中華街の暗殺者 4
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最近同じような依頼を何回も受ける。商品の在庫がおかしい。ビールの数が足りない。店の倉庫から酒類が全部無くなった。屋根裏部屋に幽霊でも取り憑いてんのかねぇ。
「探偵は霊媒師じゃないんだけどなぁ。ま、幽霊さんには何かと縁がある会社だけっども」
と、おれは楽々酒家の前に車を停める。鍵を開けたまま店に入る。
「いらっしゃいませ」
「店長さん。この店に白衣を着た可愛い顔のお姉さん来てない?」
「確かに私はこの店の店長ですが……どうしてそれを?」
「顔を見りゃわかるよ」
と、おれは口元に笑みを浮かべて言った。店長はおれの職業をそれとなく悟ったようだ。
「私のことを店長だと言い当てたお客様が右奥の席で寝ています」
「ありがとう。これ、迷惑料ね」
おれの手から羽ばたいた一万円札がキャッシュトレイに舞い降りる。
「迷惑料だなんて! 受け取れません!」
「おれの嫁は酒癖が悪いんだ。これぐらい払わないと気が済まなくて」
「ですが……」
店長の視線を背中に受けながら右奥の席に足を運ぶ。
「気にすんなって。チップだと思ってくれりゃいい」
と、おれはハルの身体を揺さぶる。
「起きろー」
ハルのスベスベした頬をベちべちとたたく。
「んあ? キイくん……?」
おれの名前は西上神鬼朗。名前の鬼からこのあだ名で呼ばれている。
「事務所に帰るぞ、毒りん」
「キイくん!」
と、ハルが抱きついてくる。こりゃあ相当酔ってるな。
「あたし捨てられちゃったのかと思った!」
「おれが毒りんのことを見捨てるわけないだろ?」
「キイくん大好き!」
ハルが素直だ。アルコールが脳の中まで到達しているらしい。
「会計は済んでるのか?」
「律香お姉ちゃんと英人お兄ちゃんが払ってくれたよ」
律香と英人には後で特別ボーナスだな。
「帰ろー」
ハルがおれの腕を掴んで離さない。完全に幼稚園児か小学生だ。ああ、楽しい。
「お連れ様は見つかりましたか?」
「おかげさまでこの通り」
「とても仲が良いんですね」
「これも酒の力のひとつさ」
と、おれは店の扉に手を掛ける。
「是非、またお越しください」
店長が深々と頭を下げる。良心的な店だ。
「今度はプライベートで飲みにくるよ。それと――幽霊によろしく」
と、おれは楽々酒家から出て行った。
律香のメールを見る度に笑ってしまう。
若返りすぎた姉さんを楽々酒家というお店に置いて行くので、
回収してから事務所に帰って下さい。
お願いします(ビールの絵文字)
おれは携帯電話をスーツのポケットにしまって、車のアクセルを踏み込んだ。
「なんでスーツ着てるの?」
助手席のハルがカーラジオで遊んでいる。純粋な目がおれの好奇心を刺激する。
「今日は夜遅くまで仕事だったんだ」
と、おれはハルに向かってウインクする。ハルは急に大人しくなって、
「お疲れ様。今夜はすぐに寝るの?」
と言った。おれはハルの身体全体にアルコールが染み込んだことを確認した。こりゃあ重症だ。
「キイくんから迎えに来てくれるなんて珍しいわね」
ハルの泥酔モードは三段階ではない。幼児化のさらに上が存在する。それは……乙女化。
「一応、お礼を言っておくわ。ありがとう」
と、ハルは頬を赤らめる。普段からこれぐらい純粋だと嬉しいんだけどねぇ。いや、でも、通常時のハルも捨て難い。
「昨夜発生した――李 飯餡社長殺害――事件の捜査は――難航しており――」
カーラジオの電波が偶然ニュースチャンネルを拾い当てる。
「キイくん」
「ん?」
「刑務所の中って禁煙だと思う?」
「どうした? 人でも殺しちまったのか?」
ハルが驚いた表情浮かべる。ハルがおれの顔から目を逸らす。
「毒りん? 泣いてるのか?」
と、おれはハンドルを左に切る。
「……ごめん」
ルームミラーに映るハルの横顔はどこか淋しげだった。信号機のランプが赤になる。
「心配しないで……なんでもないから……」
「ハルは優しいな」
と、おれはハルの頭を優しく撫でる。
「え?」
「おれに迷惑をかけたくないからお口にチャックしてるんだろ?」
「違うわ」
