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中華街の暗殺者 2

   2


 身体が軽い。どうやら水の中にいるみたいだ。とても深い。上を見上げても水面が確認できない。けど、息苦しくない。浮いているのか沈んでいるのか。泳いでいるのか溺れているのか。海の中なのかプールの中なのか……もしかしたら、水槽の中なのかもしれない。声が聞こえる。

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

 人魚が謝罪しているのだろうか? おかしな表現かもしれないが、水の中を飛んでいるような感覚だ。上手く表現できないけど、そんな感じ。また声が聞こえてくる。

「……たしが……かならず……けてあげるから……」




 不思議な夢を見た。電車の中で寝ると良い夢を見ないって姉さんが言ってたっけ。

『次は~楽都島中華街東門前~お出口は~左側です――』

 電車のアナウンスが目覚まし時計の役割を果たしてくれた。わたしは車内の椅子から立ち上がり、電車から降りた。夕方の中華街線は比較的空いている。

 中華街線は東区(ひがしく)一二三(ひふみ)(せん)の愛称。一二三線はその名の通り途中で三つの区域に線路が分かれることで有名な電車。東区、西区、中央区とそれぞれ名字のようなものが付いている。その中でも、東区一二三線は中華街に関係する駅全てに停車するから中華街線というあだ名で呼ばれている。

「へぇ、そうなんだ」

 と、わたしは改札の掲示板に書かれている豆知識を読んで感心する。だから中華街線って呼ばれてるんだ。知らなかったな。

「後で姉さんに自慢しよ。あ、でも、姉さん頭良いから知ってるかなぁ」

 と、わたしはラクノを使って改札を通る。残金は280円。帰るときにチャージしておかなきゃ。

「えーっと、楽々酒家は……東地区のどの辺かな?」

 駅から出るとすぐに中華街の入り口。これもまた中華街線の名前の由来だ。さっそく楽都島中華街と書かれた門の下を通り抜ける。

「お腹空いたな」

 香辛料の香りがわたしの鼻をくすぐってきた。早く晩ご飯が食べたい。姉さんから伝えられたメッセージは「晩飯に高級中華を奢ってやる。中華街にある楽々酒家に今すぐ来い」というすごくアバウトな一言だけ。高級中華は初体験。もちろん、中華街も今日初めて訪れた。楽々酒家なんて初めて聞いたし。

 だから、一生懸命スマートフォンで目的地の場所を調べた。けれど、画面の中の地図と実際に見ている景色は全然違う。挙句(あげく)()てに超広い。二、三度通りを曲がったところで知らない人に声をかけられる。

「そこのキレイなお兄さん! 少しウチに寄っていきませんカ? 可愛い子いっぱいデスよ!」

 チャイナドレスを着た女の人がコスプレ喫茶の勧誘をしてきた。それ以前に気になる点がいくつか。

「あの、わたしお兄さんじゃなくてお姉さんなんですけど……」

「アイヤ! それは、とてもごめんなさいです! でも……それならウチで働いてみませんカ? アナタなら、中華街のトップ狙えます!」

 と、女の人はわたしの眼前まで近づいて言った。なんでそうなるの!?

「もう働いてるので……」

「大丈夫ですヨ! シフトは自由に決められマスから!」

「シ、シフト? 探偵だから副業とかはしちゃいけないと思うし……」

「探偵って名前のお店で働いてるんデスか?」

「そういうことじゃなくて! とにかく、怪しいお店で働く気はありません!」

「待って下サイ!」

 ひっ! 腕を掴まれた!

「一回お店に入ってからデモ――」

「申し訳ありませんが、彼女はすでに他の仕事に就いているんですよ」

 透き通るような声と共にわたしの右腕が自由になる。

「えと、アナタこそ……キレイなお兄さん?」

「はい」

 と、男の人は優しく微笑んだ。落ち着いた表情と天使のような優しい声。同僚の酒井英人くんだ!

