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中編

前編に引き続き、中編です。

おばちゃんの家は、盆地の中腹辺りに位置する緩やかな斜面に建っている。

立派な母屋と離れが3つ、小屋と納屋がそれぞれつにガレージと、とにかく広大な敷地は森に囲まれ、木々の隙間から吹き込む涼風と一日中木陰がさすため、めっぽう涼しく、昼間でもところどころ薄暗かったりした。

だが、一旦、ぶどう園のある坂の上までのぼってしまえば、そこかしこに同じようにぶどうやりんごを栽培する大農園が広がり、存外に見晴らしがいい。

家の前は、農場に続く、車同士がどうにかすれ違えるぐらいの坂道が一本あるだけで、50mほど上がった対面には寂れたバス停が道路脇にポツンと立っていた。


料亭がわざわざ汲みに来るほどの夏でもヒンヤリと澄んだ水が流れる小川と、それを辿った森の奥は、古い墓石や卒塔婆がいくつかあるだけのこじんまりとした墓地に突き当たる。

おばちゃんちと森と小川、小さなバス停が立つ坂道を背景に、オニヤンマが産卵をし、夜は蛍が舞う、そんな光景は僕が小学校に上がる前から変わることはなかった。


だが、僕が5年生になったこの夏、寂れたバス停から、おばちゃんちの方へ20mほど下ったところに、真新しいバス停が出来ていたのだ。とはいっても、電光掲示板どころか照明すらない鉄製の丸い標識のような簡素なものだったが。

僕と妹、そして二つ年上の東京のいとこは、おばちゃんが運転する軽トラの荷台に揺られながら、変化のない集落の中で際立って目立つバス停に、

「わあ、バス停、ピカピカ。」

「バスも新車かな。」

「おばちゃん、バス乗ったの?」と競い合うようにして、おばちゃんに話しかけては、関心を引こうとしていたのだった。


この日の夕食時、おばちゃんちには、僕と妹、東京のいとこの、計3人の子供が加わり、食卓は大賑わいとなった。

僕達は、手際よく料理をするおばちゃんの横で、お皿を出すなどのお手伝いをしながら、だだっぴろい和室にある、ヒノキの一枚板でこしらえた馬鹿でかい座卓に、乗り切れないほどのご馳走を運んだ。僕らが来ると、おばちゃんは張り切りすぎて、つい余計に作ってしまうらしい。

床の間を背にした一番立派ん座椅子で胡坐を組むおじちゃんは、湯気が上がる枝豆を肴に、地酒を豪快に呷り、顔を真っ赤にしている。

そこに、夏期講習から帰って来た高校生のお兄ちゃんと中学生のお姉ちゃんが加わり、馬刺しやおばちゃんちで取れたピーターコーン、いなり寿司、信州味噌の田楽に皆が舌鼓を打っていた。

話題は、地元神社で7年に一度、開催される大祭が今年巡って来たことが中心だった。

なんでも、16本の大木を切り出し、神社の柱を交換するという壮大なものらしい。

地元のTV局でもそのニュースがひっきりなしに取り上げれら、僕も、何本もの大木が、急斜面を人とともに滑り落ちていく映像を、母の在家に来てから何度か目にしていた。

なにか役回りを割り当てられるのは、大変名誉なことらしい。

「今年はお役もらえそうだ。」と茹で上がったトマトのような赤い顔をほころばせ、さも誇らしげなおじちゃんだった。


「そう言えばさ、お兄ちゃんは、学校行く時、バスなんだよね。」と僕は、さっき見た真新しいバス停を思い出して聞いてみた。

子供が思いついたことを口にしただけで、特に深い意味はない。

「うん、そう。7月から朝と夕方の本数が少し増えて、ちょっとだけ便利になったかな。それでも1時間に2本、昼間なんて2時間に1本だからね。家がバス停に一番近いから贅沢は言っちゃいけないか。」と言って、ニコリと笑い掛けてくれた。

