人類で唯一飯餡社長の後ろに矛盾なく立つことが出来た人物なのである。

「その位置からなら……飯餡社長の首を簡単に切れるだろう?」

「言いたい事は分かった。私なら飯餡社長の背後に何の疑いも無く立てる、そういうことだろ?」

「ご名答」

「だが、考えても見たまえ。私が中華刀を腰にぶら下げて社長室に入ったら、飯餡社長に門前払いされるのが関の山だろう」

 喜元の表情にはまだ余裕があった。琅はあたしの推論を必死に理解しようとしている。

「中華刀を持ち込む必要はない。凶器は社長室に飾ってあったんだから」

 と、あたしは部屋の最奥。絵画が飾ってある壁へと向かって歩き始めた。

「この前ようやく思い出したよ。あたしが飯餡社長に触らせてもらったアンティーク物の中華刀は、社長机の後ろに飾ってあったんだ」

「た、確かに絵画を飾る前は中華刀が壁に……」

 琅の黒目がしだいに大きくなっていく。飯餡社長殺害事件の全貌がわかってきたようだ。

「王 喜元は壁に飾ってあった中華刀を使って李 飯餡を殺害した。中華刀を支えるための出っ張りが二つ壁から突き出ている。あんたは焦った。この出っ張りに何か物を置かなければ、凶器の中華刀が飾られていた事が警察にバレてしまう」

 あたしは歩きながら話を続ける。

「そこで、あんたはこの絵を出っ張りの上に置いたんだ。もちろん、自分の部屋にも全く同じ絵を飾った。これで偽造工作は完璧。だが……あんたはミスを犯した」

 と、あたしは絵画の額縁を触って言った。

「この部屋の絵は上から紐で吊るされている。飯餡社長の社長室の絵は下から出っ張りで支えられている。あんた……あたしと最初に会った時言ってたよな? 私の部屋と社長の部屋は同じです」