「そうなの! わたしはこの人と待ち合わせしてたんだから!」

 と、わたしは酒井くんの腕にしがみつく。

「は、はい。ですが、このような間柄では――」

「お連れサマがいましたか……それなら、仕方ナイですね。デートの邪魔してごめんなサイ!」

 と、チャイナドレスを着た女の人はお店の中へと退散していった。ふぅ、助かった。

「ありがとう酒井くん。おかげで助かったよ」

「え? あ! いえ、大した事はしていません」

「酒井くんも姉さんの食事会に呼ばれたの?」

「ええ。僕だけでなく、その、他の幽霊探偵の皆さんにも声を掛けられている様子でしたよ」

「そうなんだ。今日の姉さんは凄くテンション高かったからなぁ」

「例の報酬金が手に入ったのでしょうか?」

「たぶんそういうことだと思う。そうじゃなかったら夜ご飯なんて奢ってくれないだろうし……」

「律香さん」

「ん? どうしたの?」

 酒井くんの顔色がおかしい。中華街の建物みたいに赤くなっている。

「腕を、離して頂けませんか?」

 知り合いに会った安心感が大きすぎてすっかり忘れてた。

「あ、ごめんね。すぐに気付かなくって」

 と、わたしは酒井くんの腕から手を離す。

「付き合ってるふりをした方が早いかなって思って」

「聡明な作戦だったと思いますよ」

「やっぱり? 酒井くんなら許してくれると思ったから」

 と、わたしは笑顔で言った。あ、また赤くなってる。お酒でも飲んできたのかな?

「指定されたお店に急ぎましょう。毒島副所長が酔い潰れる前に」

「楽々酒家ってお酒が出るお店なの?」

「店名の語尾に酒家と付く中華料理店は食事の間に必ずアルコール類が提供されるんです。日本でいうところの居酒屋とニュアンスが似ていますが、酒家は居酒屋よりも店内が広く料理の種類も豊富です」

