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繚乱たる呪句に、  作者: 渡守
2章 しずむ闇
5/10

2.


 貴族達への粛清を継続させていた。皇族同士の殺しあいを煽って血統を細らせ、自分たちは肥え太っていたのだ。吸った甘い汁は、全て返してもらう。

 些細な理由を大罪に仕立て上げ、高位貴族を潰していく。

 その一環で皇妃が産み落した不義の皇子達の乳母を内々に募り、断った貴族を取り潰す手段をとった。

 貴族の内情を調べ上げ、乳母になれる条件をもつ女を把握する。



 大広間に集めた貴族達の中から乳母に名乗り出る女は皆無で、面白いように直轄地が広がり疲弊していた国庫が潤っていく。

 賤民の血を引く皇子達に頭を下げることのできるほどの気概をもつ者が、貴族にいるわけがなかった。ましてや気位の高い女が肌をさらし、当然のことながら皇子達に乳首を含ませるなどできるわけもない。



 幾度目かの茶番時に、内外に影響力の強いルヴァン公爵家が釣れたと知ったときは笑いが止まらなかった。どこの陣営に組みすることも無く、泰然自若とその存在を大きくさせてきた大貴族だった。

 皇族からも、徒党する貴族達からも距離を置き続けている大貴族。取り込める隙を見せない公爵家を取り潰してしまえば、内憂は無くなったも同然だった。



 集められた貴族達が焦燥感を隠さず、私を待っていた。既に乳母さがしによる粛清は内々の謀ではなくなっていた。

 まだ若いとしか言いようが無い娘を真ん中においた公爵家の動向を注視しながら、いつもの手はずを繰り返す。


 皇子が泣きわめく中、大広間に集められた貴族がこの世から消え去る筈だった。





 皇子達の乳母となったのは、イアータという名をもつ公爵家の末娘だった。数年前に家人に降嫁し、第一子を出産したばかりだという。

 あの時、取り潰されることを免れた貴族達に公爵家は大きな貸しを与えることとなった。

 公爵家の元に、貴族達が集おうとしたが門前払いを喰らわしているらしい。

 徒党を組む気がないことをこれ見よがしに知らしめているのだと、したり顔で耳打ちしてくる者があった。公爵家に助けてもらったくせに、恩を仇で返したがる輩がいる。


 娘を差し出すことになった公爵家を、同腹一心に引きずり込んでやると方針を変えた。重要な役職、案件を公爵家に連なる貴族に割り当てていく。

 隆盛を極めだした公爵家を妬む貴族達が出てきたのは当然のことだった。


 それほどまでにルヴァン公が羨ましいのなら、身内から乳母を出せばいい。それすらできずに、ただ嫉妬にいてもたってもいられないような人間は、さっさと消すしか価値のないものだった。



 噂など全く気にする様子も見せず、公爵一家は皇家に召し上げられた末娘の処遇の向上に奔走している。


 イアータは、声を持たない娘だった。皇子達に乳を与えることしかできない乳母だった。

 周りが甲斐甲斐しく仕えなければ生きていけない。それは皇子達以上に手のかかる存在だった。



 女官がこんなこともできないのかという態度をちらりとほのめかした瞬間、敢然と公家より付き従って来た侍女達が立ちはだかった。侍女達は、女官の態度からイアータの世話に関して一切、手をつけさせないよう立ち回り始めた。

 女官が、近づくことすら許さない姿勢を取る。

 イアータが何とか仲をとりもとうとするのだが、うまく行くはずが無かった。女官の矜持の高さと侍女の主人に対する献身ぶりは相容れない。

 イアータからは何の申し出もない。ただ、公家としては許せない所業に違いなかった。女官の配置換えが要求され、速やかに了承を与えた。



 呪句を唱えられないことをイアータが気にしている様子は時折見受けられたが、特段に気に病んでいるわけではないようだった。本質的にそれを些末なものだと選り分けてしまっているように思えた。

 その選別の妙からくる行動に、目が離せない。

 乳母としての仕事に真摯に向き合い、腕の中にある赤児を飽きもせず、いつも幸せそうに眺めていた。



 誰よりも弱者であるイアータの存在に公爵家の面々が溺れきっている。


 両親である公爵夫妻はもちろんのこと、要職に就きつつある兄達はそれぞれが持つ人脈を駆使していた。それまで、目立たぬように立ち回っていた姿勢が幻であったかのごとくの方向転換である。

 乳母として暮らす離宮での日々を快適に過ごさせようと、物質的なのはもちろんのこと人的な配置に公爵家は強く口を挟んでくる。



 不敬罪としか言いようが無い干渉など一蹴してしまえばよいのに、ためらいも無く私は了承し続けた。

 イアータに必要だと申請されれば、却下などあるわけがなかった。



 不義の皇子達を抱き上げ可愛いと頬ずりするイアータを、私も含め将軍に取り立てた男達はただ眺めている。

 イアータが生んだ男児と同じ扱いだと知るにつけ、困惑していた気持ちが傾いていくのがわかる。

 将軍達に、それぞれが後見人としてついている皇子の日々の様子を知らせようと、楽しそうに書いていく。男たちは会話を交わすことを放棄して、皇子への情がしたたってくるような文面を食い入るように読んでいた。