「下手なウソは効かないぜ。おれは探偵事務所の所長だからな」
信号が青になる。おれは再び車を発進させる。
「……片手運転は危ないわよ」
「おっと、悪い悪い」
おれはハルの頭から手を離した。
「キイくんはあたしの心の中を読むのが得意なのね」
「いやぁそれほどでも」
「褒めてないわよ。でも、嬉しかった」
と、ハルはゆっくりと微笑んだ。
「それで? 毒りんは誰を殺しちゃったのかな?」
「あたしは殺してない。けれど、あたしが殺したことになっちゃうの」
「難しいなぞなぞだな」
「もう、ふざけないでよ。あたしは真剣なんだから」
「冗談だって」
「あたし、ハメられたの。飯餡飯店の王 喜元って奴に――」
しおらしくなったハルが事の起こりと途中経過を話してくれた。話の内容は単純明解で分かりやすかったが……ひとつだけ気になる所がある。
「喜元って男は毒りんのライターを拾ったって言ってるんだよな?」
「そうよ。誕生日に貰ったジッポーライターをね」
「変だな」
「どういうこと?」
「おれがハルの誕生日に買ったライターは特注品だ。世界に一つだけしかない」
今でもライターの柄と色を鮮明に思い出せる。思い出せたからこそ気付けたことがある。
「あのライターには髑髏と彼岸花が刻印されてる。思い出せるか?」
「忘れるわけないじゃない。髑髏があなた、彼岸花があたし……」
「そう。二人の隠喩を形にした物が彫られてるんだ。けどな、ハルの名前は彫られてない」
喜元が事件現場に落ちていたライターをハルの物だと判断することは不可能だ。決め付けることは出来ても「毒島ハルの所有物です」と説明することは出来ない。喜元は嘘をついている。
「まさか、喜元はあたしがライターを落とす瞬間を見ていたの?」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」
と、おれは悪戯っぽく笑った。
「――今夜は冷えそうだ。毒りん、タバコ取ってくれ」
「禁煙したんじゃなかったの?」
「したよ。でも、ちょーっと気分を落ち着かせたくなっちゃって」
おれの眼が無意識に鋭くなる。
「キイくん? 怒ってるの?」
と、ハルがタバコに火を付ける。もちろん、おれのライターで。
「いいや、怒ってないよ」
おれはハルのタバコを受け取る。
「可愛い女の子を泣かしたクソ野郎と話してみたくなってね」
中華街の夜道をとびっきりの美女とドライブする。二人きりなら最高だったんだけど……おれたちの仲の良さに嫉妬している女の子がついて来てるみたいだ。盛大に歓迎してあげなきゃな。
「キイくんの車速いねー!」
と、ハルは車から降りて言った。
「Audi R8って言うんだよ」
「あうでぃ? 難しくてわかんない!」
ハルは酔いが醒めるまで幼児化と乙女化を交互に繰り返す。まるで二重人格だってよく言われる。
「ほら、家に帰るぞ」
「足疲れたー」
と、ハルはその場にしゃがみこんだ。やれやれ、手の掛かる女の子だ。
「階段を上るだけだろう?」
「抱っこして」
ハルが上目使いでおれの顔を見つめてくる。そりゃあ反則だぜ。
「しょうがねぇなぁ」
と、おれは両手でハルの身体を持ち上げる。
「えへへ、あたしお姫様みたい」
おれにとっちゃ永遠のお姫様だよ。好きな人ってのは不思議とそう見えるもんだ。
「はい、到着」
と、おれはハルを抱っこしたまま事務所の扉を開ける。
「とうちゃーく!」
「それじゃ、おやすみなさい」
と、おれはハルをソファに寝かせる。
「まだ眠くないよ?」
「もう夜の十時だから寝ないと駄目」
酔いを醒ます意味も込めてな。これ以上泥酔状態のハルと遊んでいたら夜が明けてしまう。
「えー」
「明日また遊んであげるから」
「あ、あたしお風呂入りたい!」
起きるための口実を見つけるのに必死なのが見て取れる。小さい子は頑なに寝ることを拒否したがるから困る。
「じゃあ、お風呂上がったらすぐ寝ろよ?」
「了解でーす」
と、ハルが上着を脱ぎ始める。
「ちょっとストップ」
「ん?」
「ハルは何才?」
「27才!」
年齢と行動が噛み合ってない。ハルが元気に返事をしたその時だった。
「うっ、なんか気持ち悪い……」
ハルの目つきが通常時に戻る。まずい!