 と、酒井くんは言った。駅構内で見た豆知識を披露するのはやめておこう。

「酒井くんはお酒のことに詳しいんだね」

「一応、バーテンダーですから」

 そうだった。酒井くんは幽霊探偵だけどバーテンダーもやってるんだった。顔が赤い理由もわかった。

「今日、酒井くんのお店はお休みなの?」

「僕のカウンターバーは不定休ですから。いつ休んでも問題はないんです」

 あれ? 仕事でお酒を飲んでるから顔が赤いと思ったのに。わたしの推理が外れてしまった。ま、いっか。何はともあれ高級中華。美味しいご飯すぐそこだ。




 隅々まで掃除が行き届いた気品あふれる店内に女の荒々しい声が響き渡る。

「なんであたしの愛を受け止めてくれないんだよー!」

「ふむ。それは愛情の裏返しじゃな」

 と、運悪く女の悪酔いに付き合わされた老人が答える。

「裏返し? じゃあ、本当はあたしのことが大好きってこと?」

「そうじゃ。人間というのは臆病な生き物じゃからのう。本当の気持ち――本心を口に出すことが出来ないんじゃよ。(ゆえ)に、真逆とも言える行動を起こしてしまう」

「なんだよー! 大好きならとっととハグなりキスなりすればいいのによー!」

「白衣のお嬢ちゃん。相当酒が入っとるみたいじゃが、大丈夫かの?」

「大丈夫大丈夫! それより、このよくわかんない肉みたいなの美味しいな! なんなのこれ?」

 と、女は自分で頼んでもいない料理に手をつける。最後の一個が女の胃の中へと消えていった。

「それは腸詰(ちょうづめ)と言ってな。ソーセージとかウインナーの親戚ってところじゃな。焼酎のおつまみに最適じゃぞ」

「焼酎か! そういえば焼酎飲んでなかったな! 焼酎(しょうちゅう)熱燗(あつかん)でひとつ! あと、白桃酒もう一本おかわりね!」

「若いのう。じゃが、あまり飲みすぎんようにな」

「爺さんも一緒に酒飲もうぜ。まだまだ飲み足りないだろ?」

「若くて綺麗なお嬢ちゃんと酒を飲み交わしたいところじゃが、この後ちと野暮用があっての。残念じゃが店を出なくちゃならんのじゃ。ほれ、お連れさんが来たようじゃぞ」

 わたし達は品の良い老人と店の入り口ですれ違った。結構なお年の人なのにしっかりとした足取りで歩いている。きっと、現役時代スポーツをやっていたに違いない。

「…………」

 酒井くんが見ている席の机上には一杯のラーメン。中身がまるまる残っている。老人の口には合わなかったらしい。

「どうしたの? 酒井くん」

「いえ、なんでもありません」

 今日の酒井くんはなんだか変。さっきから遠くの方ばかりを見ている気がする。

「やっと来たか! 待ちくたびれたぞ!」

 左奥のテーブル席で白衣の女性がビール瓶片手に手を振っている。間違いない。姉さんだ。

「遅れてごめんね。ちょっと道に迷っちゃって……」

 と、わたしは姉さんの隣の席に座った。

「毒島副所長。お久しぶりです」

 と、酒井くんが姉さんの向かいの席に座った。

「他のやつらはどうした?」

 と、姉さんが言った。

「どうやら欠席のようですね」

「折角あたしの奢りだって言うのに……愛想の無い社員達だな」

「しょうがないよ。みんな忙しいと思うし――」

「律香は酒井と付き合い始めたのか?」

 と、姉さんがわたし達二人を見て言った。わたし達は特に動揺しなかった。姉さんは酔うといつも決まってこう言ってくる。このセリフは「酔ってます」って言ってるようなものなのだ。

「酒井は料理が上手くて家事全般もこなせるイイ男だが、社内恋愛には賛成出来ない」

 と、姉さんがビールを飲んで言った。

「どうして?」

 わたしはメニューを見ながら相槌を打つ。酒井くんは何が食べたい?

「考えてもみろ。もし、結婚することになったら家だけでなく職場でも顔を合わせることになるんだぞ? 付き合ってから死ぬまでずっと仲が良いカップルなんているわけない。会いたくない時も会わなきゃいけないなんてただの拷問だ」

 と、姉さんがビールを飲んで言った。

「同じ仕事をしてきたからこそ芽生える恋という物もあると思いますが?」

 酒井くんがビールを注ぎながら相槌を打つ。律香さんに一任します。

「恋ってのは最強の毒薬だ。予防法も治療法もない。愛という特効薬を処方されるまでは一生その病に侵されることになる。恋愛なんて御免だね」

 と、姉さんがビールを飲んで言った。そろそろ止めないとまずいかな。

「姉さん、そんなに飲んで大丈夫? 大金が手に入って気分が良いのはわかるけど……あんまり飲みすぎると身体に毒だよ」

「大金なんて貰ってないぞぉ。それにぃ、酒瓶7本空けたぐらいで飲みすぎなんて言うなよぉ」

 と、姉さんはニヘラと笑ってビールを飲み干した。

「え?」

「それは……」

 わたしと酒井くんの動きが止まった。わたしはメニューを開いたまま、酒井くんはビール瓶を持ったまま。お互いに考えていることは同じ。姉さん(毒島副所長)の様子がおかしい。

 まず、最初に確認しなければならないことがある。

「姉さん……お酒7本も飲んだの? 7杯じゃなくて7本?」

「うん。ここの白桃酒は美味いぞ!」

 わたしと酒井くんは思わず顔を見合わせる。飲み過ぎで片づけられるようなレベルじゃない。

 姉さんの取扱説明書にはこう書いてある。アルコールの入った飲み物(日本酒、ビールなど)は一日3本まで。このルールを破ってしまうと姉さんは泥酔モードになってしまう。さらに、泥酔モードにはレベルごとに細かい症状に分かれていて……

 

 泥酔レベル1:笑い上戸

 泥酔レベル2:泣き上戸

 泥酔レベル3:幼児化


 レベル3の上限に達してしまうと妹のわたしでも手に負えなくなる。そうなる前に帰りたい。そうなってしまったら家に帰れなくなる。

「酒井くん」

「はい」

「お酒は頼んじゃダメ」

「わかりました」

 と、酒井くんは残ったビールをわたしのグラスに注いだ。

「あれ? おかわりは?」

 姉さんが(から)のグラスを持て余している。その手の動きはフラフラだ。

「すみません。もう残ってないようです」

 酒井くんナイス。机の上のお酒が全部無くなれば勝ったも同然。姉さんがお酒を注文しなければ無事に試合終了。被害は最小限に抑えられる。

「お待たせしました。焼酎と白桃酒です」

 なんだって!?

