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リセット  作者: みずの
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 今まで保たれていた何らかの関係が、自分の中で音を立てて崩れていく。

 そんな感覚を覚えながら、ライは手にした携帯電話のボタンを押した。先刻までの通話は途切れ、何の面白味もない待機画面が浮き上がる。

「誰? 優雅ちゃん?」

 隣で器用にハンドルを回しながら、運転席の人物はそう声をかけてくる。

 それに「…あぁ、はい」と半ば面倒くさそうに答えるとその人物は微かに笑ってみせた。

「用件は何?」

「…さぁ。『お前のことには二度と口出ししないから私のことにももう口出しするな』ってことみたいですけど」

「何それ、絶交?」

 プッと吹き出したその稚拙な言葉に、ライも思わず口元を緩めて笑ってしまった。

 「絶交」…そうか、園児くらいの時にもこんなことがあったかもしれない。思い出すと笑えてきて、優雅も自分も何ら成長していない気がする。



「それにしても、ホントに優雅ちゃんと付き合ってるわけじゃなかったんだな。だったら俺に紹介してくれよ」

「…あいつ、今日好きな男に告白したらしいっすよ、先輩」

「えぇ! マジで!? そっかー、ライが相手じゃなくても好きな男くらいいるよなぁ」

 それが自分の兄だとは決して言わないが、ライは笑って助手席から外を眺めていた。気のいいこの運転席の男は去年まで同じ高校のバスケ部にいたOBで、今日は急に呼び出されてしばらく付き合わされた。

 もちろん女子バスケ部にいる優雅のことも知っているから、こんな会話になったというわけだ。




 やがてその先輩の運転する車がライの家の近所のコンビニまでたどり着き、送ってもらったことに丁寧に礼を言って降りる。

「こっちこそ、急だったのに連絡して悪かったな。また今度付き合ってくれ」

 笑う相手にもう一度頭を下げて、ライはその車を見送った。



 コンビニで今日発売の雑誌を買い、そのまま家の方向へ足を向ける。

 時刻は予定したよりも早く、まだ夕方になったところだ。本当ならあまり早く帰りたい気分ではないのだが、どこかで時間を潰そうという気も起こらないので致し方ない。

 マンションまでの道を、歩き始めた時だった。




「……」

 コンビニの袋がガサガサと音を立てる中、後ろから鳴るクラクションの音が耳に入る。

 それにゆっくりと振り返ると、見覚えのある真っ黄色の車が自分の横についた。

「……あんた…」

 目を見開いて小さく声を漏らすと、運転席の窓を開けた女が苦笑いを浮かべて見上げてくる。

「どこ行ってたの? まさか本当にフラれるとは思わなかった」

 木本理子は、気分を害した様子もなくそう言った。




******



 木本理子に朝会った時、痛いところを突かれたのは事実だった。

 挑発に乗ったわけではない。別に彼女が問うたように、極度のブラコンであるわけでもない。

 ただ、彼女の言葉をきっかけに、優雅とソウのいる「そこ」に自分の居場所があるのかどうか疑問を覚えたのは本当だった。



 だからあの時、一瞬でも離れたいと思ってしまった。それを引きとめようと、理子のところに行かせようとしない兄に腹が立ったのも事実だ。

 優雅の手を振り払ってでも…兄に乱暴な言葉を叩きつけても、苛立ちは治まりそうになかった。



 あの時、理子が待ってると言ったところに行ってもいいと思ったのも本当だ。

 恐らく、優雅とソウを置いて理子の待つ場所まで向かう間にあの先輩から連絡がなければ、ライは確実に彼女のところへ行っていただろう。

 だけど実際は、ライがそこへ行くことはなかった。理子がどれほど彼を待ったのかは知らないが、夕方の今時分になってもこの辺にいるということは、考えたくはないが1日中待たせたのだろうか。