 喜元は振り向かない。自分が偽造のために飾った絵画を見ようとしない。

「難易度の高い間違い探しだったよ。まぁ、おかげで飯餡社長が抵抗せずに死んだ理由がわかったからいいんだけどさ」

 と、あたしは喜元の社長机の引き出しを開ける。

「あんたはこうも言ってた。血だらけの社長室から社長の血液を拝借して、あの中華刀にべったりと塗っておいた……。この発言はどう考えてもおかしい」

「なぜだ」

「隠が犯人だった場合殺害現場に血痕は残ってない。拭き取られてるからな。あんたが血痕を拭き取る前に中華刀に血を付けたんだろ? そうでなきゃ話が合わない」

 あたしは引き出しの中からライターを奪った。満足した顔でソファに座る。

「あたしは嫌いな男のセリフを絶対に忘れない。あんたは最初から自白してたんだよ。私が飯餡社長を暗殺しましたってな」

 と、あたしは愛用のライターでタバコに火を付ける。紫煙を揺らす。

「チェックメイト。お前の負けだ」

 と、あたしは喜元を揶揄(やゆ)した。

 琅が書類の裏表紙を茫然(ぼうぜん)と見続けている。そこには何も書かれていないというのに。




「面白い。面白過ぎる」

 幾度(いくど)か沈黙が流れた後、喜元が声を発した。

「興味深いおとぎ話だったよ」

「ご静聴どうも」

 と、あたしは言った。

「しかし、非常に残念だ。君が話してくれたおとぎ話は歴史に残らない」

 と、喜元は絵画の後ろに手を伸ばした。

「記録に残らなければ世に知れ渡らない。そうだろう?」

 と、喜元は絵画の裏からリング状の武器を手に取った。あれは……(けん)だ。円形状の金属に(やいば)を付けた戦闘用のフラフープ。あたしも実物は初めて見た。

「中華刀よりも容易(たやす)く首を切断出来るすぐれ物だ。記念すべき一人目は……君だ」

 喜元が圏を投げようとする。その顔面に拳が飛ぶ。

「……貴様! 社長の私に歯向かう気か?」

「お前は俺の上司なんかじゃない! この外道!」

 と、琅がもう一度喜元の顔を殴ろうとするが、その手が切られてしまう。

「切れ味はお前で試すことにしよう!」

 琅の足にも圏の刃が襲いかかる。琅の足が赤く染まる。

「くそっ!」

 あたしは身の危険を察知して扉へと走り出す。しかし、脱出口へと続く道は長い。

「どこまで行こうと同じことだ! その首! 切らせてもらうぞ!」

 と、喜元が背後から叫ぶ。圏を投げようとした喜元の肩を一発の銃弾が走り抜けた。室内に銃声が轟く。

「ぐあっ!」

 と、喜元は圏から手を離す。あたしは西上の肩に寄りついた。

「よぉ犯罪者。おれと話すのは二回目だったかな?」

 西上、どうしてお前はいつも絶妙なタイミングで現れるんだ。そのせいで鳥肌が止まらない。

「お前のニヤケ面を見るのは初めてだ」

「声は聞いたことあるはずだぜ。霊宝軒の神 西櫂です……なんてな」

「貴様ぁ! 私の事をコケにしやがって!」

 西上があたしの肩を抱く「安心しろ、後はおれに任せとけ」あたしは西上の胸に手を寄せた。

「部外者が出しゃばるなよ!」

「悪役は悪役。主人公は主人公。ヒロインはヒロインを演じてればいい。狐じゃどう頑張っても主役にはなれないんだよ」

「貴様が主人公? 笑わせるな! 全てにおいて私の方が上だ!」

「俺は読者さ。いざとなったら本のページをめくって時間を戻すことだって出来るぜ? それにな、ページを破いてしまえば、嫌な部分は無かった事になる」

 と、西上は口元に笑みを浮かべて、

「俺は稚拙(ちせつ)(ゆが)んだ物語には登場しない。出演NGなんだなぁ、これが」

 と言った。喜元の表情が悲痛と怒りに満ち溢れていく。

「それじゃあな、愚鈍(ダル)(フォックス)さん。これからおれたちは打ち上げなんだ。ああ、そろそろこのビルの地下から花火が打ち上がるぜ」

 見計らったかのようなタイミングでビルの地下から爆音が響く。

「貴っ様……私の店に火を……」

 西上はあたしにビルの地下室を調べてくると言っていた。西上の読み通り、このビルの地下室には大量の酒類が保管されていたようだ。もちろん、全部他の店から盗まれた物だが。

「放火は重罪だぜ、社長さん。おれは地下の秘密倉庫を見てきただけ。地下廃棄物処理場の中には大量の食料とアルコール類。当然、大量のゴミも貯蔵してあった」

 西上が扉越しに説明を続ける。

「そのゴミの中に……血痕が染み付いた布片(ウエス)の山を見つけた。飯餡社長を殺害した時に使用した物だな。飯餡社長の社長室の塗装には酸化重合型の塗料が使われてる。酸化重合型の塗料を使った壁を拭いた布片を重ねて放置してると――再び酸化重合して自然発火するのさ。自業自得だな」