「お風呂に入ってスッキリしてきた方がいい」
「あ? なんであたしは西上の目の前でストリップを始めようとしてるんだ?」
「気にすんな。気分が悪い人ってのは無性に服を脱ぎたがるもんなんだ」
「そうなのか。まぁいい、風呂入ってくる」
と、ハルは事務所の二階へ上がっていった。
「ふぅ、危機一髪だったぜ」
今さっき、ハルの意識が戻りかけていた。おれのこと西上って呼んでたし。あんな状況で覚醒されたら一巻の終わりだ。本当に危なかった。
「さて、そろそろお客さんが来る頃かな」
と、おれはスーツの襟を正して言った。
楽々酒家を出発してすぐにお客さんがついて来た。おれの車の後ろを走っていたのは宅配便のトラック。何度道を曲がってもしつこくついて来る。早い話が尾行されていたのだ。
「配達先の住所を知らない運送屋。商売あがったりだねぇ」
おれの愛車――R8のスピードを持ってすれば、中型トラックを無視して走り去る事も充分可能だったが……それだとお客さんに失礼だろ?
「楽都島運送でーす」
犯人が答えを持って訪ねてくる。探偵にとってこんなにも幸運なことはない。プレゼントは素直に受けとらないと損だよなぁ。
「はいはい。今出ますよっと」
と、おれは事務所のドアを開け放った。
「毒島ハル様宛に荷物が届いてます」
「何が入ってるって言われてる?」
「本格中華料理セットですネ。お昼の通販で紹介していマシたよ」
おれの興味は荷物なんかより宅配業者のお姉さんの方に向いていた。背丈はハルと同じくらい。顔はこれまた美人だがイヤーな殺気に満ちている。日本語のイントネーションも若干おかしい。
「嫁が頼んだのかな。そこに置いといて」
「はい。あ、伝票にサインを――」
「お昼の通販で紹介してたのは最新型のパソコンとビデオカメラだ。本格中華料理セットなんかじゃない。それに、楽都島運送は夜十時以降の配達をしていない。君は偽物だ」
現在時刻は二十三時三十分。楽都島運送は業務時間外だ。
「さすが……『所長』さんデスね」
と、宅配業者のお姉さんが不気味な笑みを浮かべる。
「ハニートラップには敏感なんでね。その箱の中に入ってるのは血の付いた中華刀かな?」
相手はおれの問いに言葉ではなく行動で答えた。赤色のナイフが真後ろの時計に突き刺さる。
「お行儀の悪い子猫ちゃんだ。テーブルマナーを教え込まなくちゃな」
「貴様は本当に探偵か? ワタシのナイフを避けたのは貴様が初めてだ」
「子猫ちゃんの初めて頂いちゃいました~」
女の行動は素早かった。いつの間にか作業着からチャイナドレスに着替えている。油断は禁物だ。
「チャイナドレスは赤より青派なんだけどなぁ」
「寝言は寝てから言え」
女は太ももに隠していた暗殺用の爪を両手に装備する。
「そんな冷たいこと言わないでさぁ。名前くらい教えてよ」
「周 怜悧。満足したか?」
「そりゃあもう」
「だったら――」
と、怜悧は鉄製の爪を一口舐める。妖艶な仕草に見入っている暇はない。
「死ね!」
怜悧が右爪を一振り。
「おっと」
おれは怜悧の攻撃を避けて、事務所の中に身体を滑り込ませる。玄関の壁に深い爪跡が残る。あれで引っ掻かれたら痛そうだ。
「往生際が悪いぞ」
「モテる男は負けを認めないのさ」
作戦は決まっていた。おれは作戦を実行するその瞬間を静かに待つ。
「どこに隠れた?」
怜悧が目を光らせる。鉄の爪と壁が擦れる音……まったく、事務所に傷を付けないでほしい。
「そこか!」
と、怜悧は事務所のカーテンをビリビリに引き裂いた。
「カーテンの膨らみはクッションで作ったダミーだ。惜しかったなぁ」
「かくれんぼのコツは無闇に喋らないことだ。今度こそ死ね!」
と、怜悧は机を蹴り飛ばして両爪を一突き。しかし、そこには誰もいない。
「正解は茶色いソファの後ろでした。もう、怜悧ちゃんのアタックチャンスはないぜ?」
と、おれは事務所のブレーカーを落とした。
室内の灯りが消える。対象『所長』がブレーカーを落としたようだ。
「おれの事務所は結構広い。おれの攻撃を避けられるかな?」
攻撃しているのはワタシの方だ。相手は武器を所持していない。
「無駄な小細工ばかりだな。勝機が無いなら潔く諦めろ」
「怜悧ちゃん。勝負ってのは勝つか負けるかだけじゃないんだぜ」
「訂正する。殺すか殺されるかの間違いだったな」
