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繚乱たる呪句に、  作者: 渡守
1章 からまれたる花びら
1/10

1.




 私には、薄らぼんやりとした前世の記憶がある。


 今と違って、きらびやかな前世ではなく、典型的な貧乏子だくさん。引っ付きまわる子ども達の世話に明け暮れていた。

 生活はカツカツもいいところだった。でも乳幼児の柔らかい愛おしさをいつも満喫していた。

 両腕に抱きかかえ続けると、ずしんとくる子ども達の幸せな重さ。大きくなっても抱きしめると照れながらも嬉しそうに笑う子ども達。

 その記憶に辛さがないから、たぶん幸せな一生だったのだと思う。



 そんなうっすらとした記憶があるせいなのだろうか。

 この世界において、いかに自分が役に立たない人間であるかということを理解していなかった。

 私は生まれたときから、声を、音を発生することが全くできない。

 それはこの世界で致命的な欠陥の一つであった。

 何もかもが魔術で成り立っているこの世界において、呪句を詠唱できなければ普通に暮らしていけない。


 けれど、記憶の中の私は呪句を一つたりとも唱えず、幸せに暮らしていたのだ。

 だから、呪句に頼らずとも幸せに生きていける場所がどこかにあると勘違いしたまま成長した。



 両親は、ありとあらゆる治療師を頼ったが私の声が出ることは無かった。

 どれだけ隠そうとしても、ルヴァン公爵家の末娘が役立たずだという真実は世間に流布されていく。

 何をするにしても手のかかる私を、二人の姉様達は恥じていた。自分たちの妹であることを嫌がりすらしたのだ。


 無視することから始まったそれは、私が怪我を負うところにまで発展し両親を悩ませることになった。

 両親にとって、私達はどちらも可愛い我が子だったのだ。どちらかと言えば、声の出ない私を誰よりも大事に育ててくれた。兄樣方も、随分と私をかばうことに心を砕いてくれていた。


 姉様達は、それが更に気に入らなかったのだろう。

 何度諌められても手を替え品を替え、私を傷つけようとする。そのやりように、温厚であった父が激高した。それでも改めようとしない姉達に、父は方針を変えた。


 私を安全な場所に移してしまったのだ。



 本邸より出された私は、離れの屋敷で静かに暮らし始めることになる。

 私の世話をする侍女達は、これ幸いとばかりに増員された。その上、屋敷の警護は公爵家の精鋭が固めることになった。

 離れ全体で、私を守る繭のような役割を果たし、姉様達の悪意を寄せ付けないようにしたのだ。

 しかし穏やかな生活は数年間続いただけだった。



 年頃になった姉様達は、私の存在が自分達の婚姻に水を差すと言い出し始めた。公爵家からの追放が当然と声高に主張する。離れに住まいを移し、顔を会わさぬようにするだけでは駄目だったらしい。

 わざわざ、こちらにきてまで言い放ってくるのだから本気なのだろう。



 呪句一つ唱えられない私は、公爵家の庇護から追い出されれば生きる術がない。

 その頃になって、ようやく身の危うさに気づき始めた私は暢気としか言いようが無かった。


 呪句を一切使うことの出来ない者が世間で生きていくには、何が必要なのかを今更ながらに焦って周囲に尋ね回った。


 侍女は涙をこぼしかけながらも、そんな事態には絶対になりませんと力強く胸を張って私を守る意思を伝えてくる。そして、私の心配事を消してしまおうと、お気に入りの衣装や小物を駆使してきた。

 気づけば、数日が過ぎていて呆然とした。


 護衛達からは屋敷内に姉達を通してしまったことを詫びられた。父から私に仇なす者は何人たりとも排除せよと厳命されていたらしい。けれども、姉様達の力に競り負けてしまったそうだ。更なる精進を致しますと、目の前で剣の誓いまで立てられそうになり焦った。


 厨房では大好きなお菓子ばかり振るまわれ、庭師からは季節外れだというのに私の一番気に入っている花を差し出してくれた。


 私の不安を皆が一生懸命になってなだめようとしてくれる。

 それは幸せなことであるとわかっているのに、私の心は落ち着きを取り戻せない。



 離れで息を潜めて暮らしていた私の元に、両親の訪れがあった。

 忙しいにもかかわらず父と母は、時間をひねり出して離れに足を運んでくれることが多い。

 ちょっと顔を見にきたのと、母が出かける間際に寄っていくこともあれば、就寝時の挨拶と称して寝ている私を起こしてお休みと声をかけていく父とか。

 本日は、珍しいことに長兄であるナザル兄様が近侍と連れ立って同行されていた。



 両親が沈痛な面持ちで、私を見つめ続ける。母が私の手を取り、話す前から涙ぐんでいる。

 父の話しを聞くのには、覚悟がいるのに違いなかった。




 父達は、姉様達を差し置いて私の嫁入り先を見つけてきたそうだ。お相手は、ナザル兄様が連れてきた近侍で、ライドという。

 公爵家に長く仕えてくれている一族の継嗣に当たる人らしい。私の世話を直接してくれている侍女達や護衛をとりまとめる一族だった。


 とうとう母が泣き出してしまった。公爵家の姫が、家人に降嫁するなどと本人を目の前にして泣き崩れている。かなり失礼なのではと冷や汗の出る思いだが、母を見つめつづけるしか対処の仕方がわからない。