「ナイスタイミング! 店長いい勘してるぅ!」

 と、姉さんがウインクする。お酒を運んできた男性は驚いた表情を浮かべて、

「なんで私が店長だとわかったんですか?」

「簡単だよ。この店の仕事は大きく三つ。ホールとキッチンとレジ。あんた以外の店員は与えられた仕事一つだけをずーっとし続けてる。けど、あんただけは全部の仕事を手伝ってる」

「でも、それだけで店長とは断定できないんじゃ……」

「名前が制服に刺繍(ししゅう)されてる。他の店員はアルバイトだから取り外し可能なクリップ式のネームカード。いちいち制服に名前を刺繍してたらアルバイトが変わった時に捨てなきゃならないからもったいない。でも、店を辞めない店長だけは制服に名前を刺繍しても問題ないってワケよ」

 と、姉さんは言った。酔っぱらっても頭だけは()えてるんだから。

「凄い……当たってる」

 と、店長は(うなず)きながら姉さんのグラスに白桃酒を注ぐ。店長さん! お願いだからその手を止めて!

「あたしは探偵だからね。それなりに推理が出来るのさ」

「珍しい仕事をされているんですね」

 と、店長が伝票にチェックを入れる。

「お、あんたも左利きなんだな」

「今度はどんな推理をしたんですか?」

 店長が興奮気味に()く。

「右利きの人は普通横線を左から右に引く。だけど、左利きの人は右から左に横線を引く傾向が強いんだ。今のあんたもそうだった」

 と、姉さんが店長に向かって言った。今のうちに姉さんの白桃酒を飲んじゃおうっと。

「しかも、右肩が若干左肩に比べて下がってる。毎日重い料理皿を右腕に乗せて仕事してる証拠だよ。左手は伝票を書く時に必要だからな。空いた皿を乗せられない」

「素晴らしい観察力ですね。美人で頭も良いなんて……さぞかしモテるんでしょうな」

「全っ前! むしろ煙たがられる一方だよ」

 と、姉さんは笑いながら顔の前で左手を振った。今日の姉さんは表情豊かだ。

「世の男は女性を見る目が無いですな!」

 と、店長は景気良く笑った。

「他にご注文は?」

「えーっと、広東炒飯と蟹の玉子焼きひとつずつ。あと、五目ビーフンひとつ。それと、叉焼(チャーシュー)入り肉饅頭と春巻きをふたつずつでお願いします」

 と、わたしは言った。本当に報酬金が無かった場合の事を考えて控えめに注文したつもりだ。

「あたし腸詰食べたい!」

 と、姉さんが子供みたいに手を挙げる。まさか、もう幼児化が始まっているの?