「フェロモンムンムンだね怜悧ちゃん」
「殺気って言うんだよ。覚えときな」
暗闇に目が慣れるまで時間を稼がなければならない。二階から悲鳴にも似た叫び声が聞こえたが気にしない。
「おれを殺しに来たってことは……おれのことを調べてきたのかな?」
「ある程度はな」
「そりゃ光栄だ。ところで、おれが探偵をやる前にどんな仕事をしてたか知ってるか?」
「興味ないな」
「怜悧ちゃんには特別に教えてあげよう。おれの前職は法の番人――」
両腕に冷たい感覚が走る。ワタシは戦慄した。ワタシの両腕に手錠が掛けられている。
「怜悧ちゃんの驚いた表情……堪んないねぇ」
ワタシは驚愕していた。所長は笑っていた。
「貴様……何をした?」
と、ワタシは声を絞り出した。両手の爪はいつの間にか外されていた。ワタシは後ずさりをしようとしてバランスを崩し、仰向けに倒れてしまった。所長がその様子を見てまた笑う。
「それは企業秘密。さて、ひとつ質問をしよう」
所長が玄関から宅配便の荷物を運んでくる。ガムテープを剥がして中の中華刀をまじまじと観察する。
「折角良い包丁が届いたんだから切れ味を確かめておかないと、な?」
所長がワタシの顔を見てケタケタと笑う。その姿は死神そのもの。
「この手錠を外せ!」
「外して下さいだろ?」
と、所長がワタシ首に中華刀の刃先を向ける。
「誰に雇われた?」
「答える義務は無い」
所長の表情は変わらない。
「じゃあ、ゲームをしようか」
「ゲーム?」
「そう。おれがこの剣を上から落とすから……上手く避けれたら怜悧ちゃんの勝ち。上手く刺さったらおれの勝ちだ。面白そうだろ?」
何を言ってるんだこの男は。人間の言う事とは思えない。途端にこの男が恐ろしくなる。
「……止めろ……止めてくれ」
「動かしていいのは首だけだ」
と、所長がワタシの腹にしゃがむようにして座る。中華刀を持っていない左手はワタシの右肩を押さえつけて離さない。はっきり言ってほとんど身動きが取れない状態だ。
「ちょっと待て! そんなの刺さるに決まってるじゃないか!」
「上手く避けろよ? 後片付けが面倒臭くなるからな」
誰かの血で赤く染まっている中華刀がワタシの顔の上でユラユラと揺れる。
「ゲームスタートまで後3秒――」
「待て! せめてその身体をどけてくれ!」
「2」
「殺すならひと思いに殺せばいいだろう!」
「1」
「ひっ!」
「0」
男の手に握られていた中華刀が自由になる。中華刀は重力に従って下へと進んだ。
ワタシの意識はそこで途切れた。
「ちょっとやりすぎたかな」
と、おれは地面に刺さった中華刀を引き抜いた。
「怜悧ちゃん。本当に刺したらおれが殺し屋になっちゃうでしょ?」
怜悧からの返事は無い。あまりの恐怖体験に気を失ってしまったようだ。
「おい」
と、階段を下りてくる人影。パジャマ姿の毒島ハルだ。メガネも掛けてない。
「風呂場の電気が消えてシャワーから出る温水が冷水になった理由を説明してくれ」
「極めて局地的な停電が発生したんだ」
「そうか。でも、納得できないから火星人が襲来してきたってことにしておくよ」
と、ハルが事務所の冷蔵庫を開ける。ミネラルウォーターを飲んで一言。
「誰だその女は。火星人か?」
「まぁ、そんなところかな」
「浮気するならせめて地球人と浮気してくれ。話が通じないと色々と面倒だし」
「次から気をつけるよ」
と、おれは事務所の椅子に座る。
「なぁ」
「ん?」
「なんでこの女はチャイナドレスを着て、両腕に手錠を掛けて寝てるんだ?」
「火星人は夜中になると無意識に暴れ出す習性があるんだ。だから、こんな風に寝る」
「火星人も大変なんだな」
と、ハルが額に手の平を当てる。
「さすがに飲み過ぎた。頭が痛い」
「ゆっくり休んだ方がいい」
「今日のあたしはつくづく運が悪い。ベッドに入って明日のあたしと交代してくる」
と、ハルはうつろな目をこすって言った。
「そりゃ名案だ。おやすみ」
「おやすみなさい」
ハルが二階へと戻って行った。
「……後で写真を撮りに行かなきゃな」
おれの秘蔵コレクションがまたひとつ増える。ハルのパジャマをすり替えておいて正解だった。
午前零時。日付が変わった。さぁてと、仕事の時間だ。
「まずは警察――」
とある番号に電話を掛ける。110番じゃないよ?