 交わす会話が記された紙に残る楽しげな残滓を、男達が大切に持ち帰っているのを咎めるつもりはなかった。




 弱いものは搾取され、踏みにじられるのが当然だという意識は、今も変わりがない。将軍達もそうであろうし、ルヴァン公たちもだ。

 なのに、イアータに対してだけ過剰ともいえる保護意識が湧いている現状について思いをめぐらした。



 余りにも弱者過ぎるから、気になってしまうのだろうか。これは弱者に対する優越感なのか。

 

 


 思いは募る。夫の立場にある男を殺してでも、あの細い腕に抱きしめられたくて仕方が無い。

 どうすれば、心優しいイアータを自分のものにできるのか。考えを巡らし続ける。



 気が狂うほどに考えて、イアータとの接見に心躍らせ続けた。イアータが息子とのふれ合いを楽しんでいる時を見計らって離宮に足を向けた。

 本来座るべき男を押しのけて得た、仮初めの関係であっても構わなかった。息子を腕に抱き、イアータとのひと時に耽りながら考える。



 そうして、呼気すらも音にならない不自然さに気づいた時、光明を得たと確信した。




 皇子達の離乳が分岐点となった。


 暇乞いを願い出てきたイアータに、こちらの思いをぶつけた。抵抗するイアータの強い意志に乗じて、強くからまっていた呪句をほどけば、イアータの声はよみがえるはずだった。

 そして感謝され、私は受け入れてもらえると思い込んだ。手に入れることができると思い込んだのだ。


 心逸るままに、抱き締め思いを告げる。抵抗し、その唇が男の名前を形作るのが許せず封じた。最初に聞く声が、『ライド』になるなど許せるわけが無かった。


 嫌がる舌をからめ、思いのままに侵していく。





 唐突に、イアータの気配が消し飛んだ。

 底から、別の気配が浮かび上がってくる。

 腕の中にいる女は何だ。



「お前は誰だ。イアータを出せ」


「私がイアータです。先ほどまで私の中にいたのは、どこともしれぬ異界の最下層の女です。

 少しばかりの贅沢で、どんなことにでも従ってしまう愚かな女の魂を呼び寄せたのです」


「己の嫌なことを全て、イアータに押しつけたのか」


「イアータは私です」


「お前は、イアータを生かすためのただの肥料にしかすぎない。こんな腐りきった肥料にもかかわらず、イアータがよくもあれだけ希有な存在に育ったものだ。

 さあ、今すぐイアータを出せ」


「イアータは私です。陛下の御子様を私が産んで差し上げましょう。色に取り憑かれた皇妃など頼らずともいいのです。

 私が陛下の跡継ぎを」


「黙れ」



 見たことも無い嫌な顔つきの女を睨み据えた。

 早くイアータを戻さなければ、取り返しのつかないことになる。感知できない程に薄れていく気配に焦った。

 昔、女が無理矢理たぐり寄せ、いいように使い回し利用し切った後に断ち切った呪を急ぎつなげ直した。


 愕然とした表情を浮かべている女に、渾身の力をこめた呪を叩き付けた。

 二度と浮かんで来ぬように、養分だけをイアータに差し出し続けるように。



 女が浮かぶことのないよう、イアータの声は生涯封じるしかない。



 イアータが欲しいのだ。

 皇妃が生んだ不義の双子を可愛い皇子達と抱き上げるイアータが。

 夫を恋い慕うイアータが愛おしくてならない。……悔しいことに。



 だから、早く戻ってこい。



 呪の復元は完璧だった。なのに、イアータが目覚めない。

 戻った世界に何とかしがみつこうとしているのか。奪われるわけにはいかなかった。呼び起こすために、枕元に男が座るのを許した。手を握ることも許す。そして、声嗄れるまでイアータの名前を呼ばせ続けさせた。

 イアータをたぐり寄せるため、新たに呪を練り上げる。苦心惨憺の上、ようやく捕らえきった彼女の気配に安堵し、時間をかけて浸食していった。

 



 二度と戻らせぬ。失敗は二度と起こさぬと、肝に命じた。

 ……イアータに男が必要であることを認めるしかなった。





「先ほど、そなたはイアータを心ゆくまで抱いた。

 今から、私が抱けばどちらの子をイアータは産むのだろう。

 魔力の強い私と愛されているお前と、イアータの腹はどちらを選ぶ?


 私の一番得意とするのが、幻影の術で本当に良かった。


 そう思わないか、ライド?」






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