「腸詰? どれだろう……」

「これじゃないですか?」

 酒井くんが『四川香腸』という文字を指差した。

「すいません。この、四川香腸もひとつ下さい」

「かしこまりました」

 と、店長は一礼して厨房の方へと戻っていった。

「ん? あたしの白桃酒ちゃんは?」

「今日はもうお酒禁止」

「やだ! 飲む!」

 姉さんが酒瓶を奪おうとするのを全力で阻止する。

「あたしの金で飲んでるんだぞ!」

「これ以上飲んだら本当に死んじゃうよ!」

「まぁまぁ。律香さんも毒島副所長のことを思って言っていますから」

 酒井くんが仲裁に入る。しかし、姉妹喧嘩を終わらせたのは――姉さんの涙だった。

「明日には刑務所の中なんだからぁ! 最後の夜飯ぐらい美味しい酒を死ぬほど飲ませてくれよぉ!」

 と、姉さんが突然泣き始める。あまりの出来事に言葉が出ない。

「……姉さん?」

「律香にも酒井にも会えなくなるなんてやだよぅ……」

 姉さんが机に突っ伏してすすり泣く。

「……西上……助けて……」

 わたしはようやく事態の深刻さを把握する。姉さんの身に何かあったらしい。

「お待たせしましたー。広東炒飯と五目ビーフンです」

 姉さんを見てアルバイトの子が困ってる。気まずい席に来ちゃったな、と。

「とりあえず料理を頂きましょう。美味しい中華料理が冷めてしまいますから」

 酒井くんの優しい声が場の雰囲気を和らげた。




「それで、狐野郎の机を蹴り飛ばして帰ってきたのよ」

 と、姉さんが春巻きを食べて言った。

「姉さん、それ器物破損」

「いいんだよ。どうせ捕まるんだから」

 姉さんは普段の調子を取り戻していた。話の内容はかなり重たかったけど。

「つまり、王氏が毒島副所長に罪を擦り付けようとしている、という事ですね?」

 と、酒井くんが姉さんの話をまとめる。

「ああ。『ピエロ・ル・フ』に出てくるフェルディナン・グリフォンみたいにムカつく野郎だったよ」

 姉さんは自棄(やけ)酒に走るまでのエピソードをダイジェストでわたし達に話してくれた。おかげで泣いた理由も報酬金が貰えなかった理由もわかった。

「中華街の暗殺者なんて……本当にいるのかな?」

「中華街未来化計画というのも気になりますね」

 わたし達が食事を終えて中華街について議論していると、

「助けてぇー! 律香お姉ちゃーん! お巡りさんに捕まっちゃう!」

 姉さんの様子が一変する。うっ、この状態は『泥酔レベル3:幼児化』だ。

「だ、大丈夫だよ。わたしが助けてあげるから」

「律香お姉ちゃんが? ホントに?」

「う、うん。約束する」

 姉さんにお姉ちゃんって呼ばれるの気持ち悪い。もう、姉さんは色々な意味で役に立たない。保護者を呼んで引き取ってもらおう。

「酒井くんはこの後どうするの?」

「僕は中華街未来化計画について調査してみようと思います。副所長がいなくなるのは寂しいですし」

「ありがとう。だったら、わたしは中華街の暗殺者の方を調べるね」

 酒井くんにはお世話になりっぱなしだ。本当に頼りなる同僚だ。今度まとめてお礼をしなきゃ。

「律香さん。この店の領収書を貰ってもいいですか?」

「お金ならわたしが払うけど……」

「いえ、その領収書が必要なんです」

 酒井くんの真意が掴めない。でもまぁ、領収書ぐらいどうってことない。

「じゃあ、あげる」

「ありがとうございます」

 と、酒井くんは楽々酒家の領収書を上着の内ポケットにしまった。

「ごめんね律香お姉ちゃん。忙しいのに……」

 と、姉さんが涙目ですがりついてくる。姉さんをいじめるなんて許せない。

 必ず姉さんを助ける。わたしは心の中でそう決意した。



 コスプレ喫茶チャイナ・ガール――VIPルーム

「対象の暗殺に失敗しました。申し訳ございません」

「どうした? 感づかれたのか?」

「いえ、気付かれてはいません。少々イレギュラーな事態が起きまして」

「どういうことだ?」

「対象『妹』を店の中に引き入れようとしたのですが『妹』の仲間と思われる男に阻止されました」

「対象『所長』とは別の男が現れたということか」

「はい。その場で二人を殺害するのは危険と判断し、作戦を中止しました」

「新しい対象はデータが無い。お前は正しい行動を()った」

「恐縮です」

「対象『妹』の暗殺は後回しだ。先に対象『所長』を始末しろ」

「仰せのままに……」

 女は電話を切った。その右手には赤色に輝くナイフが握られている。

「次こそ……殺してやる」

 女は愛用のナイフを一口舐めて(つぶや)いた。


 中華街の夜は――まだ始まったばかりだ。

 

 

 


  


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