「あんた…何でこんなとこにいるんだよ」

 半ば唖然として尋ねると、理子は素知らぬ顔で自分の横を指差した。

「乗らない? ライくんとちょっとお話したいんだけど」

 彼女の言葉は「問い」であるのに、首を横に振らせる雰囲気は微塵もない。

 小さく息をついて、ライは言われるまま助手席のドアへ手を伸ばした。






「結構本気でショックだったんだけど。てっきり来てくれると思ってたし」

 座席に座るとすぐ、理子はそう言いながら車を出す。思ったよりも乱暴さのない運転技術で、目の前の細い路地をスイと抜けて行った。

 そして人通りの少ない、邪魔にならない場所を見つけては端に寄せて停車させる。言葉通り「ちょっと」話したいだけなのか、どこかへ連れて行かれる雰囲気はなかった。

「自慢じゃないけど、男にフラれたのは初めてよ」

「…そんなにモテるんなら別に俺じゃなくてもいいだろ」

 呟くように返したライには、どうして理子がここまで自分に絡んでくるのかは未だに理解できない。

 話をしたのはまだこれで3度目だし、彼女の紡ぐ言葉に今ひとつ信憑性を感じないのも無理はなかった。



「初対面で興味持っちゃったから、仕方ないわよね」

 世間ではそれを「一目惚れ」とでも言うのかもしれない。ただやはりさして興味も感じず、ライは「ふぅん」と返事をするだけだった。

「どうしたら信じてもらえるのかしら」

「どうしたもこうしたもねぇよ。あんた男に困ってねぇんだろ」

「確かに私色々遊んできたし、そういうだらしないところ君のお兄さんにも否定されたけどね」

 自嘲するように笑って、理子はハンドルに肘をついて隣のライの顔を覗き込んだ。

「でも人の男に手をだしたことはないし、私なりにルールはあるの」

「…?」

「本気で好きになった男が「遊んでるような女は嫌だ」って言うなら、今からでも変われるし」

 言いながら、理子は後部座席に置いてあった鞄を取ろうと少し身を乗り出す。そうして手にした鞄から携帯電話を出して、ピピっとボタンを数回押して操作した。

 そこに呼び出した電話帳の画面を、ライに向けて見せる。保存されたアドレス件数は数百を余裕で超えていた。

「これ、9割は男の番号ばっかりなの。全員ではないけど、ほとんど遊び相手」

「…すげぇな」

 唇を歪めて笑い返したのは、言葉通り感心したわけではなかった。ただ、本当に自分に興味があると言う理子の言葉が更に信用ならなくなっただけだ。

 それだけ遊び歩く女の言葉が、胸に響くわけもなかった。自分は遊び相手なんて欲していないのだから余計だ。



 そう思って呟いた言葉だったが、理子はそのライの本心にも気づいているようだった。

 もう一度ニコリと笑ってみせて、またピッと携帯を操作する。

 そして再び見せた画面に現れたメッセージ。それを見て、ライは少し目を見開いた。

「おい…!」

 ライの呼びかけもむなしく、理子は躊躇うことすらなく『全件削除しますか』の問いに「Yes」ボタンを押す。

 思わず茫然としてしまったのは無理もない。だが理子は全く気にした様子もなく、その携帯をライに手渡した。

「代わりにライくんの番号入れて」

「お前…っ、仕事関係の人間とかもいるんじゃねぇのかよ」

「大丈夫。仕事用とプライベートと、携帯分けてるの」

 そういう問題なのか。言いたい言葉がうまく出てこない。驚いた余り、口をパクパクさせるだけで声を失ってしまった。



「ライくんが遊んでる女は嫌だって言うなら、全部捨ててもいいと思ってる」

「あのなぁ…!」

「今すぐ付き合えなんて言わないわよ。私にしてはありえない言葉だけど、『まずはお友達から』。どう?」

 屈託なく笑う理子の表情は、遊び歩く女の妖艶なそれとは程遠かった。どちらかと言うと、確かに言葉通り無垢な笑顔に見える。




 呆れたように言葉をなくしたライだったが、やがて大きく吐息を漏らした。そして「…負けた」と呟く。

「そこまですることねぇだろーが」

「…あら、番号入れてくれるの?」

 手渡された携帯を操作し始めたライの指先に視線を落として、理子はもう一度笑った。何食わぬ顔で笑っているが、食えない人間だ。そうさせたのは自分のくせに。



「俺、電話もメールもそんなにマメじゃねぇけど」

「いいわよ。マメすぎる男はあんまり好きじゃないし」

 掴めないくらいの方がステキ、と言って唇を持ち上げた理子に、ライはこの時初めて苦笑いを浮かべて返した。



 自分の電話番号とアドレスを手早く入力して、携帯電話を理子に渡し返す。「ありがと」と言って笑う女に、ライは軽く首を振った。

 ここまで強引だとは思っていなかったけれど、第一印象とも少し違うから不思議だ。

 もっと世の中を斜に構えて見下ろしている女だと思っていた。他人と世間全てを見下していると。

 でも今実際に目の前にいる理子は、初めに受けた印象よりもよっぽど人間味があって子どもっぽく笑っていた。

 人を見る目は、兄よりはきっとマシだ。恐らくこの女のこれは計算ではないだろう。そう感じ取ったからこそ、ライは自分の彼女への発言に少しの責任を感じたのだ。

 そうでなければ、いくら相手が強引だからと言って携帯番号を教えたりはしないだろう。