 私の心配に反して、ライドが気分を害している様子は見受けられないのが救いだった。


 改めて、私の相手に選ばれてしまった男性を見遣る。ナザル兄様の近侍になるだけあって、この方はきっと優秀な人なのだろう。私を押しつけられることになって、さぞ不愉快に違いなかった。



 母の深い嘆きを受けて父が、やはりこのまま公爵家で私を養おうと決断しかけたところで、ライドが父の許しを得て私の前にひざまずく。

 生涯をかけて大事に致しますので、降嫁してくださいと乞い願われた。


 頭を下げるほどの価値が、私のどこにあるというのだろう。

 けれど、私はライドの一族に嫁入りすることをその場で選ぶことになった。


 熟考する時間など用意されていなかった。既に、父と母の間で考える時間が使い果たされていたから。

 私の生涯に渡る安全を吟味し、ライドが選ばれたのだ。それは、ナザル兄様が両親に何かあった後も引き続き私を庇護することを約束するものだった。


 密やかに婚儀は行われる。立ち会ってくれたのは両親と兄様達だけで、あとはライド側の人ばかりだった。

 その代わり使用人棟へと住居が変わる日、両親が止めたにもかかわらず、姉様達は嬉しげに一言を添えて見送ってくれた。



 ライドは大切にしてくれると誓ってくれたが、これからの生活がどうなるか不安で仕方なかった。

 役に立つどころか、手のかかる小娘が一族の跡取りの妻となったのだ。どれだけひどい風当たりがくるだろうと覚悟していたがそれはまるっきり徒労だった。



 本邸や離れにいた時よりも大切に遇されていると思う。何もできない私をライドを筆頭に一族の誰かがつきっきりで世話にあたってきた。それは、以前の生活と変わりなかったが、世話をしてくれる人が近しくなったことで更に細やかなものとなっていた。

 手をかけずにはいられないという気持ちがひしひしと、伝わってくる。このままそれが突き進めば、手ずから食事をやりかねない献身ぶりだった。


 さすがにそれは自分が駄目になると断ったが、食べるにしても呪句が必要な食材がこの世にはたくさんあることをこの時知ることとなった。今までそのようなものは食卓にあがらない心配りがされていたが、今では頻繁に上がってくる。

 さすがにこれはまずいのではないかと思うくらいに、すっかり手ずから食事に慣れてきている。


 私のご機嫌伺いと称してナザル兄様がこちらでくつろがれたりするのも困った仕儀だった。ライドに、本邸にお戻りくださいと言われ続けるのを無視して、泊まっていくことも多い。使用人棟に足を踏み入れるのは矜持が許さない筈なのだけど、兄様の矜持には何ら影響がないみたいだった。

 本邸では、姉様達の婚姻騒動で大騒ぎになっているらしい。互いに張り合って、みっともないばかりだと兄様はこぼされていた。

 余りの喧噪に逃げてきたそうだ。



 もちろんライドと寝所は共にしている。夫はいつも丁寧に私の身体を解していく。身体が柔らかくなった頃には、私の体力は限界に近づいているのだが離そうとはせずひたすら丁寧に追いつめられる。

 毎朝の目覚めが、昼近く。

 そんな日々を過ごせば、妊娠するのも早かった。身ごもった私を更に、ライド達は甘やかした。


 妊娠するまでは遠慮していたのだと言ってナザル兄様以上に両親が私の元を頻繁におとずれるようになったのは、その頃からだった。

 姉達が嫁いでいったからと、以前、住んでいた離れに移るよう強行された。本邸へという話しもあったのだが、それは固辞した。

 公爵家の本邸のわりに来客は少ないらしいのだが、あれば我が身の処遇に困ってしまう。

 奥まった離れに移された後、出産に備えることになった。



 そうして無事に男の子を産み終え、その子が産声を上げた時、涙がこぼれた。良かった、この子は唱えることができると安堵した。



 息子の乳母が用意されたが、私自身が乳をやりたかった。何よりも、胸が張って仕方がなかったのだ。息子がお腹を空かせて起き出すのを心待ちにするぐらいに。

 ラザドと名付けられた赤児の柔らかさに、私はもちろんのこと誰もが夢中になった。




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