「ふ~ん、そうなんだ。」

「その上に、古いバス停あるでしょ、たまに間違えて、あそこで待っている人とかいるんだよ。この前なんか、お母さんかと思っちゃった。もうバスがないのに。」

天ぷらをほお張りながら、お姉ちゃんがフフフと笑うと、皆がそれにつられて、

「確かに。」「オレ、それ見たかも。」「この前なんて、お母さん、湯飲みもってトイレに行ってたんだよ。」「本当にそそっかしいもんな。」と言い合い、笑がこぼれた。

こういう時、決まって「違う違う、湯飲み持っていったのは、お風呂場ずら。」とおばちゃんのオゲラ笑いが一番高らかに響くのだが、今日に限って、当のおばちゃんだけが笑っていないのだ。


「あれ、お母さん、もしかして何か気に障ること言った?」とおばちゃんの顔をを覗き込む中学生のお姉ちゃん。

「お前、それいつの話だ?」おばちゃんの表情が、心なしか、少し固くなったように見えた。

「なに?いつって、、、1週間ぐらい前かな。」

「バスがない時間っていうのは、確かか?」

いつになくシリアスなおばちゃんに静まり返る食卓。

「う~んと、そうだった気がする。遅かったし。って、お母さん、一体どうしたの?」

と、顔色を伺うお姉ちゃんに、

「その人、ちゃんと見たのか。」と、さらに強い口調になるおばちゃん。

「ううん、横目でちらって感じ。だって、夜さ、この辺、真っ暗じゃん。ぼんやりだけど、女の人が俯いていたみたいだった。」

それを聞いて、おばちゃんはお茶を喉に流し込んだ後、ふうっと大きく息を吐き

「仕方ねえ。皆に言っておかねばならんことある。」と言って頭を一度ブルッと振り、顔を上げた。

「母さん、その話は、ここではやめとけって。ほら、この子ら来とるし。」

と、おじちゃんがたしなめるも、

「いや、見えたんなら、伝えておかな、取り返すの付かんことになるわ。お前らも良く聞いとけ。」

お兄ちゃん達に声を掛けたおばちゃんは、顔を一層強張らせて、口を開いた。


「あのな、あそこの古いバス停な。あれ、撤去できんのは訳があるずら。新しいバス停が出来て、すぐのことさ。この辺、街灯も一本しかないし、月が出てないとほとんど真っ暗闇になる。でな、最終のバスがなくなる時間に、ほれ、あの、酒井さんととこの大学生の娘さんが、そこを自転車で通りかかったんよ。

そうしたら、前のバス停のベンチに、誰かがおるのが見えて、酒井さんとこの娘さんは、そのまま通り過ぎて、家に帰った時、なんかのついでにその話をしたさ。バス停に人がおった程度のことなど、ふ~んてな感じで、酒井さんとこは誰も気にしなかった

そうしたら、今度、内山さんとこのおばあちゃんが、夜、犬の散歩をしていたら、古いバス停に女の人が座っているのを見たそうだ。おばあちゃんは、「こんばんは。」って声を掛けたんだけど、返事はなかったって言うとった。白いワンピースを着て、麦わら帽子みたいなのを被ってうつむいたまま座っていたんだと。誰か待っとんのやろと思って、そのおばあちゃんも気にせず、家に帰った。」

「私が見た人も、帽子かぶってて、少し白い感じの服だったかも知れない。」

お姉ちゃんは、そう言うなり、スカートの裾をギュッと握りしめていた手を離して、口を覆うようにした。


「そうか。じっと見てないのなら、気にせんでええ。ほんで、この前、農協の集まりがあって、私が行ったやつな。内山さんと酒井さんもそこに顔を出して、ぺちゃくちゃおしゃべりしてたんだけど、そういえばって内山さんが、『深夜、古いバス停に、女の人が座っとった。』みたいな話をしたんよ。それを聞いて、酒井さんも、『うちの娘も見たって言うとった。』ってなって。

そうしたら、隣で車座になっていた別の組合員さんも、『オレも人見た。』とか、『そうずら、そうずら』ってわらわら言い出して、なんと、7人も目撃したことになったんさ。バス停が新しくなってから、たった10日で。