「こちら八柿」
「もしもーし。久しぶりだなぁ、八さん」
「こんな時間に誰かと思ったら……西上か」
「声を聞いただけでわかってくれるなんて、やっぱり八さんはおれの親友だよねぇ」
「用件はなんだ。下らねぇ電話だったら切るぞ」
「あれ? 仕事中だった?」
「今夜もサービス残業だ。中華街の事件が滞っててな」
「それなら話が早いぜ。おれはその事件の犯人を知ってる」
八さんの顔は相当険しくなってるはずだ。電話越しでもその表情が伝わってくる。
「下手な冗談は言わねぇ方がいい」
と、八さんの低い声。
「犯人は一人じゃない。それも、各々が違う目的を持って犯行に及んでる」
「あのな――」
「隠というブランドネームがこの事件を複雑にしてる。全部同一人物の仕業……と言いたいところだけども、それだと矛盾が多すぎるぜ」
「あのな。よく聞けよ」
八さんが強い口調でおれの言葉を遮る。
「俺はお前が違法ギリギリの所で商売してることを知ってる。その気になりゃ逮捕だって出来る」
「おれだって無関係なら関わりたくなかったさ。でも、自分の嫁が巻き込まれたって言うんなら話は別だ。新聞を見て頷くだけの立場じゃ居られなくなったってわけよ」
「はぁ……」
八さんは何かに気付いたようだ。諦めにも似た溜め息が電話越しに返ってくる。
「律香が訪ねて来た理由がようやくわかった。やっぱり、猛毒女が絡んでたか」
「律香ちゃんは姉思いの妹だから、居ても立っても居られなくなったんだろうな」
幽霊探偵全員の性格は把握してるつもりだ。おそらく、今は英人と一緒。
「事件現場に長い髪の毛が落ちててな。第三者の指紋も採取した。まさかとは思ったが……そういうことか」
「毒島ハルは真犯人に利用されたんだ。このまま警察が順調に捜査を進めてたら、中華街の暗殺者は毒島ハルってことになってたぜ」
「ふん。電話してきた理由はそれか」
「ピンポーン。順調に捜査を進めないで欲しいのよ」
「非常に残念なお知らせだ。証拠品は全部鑑識の鍵丘が警視庁に持って帰った。三日後には照合の結果が出る。そうなったら俺にも警察の動きを止めることは出来ねぇ」
「あちゃー、一足遅かったか」
「鍵丘は超が付くほど真面目な鑑識官だ。結果を遅らせるようなことはしねぇだろう」
「でも、三日か」
「あ?」
八さんが声を張り上げる。
「三日あれば充分だ。中華街の謎は全部解ける」
「……西上。お前は何を握っている」
「中華街の命運、かな」
「なんだと?」
「このまま真犯人が捕まらなければ――中華街は中華街じゃなくなる。古臭い店は撤去され、革新的なハイテク中華料理屋が立ち並ぶ。そしたらきっと、昔から中華街にいた人達はストライキを起こすだろうな」
と、おれは皮肉を交えながら言った。
「警視庁にいた時は臆病な奴だったのによ。随分デカイ口を叩くようになっちまいやがって」
「ふっ切れたのさ。何もかも」
昔のおれはこの世を去った。今のおれは哀れな幽霊……時の流れに存在しない存在なのだ。
「俺は捜査を続ける。だが、猛毒女のことは三日間黙っておいてやる」
「恩に切るぜ」
「あんまり派手な事をやらかすなよ。じゃあな」
と、電話が切れる。八さん、相変わらず優しいんだから。
「えーっと、次は飯餡飯店の王さんにお電話――」
飯餡飯店副社長王 喜元。おっと、今は社長だったな。失礼失礼。
「もしもし?」
「夜分に申し訳ない。社長と話がしたい」
おれは念の為声質を変えた。
「あの、どなた様でしょうか」
「霊宝軒の神 西櫂という者だ。霊宝軒の社長をしている」
おれは低い声で名乗った。受付の女性はあわてた様子で、
「すぐに社長にお取り次ぎします」
と言った。二、三回コール音が鳴った後受話器が取られた。
「社長の王 喜元ですが。ご用件は?」
「少々尋ねたいことがある」
「何でしょう?」
「この前、君の経営しているビルの前で白衣の女とすれ違ってね」
