2.
両親が婚儀を挙げたとき、いくつもの言祝ぎとともに力のある託宣がひとつ下された。
母が産むであろう娘は、ルヴァン公爵家に永遠の繁栄を約束すると術師から告げられたのだ。
その時から、公爵家は娘が生まれるのを心待ちにすることとなる。
その昔、皇位継承権を返上した曾祖父は、皇位に未練がなかったわけではなかった。ただ、自身の力不足を理解していたから降りただけだ。能力さえあれば、真っ先に参戦したに違いないといわれているほど、血の気の多い大雑把な男だったらしい。
自分がなし得なかった夢を子孫が叶えてくれればと、妄想するほどに。代々の皇帝がもつべき瞳の色など、曾祖父には些細な事象に過ぎなかった。
皇位簒奪を真面目に考えていたのだと、公爵家に蓄えられた陣容から窺い知れた。巧妙な蓄財と豊かな人脈。曾祖父から祖父、父へと受け継がれてきたそれらはますます堅固なものとなり、時機をうかがう温床となった。
周囲の期待が高まる中で、母は男ばかり三人を立て続けに産んだ。最初の私は、継嗣であるからとまあ歓迎された。しかし、二番目の時のがっかり感、三番目の時のまた男かの空気に母は気鬱を起こしそうになったという。
そんな中、待望の妹が生まれた。有する魔力も高い上に美しい赤児で、託宣の御子だと誰もが信じて疑わなかった。続けて次に生まれた妹と比べれば、その差は歴然としていたからだ。
妹達を中心に暮らしが動いていく。
表面上、とても仲の良い家族だった。しかし内情は、どれだけ両親が躾けようとも、妹達は我が侭に育っていく。自分が公爵家の繁栄を担うのだという自負が、鼻について仕方が無い。
あの我が侭に向き合わずにすむ弟達が羨ましい。早々に、家から離れることを算段しだした弟達が心底羨ましかった。
妹達の高慢な態度がそこかしこに露見し、問題を引き起こす。両親の手を煩わし悩ませ始めた頃、公爵家に更なる激震がもたらされた。
婚儀の時に託宣を告げた術師は、数年置きに顔を出しては気ままに滞在していく。
此度もまた数日間の滞在後、放浪の旅に出る間際に傍迷惑なことを告げてきたのだ。
家族全員はもちろんのこと、一族郎党が会して見送ろうとしていた中、
「公爵夫人が身籠っている赤児こそ、ご一族の隆盛の要となりましょう」
主役を取り上げられた妹のただただ唖然としている顔は滑稽だった。私も含めて弟達のそれまでの憤りは、その見事に惚けた顔つきが見れたことできれいさっぱりと消え去った。
母が無事に赤児を生み終えるよう万全の体制が整えられた。気持ちを切り替えた妹達も、母の膨れてきたお腹に手をあてて生まれてくることを心待ちにしているようだった。
一族郎党で、無事に生まれるのを望んだが、相当厳しいお産となった。母の命が危うくなる中ようやく生まれてきた末の妹は、声を発することが出来なかった。
公爵家に永遠の繁栄をもたらすと託宣された赤児が、呪句の一片も唱えることができないとは。
妹達が自分たちの地位の復活を示唆したせいもあって、旅にでた術師を追いかけて、託宣に変わりはないかとの確認も取られた。
あの幼いながらにも地位にどん欲な妹達の姿は、さすが曾祖父の血を引いていると思わざるを得ない。
妹達の期待を見事に裏切って、託宣に変わりなしとの返事を術師より受けた。
無事に産んであげられなかったと母は、自身を責め続けた。具合の悪いまま産褥期を長く過ごし、泣き声すらあげることができぬ赤児の成長に一喜一憂していた。小さな手を両手で包み込みながら、見飽きること無く添い寝をされていた。
弟達は自身の矮小さに辟易しながらも、今まで散々な態度をとってきた妹達が同列以下に貶めることを成した末の妹を慈しんだ。
……私も同罪だ。
赤児はイアータと名付けられ、その養育について慎重を重ねていくこととなる。誰よりも弱い存在であるが上に、周囲に侍る者達を慎重に選んだ。
公爵家に仕える者達の中でも特に忠義の篤い者ばかりを配して、その成長を見守っていく。
妹達が託宣を知ったことから傲慢な性格になってしまったことを鑑みて、余計な知識が耳に入らぬよう万全の体制を敷いたのだ。