 喜元の表情が憤怒(ふんど)から焦燥(しょうそう)に変化した。

「地下室にはアルコール度数の高い酒がたくさん置いてある。火種にはピッタリ――」

「どけ!」

 と、喜元はあたしたち二人を突き飛ばして階段を駆け下りていった。西上が呟く。

「じゃあな、狐野郎。地獄で楊貴妃が待ってるぜ……」

 西上の弔辞は喜元の耳に届くことは無かった。




「火事です! ビルから避難して下さい!」

 わたしは救急隊員の格好をしてビルの住民を避難させていた。本物の救急隊員も近くにいっぱいいる。

「階段から人が降りて来たぞ!」

 救急隊員の誰かが叫ぶ。ビルの大動脈を繋ぐ大階段は混乱を極めていた。吹き抜けの一階から三階が喧騒(けんそう)に包まれる。

「走らないで下さい!」

「落ち着いて! 落ち着いて外へ避難して下さい!」

 消防隊員、ウエイトレス、救急隊員、警察官、お客さんにビジネスマンがビル内で走り回っている。地下室からは火の手が上がり、その勢いは時間を増す度強くなってきている。

「五階で要救助者を一名救出した! あたしが病院までの間車内で治療する!」

 と、白衣を着ている一人の女性。隣にはスーツ姿の男性が女性の肩を借りて口元を押さえている。

「わたしの救急車空いてます!」

 と、わたしはその女性のもとへ誰よりも速く近づいて行ってアピールした。女性が頷く。

「よし、救急車の所へ案内してくれ」

 わたし達三人はビルの外へと脱出した。すぐに救急車の後ろの部分が大きく開く。

「出して下さい!」

 と、わたしは救急車の助手席に乗る。運転手が白衣の女性とスーツの男性が乗り込んだ事を確認すると、救急車が走り出した。サイレンの音がしだいに遠のいて行った。

「迫真の演技でしたよ」

 と、ハンドルを握っていた英人くんが言った。

「本当の救急隊員みたいだったでしょ」 

 と、わたしは白いヘルメットを外して言った。救急隊員はわたしと英人くん。白衣の女性は姉さん、スーツの男性は西上所長だ。最後の仕事は無事完了した。

「ここまで大きな騒動になれば世間の注目も集まるというものです」

「ちょっと大騒動過ぎない? ビルにいた人……大丈夫かな」

「その点においては心配ないそうです。西上所長が発生前に消防へ連絡してますから」

「なんて言ったの?」

「中華街のビルが火事になると思うから準備しといてくれ。そう言ったそうです」

「消防署の人もびっくりしただろうね」

「ええ。西上所長にはいつも驚かされてばかりです」

 消防の緊急無線が救急車の車内にも流れてくる。

「火元の鎮火を確認。火元の鎮火を確認。死者0名、怪我人2名。いずれも軽傷。繰り返す。火元の……」

 後部座席の救急ベッドで西上が横になっていた。

「死人が出なくて良かったな。地下室の狐も救助されたみたいだ」

「ちょっと過剰演出だったかねぇ」

「これくらいがちょうど良いだろ。刑事だって嫌でも動く」

 と、あたしは西上の隣に寝そべる。

「今日は疲れた」

「このベットは一人用だぜ」

「ギリギリ入るだろ」

「毒島先生」

「なんだ。重症患者なら大人しく寝てろ」

「人工呼吸して下さい。おれ、死んじゃう」

「してやろうか? 窒息死するぐらい激しいやつを」

「今日は何時になく積極的だねぇ。じゃあ俺も――」

 二人の会話はそこで途切れた。理由は……訊くだけ野暮ってもんだろ?



 社長室に取り残された狼は一人天井を見上げる。

「正直者が馬鹿を見る……か。不憫(ふびん)な世の中だ」

 頭の中で記憶が交差する。組織を裏切り、見ず知らずの女の子を抱えて、森の中を走ったあの夜。あの頃は若かった。自分の中の正義に自信が持てた。絶対だと思ってた。

「俺の最期にしては上々だな」

 あの女の子は元気にしているだろうか。死ぬ前に一度でいいから会いたかった。遠くから姿を見守るだけでもいい。あの子の瞳が俺の正義を生き返らせたんだ。

「アナタの行動は正しいモノでしたよ。狼サン」

 女性の声。なんとか身を起こす。青いチャイナドレスを着ている女性が社長机に座っていた。

「誰だ? どうしてこんな場所にいる」

「狼に育てられた暗殺者の娘デス」

「……怜悧?」

 馬鹿な。怜悧がここにいる訳が無い。あの子は遠い場所にいるはずだ。楽都島なんかより、ずっとずっと遠い場所に。

「だいぶ老けましたネ。一緒に暮らしていた頃はモット若々しくて無鉄砲だったのに」

「本当に怜悧なのか?」

「ハイ」

 信じられない。俺は幻覚を見ているのだろうか? 

「怜悧の方こそ……綺麗な女性になったじゃないか」

 怜悧は無言で社長机から降りた。

「下の階マデ降りましょう。手伝いマス」

「あ、ああ」

 と、狼は動かなくなった左足を引きずりながら歩く。

「……今、何してるんだ?」

「探偵の助手をしていマス」

「なら、よかった。暗殺者なんて言われたらどうしようかと思ったよ」

 狼は怜悧に支えられてなんとか一階まで辿り着く。

「もう少ししたら救急か消防の人がアナタを見つケテくれます」

「そうか……ありがとう」

「ワタシは生きています。だから、アナタも生きてください」

 怜悧は狼の身体から手を離す。

「祖父からの伝言です。どうか、中華街の未来を正してください――」

 と、怜悧は開いていた窓から姿を消した。

 

 第二話 完

   

    

  

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