「はぁ、それが何か?」
あっさりとした返事だ。もう少し揺さぶってみよう。
「とても印象的な女性だった。思わず見入ってしまったよ」
「……その女性と何か話をしましたか?」
食い付いてきたな。
「ただ一言だけ吐き捨てるように、騙された、と言っていたね」
「あの女……」
「どういう意味か気になってね。中華街未来化計画の革命派としては説明が欲しい」
「革命派の方でしたか」
喜元は革命派という言葉に安堵感を覚えたに違いない。おれは喜元が革命派の人間だということをすでに知っている。同じサイドに立つ人間なら話がしやすいはずだ。
「飯餡が探偵を雇っていたんですよ。中華街未来化計画の裏の部分に気付いて、探偵に計画を止めさせようとしてたんです」
「前社長の李 飯餡は伝統派の人間だったな」
「ええ。しかも、スポンサーである仙田紀行を調べさせるようにあの探偵に命じたのも飯餡です」
「仙田が逮捕されたのは痛手だった。危うく計画が中止になる所だった」
「そうでしょう。全てあの探偵の仕業だったんです。ですから、仕返しをしてやったんです」
「仕返し?」
おれは知らないふりをして訊き返した。
「飯餡が隠に殺されたのはご存知ですよね?」
「昨日――いや、一昨日の出来事か」
「あの白衣の探偵を、飯餡を殺した犯人に仕立て上げてやったんです。飯餡が死んで探偵が捕まれば一石二鳥だと思いましてね」
「ほう、それで君のビルから出てきたというわけか」
「そうです」
全部知ってるよ。そう言い放ちたい衝動を抑えて、おれは喜元にこう提案した。
「その探偵に隠を殺してもらうというのはどうかね?」
「はい?」
喜元が素っ頓狂な声を上げる。
「隠は革命派の人間を次々に殺害している。次に狙われるのは君か……私か……」
「革命派の人間が殺されるとは限りません」
「君も隠を恐れているはずだ」
「話が見えませんね」
「毒島ハルをもっと上手く利用すれば、君が安心して眠れる布団まで敷いてくれる。一石二鳥じゃ物足りない。一石三鳥ぐらいは利益を得ないとな」
おれは一回咳払いをして、
「他でもないこの電話の主も革命派の一人だ。明日にはこの世にいないかもしれない」
「だから、探偵に隠退治を依頼しろと? 都合が良すぎませんか?」
「相互利益だよ。またの名をビジネスとも言うがね」
深夜の事務所におれの話し声だけが響き渡る。
「毒島ハルの探偵というスキルを生かさない手はない。あの女に隠を殺させて、その後でゆっくりと身ぐるみを剥いでいっても遅くをないはずだ。苦い薬は厄介な相手に飲ませるのが一番いい」
「あなたの言っている事は至極最もな話です。ですが、とても人間味が無い。寒気を覚えました。神さん……あなたも相当な悪人ですね」
「君には負けるよ」
と、おれは笑った。喜元もそれに倣う。
「では、毒島には私から連絡を入れておきます。あの女は私に逆らえませんから。しっかりと仕事をこなしてくれるでしょう」
「楽しみにしているよ」
おれは電話を切ろうとした。
「ところで、どうして探偵の名が毒島ハルだとお分かりになられたんですか?」
と、喜元が呼び止めるようにして言った。なるほど、少しは頭が切れる奴らしい。
「妻の浮気調査を依頼したことがあってね。今さっきその探偵の名前を思い出した」
「そうですか。それでは、失礼します」
電話が切れる。おれの顔には笑みが零れていた。堪え切れずに大声で笑う。
「悪人だって? 狐に尊敬されても嬉しくねぇよ!」
と、おれは傍にあった椅子を蹴り飛ばした。ひとしきり笑った後、おれはコーヒーを淹れようと席を立つ。
「ただいま」
タイミング良く玄関のベルが鳴る。律香が帰ってきたようだ。
「おかえり。どうした? 傷だらけじゃないか」
「ちょっと殺されかけました」
「奇遇だな。おれも殺されかけたんだ」
と、おれはいつもの笑顔で椅子に座り直した。
中華街の長い夜が終わろうとしていた。