共通していることは、最終バスが出た時間帯だと言うことと、庇の大きな麦わら帽子を被り、白いワンピースを着た女の人が、古いバス停の椅子に座っているということよ。」

「で、なんなん、その女の人は。」

と、高校生のお兄ちゃんが話しの先を急かしたが、おばちゃんはそれを全く意に介す様子もなく、

「その夜、何かその人にも事情があるといけねえから、酒井さんと内山さん、そして交番の若いお巡りさん、唐沢さんに付いて来てもらって、3人で見に行くことにしたんだ。」

おばちゃんはここで話を切ると、お茶を口に含んだ。

8月だと言うのに、網戸から入りこむ宵の風が、室内の暑気をすっかり洗い流し、秋が来たのかと思うぐらい、ヒンヤリとした空気が充満していた。


「でな、そうそう、内木さんとこに酒井さんが来て、カブに乗った唐沢さんも合流した音が聞こえたので、私も見に行くことにした。家から30mほど上がったはす向かいだし、家から顔を出しだけでも誰かいたら分かってしまうんだけど。

私も出掛けようと、サンダル履いて玄関開けてみたら、前のバス亭にぼんやり人が居るのが、もう見えるんよ。その内、内木さん達がやってきて、『あれ、おりますよね。』って声を掛けられた。

人と言うよりも、ぼんやりとした靄が薄く光っているって言ったらいいかな、そんな風に見えたさ。

でもよく見ると、帽子を被って、ワンピースを着てる。

『こりゃ、私の出番ですな。』と唐沢さんが懐中電灯持って、一人でバス停に向かったんよ。

さすが、お巡りさん頼りになるなあって私らも見守ってて。

『あのぉ、どうされたんですか?もう夜遅いですよ。』と唐沢さんの声と同時に、懐中電灯をその女の人に向けた時、なにがあったと思う?」

「お母さん、私、怖い。」と言って、お姉ちゃんは耳をふさいでしまった

僕と妹、そして東京のいとこも、怖くて怖くてどうしようもなかった。だが、席を立とうにも全然足に力が入らない。

「母さん、いいから、もうよしなさいって。」

幾分、酔いが醒めたのか、赤味がかなり抜けた顔をしかめながら、おじちゃんが、今度は幾分しっかりとした調子でたしなめた。


それでも、おばちゃんの口は動くのを止めなかった。

懐中電灯を持ち上げる身ぶりをしながら、

「その光がな、女の人の体を、こう透けて行ってな、向こうがわの森を照らしているんよ。

それを見た内木さんは震えていたさ。酒井さんは、手を合わせて、お経を唱え出してる。

当の唐沢さんは、一体何が起きたのか、全く分からないまま、『大丈夫ですか?』『どなたかお待ちになっているんですか』とか声をかけ続けていた。

どのくらい経ったのか全然覚えてないけど、唐沢さんが戻って来て、そうしたら、真っ青な顔色してて、額や肩口が汗びっちょりでな、ほんで、おばちゃん達に、

『あの人、生きている人じゃありません。』ってだけ言い残して、ふらふらとカブに乗って行ってしまったわ。それ聞いて、皆、逃げるように家に帰ったさ。仕方ないベ、だって、まだ座っていたんだからさ。唐沢さんが転勤になったの、知ってるずら?これが原因。」

「やめてよ、本当に。」

今にも泣きだしそうなお姉ちゃん。東京のいとこは瞬きを忘れたように、机の一点を見つめている。僕もめちゃくちゃ怖かったが、救いは、隣の妹が眠ってしまっていたことだった。

「今もいるの?何者?」とお兄ちゃん

「多分、居るさ。でも、居たり居なかったりするけど、そこは見てないから分からん。何でそこに居るのか、一体なんのかは誰も知らん。分かっているのは人じゃないことだけ。」

「なんで古いバス停壊しちゃだめなの?」

僕なりに疑問に思ったことを聞いてみた。

「あれを壊すと、新しいバス停に移るかもしれないし、動かないんだったら、そこに留めておいた方が無難だって、円宗寺の坊さんが教えてくれただ。」

「それやべぇじゃん。今日も居るのかな。」と、興味津々の東京のいとこに、

「いいか、見えたからといって、絶対に近づいたり、話しかけたらダメだぁよ。」

と、叱りつけるような厳しい口調のおばちゃんは、今まで見たことがないぐらいおっかない顔をしていた。


(続く)


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