No.002
あれから、彼の声は途絶えた。そのせいか、無音なのが更に際立つように感じられた。一人で際限のない空間に何もせずにいることほど、苦痛なものはない。鳴らない声でため息をついて仰向けになると、ペンダントがシャラシャラと私の首を滑り、カツンと音を立てた。この空間で、初めて彼の声以外の音を聞いた。その音がやけに大きく聞こえた。
私はペンダントを眺めながら考えた。"カケラ"ってことは、まだ他にもあるんだよね。あとどれくらい集めなくちゃいけないのかな。彼はそれを知ってるのかな。
「僕は知らないよ。」
突然の声に手に持っていたペンダントを落としてしまった。
「あ。もう、扱いには気をつけてよ。僕の大事な"カケラ"なんだからさ。」
責めるわけでもなく、彼は淡々と言う。
突然話しかけないでよね。さっきまでいなかったくせに。
彼は少し笑っているような、困ったような、そんな声で言った。
「ごめんごめん。でも、仕方ないじゃないか。僕は君に姿を見せられないし、気配も伝えられないんだからさ。こればっかりは、慣れてもらうしかないね。」
それはそうだけど...それより、残りの"カケラ"の数が分からないってどういうことよ。
少し戸惑ったような間があいて、彼は言う。
「...そろそろ時間だね。その答えは、また、旅の後でね。」
え、なによそれ。まだ聞きたいことはたくさん...!そう思っている間に私は再び暗闇に包まれた。
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さあ。今度はどこだ。そう思いながら神経を尖らせて周囲の環境を探る。
音。人の声、足音、車のクラクション。おそらく街中だ。手のひらは冷たくてジメジメして硬い何かに触れたり離れたりを繰り返す。どうやらコンクリートの壁のようだ。それを頼りに足は前へと少しずつ進んで行く。たまに、水たまりに踏み込み、少し鈍い水の弾ける音。
ふと顔を上げると目の前に広がっていたのは薄暗い路地裏のような場所だった。太さや色合いの異なる沢山の錆び付いた金属管が絡み合うように天井を作り上げている。そこから少し陽がさしており、覗く空は青い。それが眩しくて目を逸らし、前に戻す。道の先は見えない。数メートル先には左右の別れ道だ。振り返って見ると、そちらには行き止まりの道と、横にそれる道がある。私はあちらから来たのだろう。なんだか、薄暗い森を歩いているような気分だ。だが一方で都会の喧騒は私を包んでいる。
今回は、体の主の声は聞こえない。ただ淡々と道を進む。突き当たりに来て左右を見渡すと、左はすぐ曲がり角。右は長い直線に二〜三本の脇道があるように見えた。主は左の道を選び、また、ひたすら進む。
それにしても入り組んだ道ばっかりだなぁ。暗いしジメジメするしちょっと気持ち悪い。景色の変化なんてないし。なんだか迷路みたいだ。ん?迷路なのかな?この人、どこに行くつもりなんだろう。迷路だったら出口探してるのかな。
私がそんな風に考えている間も体はどんどん進んで行く。進むにつれて、少しずつ差し込む光が少なくなり、濁った水たまりや湿った鉄パイプが不気味さを醸し出し始めた。それでもまだ、人の笑い声や子供の走る音、携帯や横断歩道の電子音などは聞こえている。
音に気を取られていると、今まで壁をついていた手が空を捉えた。体はよろけ、こけそうになったが、何とか持ちこたえ前を見ると広い空間に出ていた。そこは今までよりも暗さが増し、夏の日暮れのような明るさで、中央には明るい一筋の光が差している。
その下には小さな社があった。迷わずそこに進む足。近づくにつれ、今までになく明るい光に自然と目が細くなる。社の前に着く。身体の主は社の前で体育座りをしてそれを見上げる。社は純日本風の作りで、頑張れば抱えて持っていけそうな大きさだ。主は胸の前で手を合わせ、そっと目を閉じた。
長い間、そうしていた。その間、私が暗闇の中で感じられるものは音だけだ。聞こえるのは、沢山の人の、声だけになっていた。ボソボソと何かを言う声、そうかと思えば笑い声。何を言っているかは聞き取れない。違う言語を聞いているような気分だ。
すると、ぱっと目の前が明るくなった。突然の光に目が眩み、よろけながら立つと、さらに社に近づく。主は社の扉に手をかけ、深呼吸をしてから勢い良く開いた。
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「おかえり。今回の夢はどうだった?」
彼の声で目を開けると、いつもの白だ。戻って来たか。そして、身体を起こすときに気づいた。手に"カケラ"がない。なんで?夢、ちゃんとみたよね?そう思っていると彼が言う。
「後ろ。みてごらんよ。」
言われて振り返るとそこにはこたつがあった。おそらく二〜三人用だ。
「ここは寒くないだろうけど、あれも僕の"カケラ"の一つだよ。まあ、存分に使ってくれて構わないから。」
そう?ありがとう。...なんか本当に"カケラ"ってカケラじゃないのね。
そんなことを思いながらコタツに入る。コタツに入ると、夢を見る前の疑問は何処かに消えていた。