「また今度連絡するわね」

 嬉しそうに笑う理子に小さく首を竦めて返して、ライは短いやり取りを終えてその車を降りた。




******



「ただいま」

 マンションの自宅に帰ったが、返る声はなかった。

 玄関には男ものの一組の靴だけ。ソウはどうやら戻ってきているらしい。自室にでもいるのか、リビングや見える範囲に姿はなかった。

 父親はもちろん仕事で不在だし、母親は……この時間にいないということは、また優雅の家にでも遊びに行っているのだろうか。

 首を捻りながらライは、一番奥の部屋へ進んだ。自分の部屋に戻る前に、その扉をノックする。



 「はい」と返る声を待ってから、その取っ手を手前に引いた。

「…おかえり」

 どうやら本を読んでいたらしいソウは、眼鏡を押し上げながらこちらを振り返る。

 開いたハードカバーの小説のページは確か昨日見かけたのと同じところだ。読書をしようと思ってはいるけれど、身が入っていないのかもしれない。

 結局開いただけで内容など頭に入っていないのだ。



「……」

 そう思うと吹き出しかけた。いつも冷静沈着で柔和な笑顔を浮かべている兄が、ここまで我を失わされている姿はなかなか見れるものじゃない。

(やるじゃん、優雅)

 内心で笑ってから、ライは表情には出さないように後ろ手にその扉を閉めた。



「今朝は…」

 椅子に座った兄を見下ろしながら、ライは小さく口火を切る。

「悪かったよ。言い過ぎた」

 優雅に「謝れ」と言われた通り、そう口にした。

 この時には確かに自分の朝の言葉を反省していなくもなかったので、嘘ではなかった。



「…いや、俺も余計なこと言った」

 開いていた本を閉じて、ソウは傍らのテーブルにそれを置いた。



 それから何かを言いかけたが、そのまま口を再び閉ざす。だがライにはソウが何を言いかけたのかは分かる気がした。

 ただ、それを口にしたら同じことの繰り返しだと悟ったのだろう。だから、小さく苦笑いを漏らしながらあえてこちらから話す。

「あの後、あの人のところには行ってねぇよ。バスケ部OBの先輩から連絡もらったから、そっち行ってた」

 ライの言葉に、ソウは「…うん」と小さく返事をしただけだった。

「あぁでも、さっきそこで結局会ったけど」

「…木本さんに?」

「そう。考えたくはねぇけどずっと待ってたんかな、あの人」

 その言葉に、ソウは今度は黙りこんだ。恐らく、会社で理子と接しているソウにとっても彼女はそういう健気なタイプには見えていなかったのだろう。



 結局、皆同じなのだ。

 優雅がソウのことを好きだと言いながらも相手のことを何も知らなかったことに気づいたように。

 ソウに見えている理子もごく一部で、全てを知っているわけではない。

 人が他人を判断する時、その情報は限定されすぎているものだ。




「兄貴、俺があの人に惚れることは多分ねぇよ」

 ソウの心配の意味も分かる。ライがもてあそばれることを懸念しているのだということも。

 だからそう告げる。ただ、そこで唇の端を持ち上げて続けた。

「『今』のところは、な」

 揶揄するように告げた言葉にソウはわずかに目を見開いたが、結局それに返事をすることはなかった。



 世の中に、「絶対」などないのだ。優雅の想いも、理子との未来も、ソウの感情も、ライの予感にも。

 今がどうあれ、この先はどうなるか分からない。



「それは兄貴だってそうだろ?」

 問うた言葉に、ソウが力なくまた視線を持ち上げた。

「優雅に告られて、これからどうするんだよ」

「…! 何で…」

「さっき本人から聞いた」

 あっさり答えるとソウが大きくため息を漏らすものだから、ライはまた笑ってしまう。

 こんなに動揺した兄はなかなか見られるものじゃない。



「…ちゃんと考えるよ」

 やがてポツリと漏れた声に、ライはわずかに眉を持ち上げる。

「あれ、そうなんだ。てっきり兄貴のことだから、優雅に告られても『そんな風に見たことない、ごめん』とか言って無神経な言葉で瞬殺したのかと思ってた」

「……う…」

 からかうように言うと低く唸るものだから、ライはまた笑ってしまう。どうやらそこまでの予想は外れていないらしい。

「俺、そんなに無神経かな」

 優雅にも同じことでも言われたのだろうか。反省したように肩を落として呟く兄の言葉に、首を竦める。

「悪意ある無神経じゃなくて、マジで天然な無神経だからタチが悪ぃんだよ」

 遠慮の欠片もなくそう口にすると、ソウは本気で反省しているのか両手で自分の顔を覆った。

 それにもう一度笑うと、「笑うなよ」といつもより低めの声が返ってくる。




 もしソウが、言葉通り本当に「ちゃんと」優雅とのことを考えたら、また何かが変わるのだろうか。

 2人だけじゃなく、自分も含めて…? それまで保ってきた3人のバランスが、何らかの形で違った姿を見せるのかもしれない。



 そんなことを考えながら、ライは口元の笑みを自然と消してしまっていた。






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