大事にかしずかれているのが、託宣の御子であるからではなく、声を失っているからにすり替えた。
できないことだらけのイアータにとって、侍女達の心配りは当然のものであったはずだ。けれど、それが特別の配慮であるという認識を既に持っていたようだ。
両親は、名のある治療師や術師を片っ端から呼び寄せ、イアータの声が出る可能性を探し続けた。
侍女や護衛達の献身を受けて、それ以外のところは順調に成長を重ねていく。
笑ったり泣いたり怒ったりする度に、抱き上げる。ぎゅっと抱き締め返してくれるその心地よさに、言葉が無くても伝わってくるものがある。兄として信頼されているのだと思えた。
同じようにぎゅっと抱き締められる度に、父の瞳が潤むのも見慣れたものになった。最初見た時には、血も涙も無い人だと思っていたので本当に驚いたものだった。
託宣の御子だという事実があったとしても、不思議なことに、何もできないイアータの手足になることを誰も嫌がらず、蓄財したものが消費されていくことに意見する者は臣下の中からは出て来なかった。
けれど、イアータの姉達がとる態度こそ、世間一般のものだと私達は気を引き締める。
周囲を固める者たちに、常時臨戦態勢をこころがけるよう命じた。
イアータはおっとりとした性格だったからか、姉二人が仕掛けてくる底意地の悪いつっかかりに本気で抗わない。
父にさっさと注進すればいいのだ。既に侍女達からは父の元に姉二人のしでかしたことの詳細が上がっている筈だった。あとは、イアータの気持ちがどうであったかを、父が知ればいいことだった。
けれど、自分のことは自分で解決しないとと思っているらしい。そういうことをされるのは嫌だと自分の気持を伝え、それを無視されて困った顔を浮かべる。
何もできない妹が生意気にも逆らってと、腹立ちを抑えきれず、姉二人は力を簡単に暴走させた。
深い傷を負ったイアータを抱え、父が激怒した。その怒りから真正面に向き合おうとしない二人に、父は一線を画した。
一連の暴走を受けて一族は、二人が託宣の御子でないという評価を確定することになった。
律する心を持とうとしない者たちに、一族の将来を導かせるわけにはいかない。
託宣の御子であるイアータを守るために、模索が続けられた。世間から見れば、イアータに価値のあるところなど何一つ見当たらない、役立たずな存在に他ならない。
その大切さは、我らだけが知っていれば良いことだ。
その生涯の安寧を公爵家が守っていけばいい。
相も変わらず、公爵家の方針に横やりを入れ続ける二人に頭を痛めながらも何とか、イアータを公爵家の中にとどめ置いた。自分の近侍に降嫁させたのもその一環だった。
イアータの姉二人が嫁げば、婚家のつながりによってどんな事態が起こるやも知れない。ルヴァンの力が及びにくい他家に嫁がせなければならない事態など考えたくもなかった。
だから我らの力や意思が最大限にまかり通る家を選んだ。主家の意を汲みすることに長けた家令の一族の継嗣を。
手元において、目の届くところで見守り続けたかったのだ。
それなのに、一族の掌中の珠が奪われた。
離宮にて、乳母の任につかされたイアータが不憫でならない。その身を汚され続けることなど、あってはならなかったのに。
今の状況は、一族がのし上がっていくためにイアータを人身御供に差し出したようなものだ。イアータを踏み台にするために、我ら一族は蓄財と人脈作りをしたのではなかった。己の才覚を最大限に生かすために準備していたものだ。
何も知らない身内を犠牲にして地位を得るなど、最も家風にそぐわない行状だった。
イアータのために公爵家のもつあらゆる権力を使うと、決定した父に異を述べる者はいなかった。隠していた人脈までもを駆使し、イアータの周囲を固めていく。最初につけられていた女官達は順次入れ替えさせていった。
不義の皇子達、声を出せない乳母に仕えることを良しとしない女官達は、喜んで配置換えを了承してくれた。護衛達も然り。
そして、イアータのためにと東奔西走したことが、ますます一族の隆盛を極めていくのだ。
忸怩たる思いが一族を支配する。