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リセット  作者: みずの
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5


 奇跡的に、不動産屋での物件選びはすぐに終わった。

 条件に見合うものを2軒ほど選び、実際に下見に行ってそのうちの1つに決めた。

 土地柄も考慮して優雅の意見も参考にし、ソウが選んだのは彼女の家から5分ほどしか離れていないアパートだった。

 アパートと言っても、最近は綺麗でセキュリティもしっかりしているものも増えているようだ。



 簡単な書類を作成し、後は向こうで審査が通るか後日の連絡待ちだ。今まで借金をしたこともなければ家賃を滞納したこともない。安定した職業に就いてもいるので、無下に断られることもないだろう。



「ソウちゃん、よかったね。いい物件見つかって」

 笑ってそう言うと、ソウも少しだけ微笑んで返した。



 不動産屋を出る頃にはちょうど昼前だった。

お礼にとランチに誘われたけれど、優雅はこの後クラスメイトと待ち合わせがある。ゆっくりしている時間はないので、手早く食べられるファストフード店に入ったところだった。



 そう言えば、夜彦が決めたその今日の集まりに、ライはちゃんと来るのだろうか。

 ふと疑問に思いながらも、優雅はあれからずっとソウのことも気になっていた。ソウはあの後、優雅にライのことは何も言わなかった。木本理子のことも。だけど、まったく気にしていないわけなどないのだ。



「ソウちゃん…」

 テーブル席は1つも空いていなくて、窓側一番端のカウンター席で並んで座っていた。アイスティーをストローでかき回しながら、優雅は小さく呼びかける。

「ライ、あんなこと言ったけど…本心じゃないよ、きっと」

 言うと、ソウは頬杖をついていた体勢のまま一瞬目を伏せる。それから、隣の優雅を振り返るとまた微かに笑った。

「分かってる」

 だけどその笑顔が、優雅には少し悲しく見えるのだ。

「優雅は優しいよね」

 ポンと頭に手を置かれて、軽く撫でられた。いつもならそれだけで天にも昇るくらい舞い上がりそうなのに、今は素直に喜べそうにはなかった。

 そんな顔をしないでほしい。そんな顔で笑わないでほしい。

 優雅が思うのは、ただそれだけなのに―。




「本当は、分かってるんだ」

 優雅がソウの笑顔に少し胸を痛めている間、しばらく無言だったソウがやがてそんな声を漏らした。

 そしてゆっくりと、優雅の頭を撫でていた手を引く。

「俺だって、初めから無条件でライをかわいがってたわけじゃないから」

「……え?」

 ソウの言葉に、優雅は思わず眉を寄せた。いつでも優しくて温かいソウにしては、珍しく陰を落とした言葉だった。

「俺はね、優雅…。ライが産まれた時、本当に嬉しかったか自信がないんだ」

 ポツリと呟くように話し始めたソウは、その口元すら頬杖をついた手で覆う。



「いや、嬉しかった…と、思う。だけど覚えてるのは、それよりも両親をとられそうだっていう『嫉妬』と、そんなことを思う自分への『嫌悪』だった」

 初めて聞く話だった。いつも負の言葉なんて口にしないソウ。それが初めて自分に弱音に似た何かを吐き出そうとしているのかと思うと、優雅の胸を突く。



「年の離れていない兄弟なら、そんな嫉妬、よく聞く話だよ。だけど俺は…もうその時は10才だったのに。赤ん坊に対抗して嫉妬するなんて自分でも最低だと思った」

「そんな…」

「両親が、赤ん坊に手がかかって俺から離れるのは当然だと思う。忙しくて大変な両親のためにも、もう自分のことはある程度できる年だったから」

「……」

「『お兄ちゃんなんだから自分でできるでしょ』当たり前に言われるそんな言葉が、死ぬ程嫌いだった」

 ソウのいつもより低い声に、優雅は目の奥が熱くなっていくのを感じた。それは、ソウの両親が悪いわけではないのだ。

 どんな親でも、きっと…。物分りもよくて何でもできる年頃の上の子どもには甘えてしまっても仕方がない。



「普通なら、そこで『ライなんかいなくなればいい』って思うのかもしれない。…そう思えれば良かったのかもしれない。その方が、まだずっと子供らしかった」

「……」

「俺は、そうじゃなかった。『自分のこと』だけじゃなくて、ライの世話も何でもやった。『いいお兄ちゃんね』って周りに言われたかったからじゃない。ただ、ライをかわいがっていれば両親も俺を見てくれると思った」

 …10才の子どもが…そこまで考えるものだろうか? 優雅には自分がその年の時にどうだったか自信がない。

 ただソウの話を聞いていて言えるのは、子どもはいつだって、大人が思っているよりよっぽど深く色々なことを考えているのかもしれない、ということ。



「家族の中で疎外されないように、必死だった。ライと繋がっていれば、自然と俺も両親の視界に入るから。…おかしいよな。冷静になって考えれば、うちの両親はそんな最低な親じゃないのに」

 だけどそれだけ、当時のソウは必死だったのだろう。

「その延長だよ。やがてライのことが本当にかわいく思えるようになったのも、この年になっても色々と口出ししたくなるのも」

 そこで一度言葉を切って、ため息を漏らした。

「それをライがうっとうしがってるのも、本当は分かってるんだ」

 先刻と同じ言葉を繰り返し、ソウは残っていたコーヒーを飲み干す。

 物思いに耽るように目を伏せれば、長い睫が何かに耐えるように揺れた。



「一人になりたくなくて必死だったはずなのに…でも結局、今になってまた一人になるんだよな」

 それが当たり前のことだけど、と付け足したソウの言葉に、優雅は返すべき声を失くしたままだった。




******



 気の利いたことが言えない自分が、ここまでもどかしかったことはない。

 これがライなら…相手の気持ちを軽くする「何か」を口にできたのだろうか。



 それでも優雅はそこまで大人ではないし、その術も知らない。

 自己嫌悪と理性に葛藤するソウに慰めの言葉は何もかけられそうになかった。



「出ようか、そろそろ行かないと待ち合わせに遅れるだろ?」

 沈黙が下りていた二人の間に、やがてソウの方が先に口を開いた。

 店内に流れていた音楽を遮るような声に、優雅も「う、うん」と慌てて立ち上がる。

 きれいに食べ終えた後のトレイをソウが返却場所に返しに行くのを眺めながら、さっきからズキズキと痛んでやまない胸をおさえた。



 この痛みは、ろくなセリフすら言えない自分へか―。

 それとも、ソウの胸の痛みに共鳴したからなのだろうか。




「待ち合わせの駅は学校の方だっけ? そっちまで送ろうか」

 もうその頃にはいつもの微笑を浮かべていたソウ。店を出てそんな声をかけてきてくれたけれど、もう優雅の耳にはその半分も届いていなかった。

「……」

 店の前で、優雅は立ち止まる。自分を奮い立たせるようにグッと握った拳に、スカートの横で更に力を込めた。



「…優雅?」

 先を歩き出そうとしていたソウが、彼女がついてこないことに気づいて振り返る。

 少し首を傾げたその仕草は、長年優雅が見慣れてきたものだ。



 そう、ずっと見てきたのだ。だから、優雅は自分で分かっているはずだった。

 ソウが気の利いた言葉なんて待っていないこと。優雅にそんなことを求めているわけではないこと。

 自分の一言が他人を救えるなんて思ってない。だけど、救いになんてならなくても代わりに伝えられることならあるはずなのだ。



「…ソウちゃんは、一人にはならないよ」

「……?」

 ポツリと呟いた優雅の言葉に、ソウは体ごとこちらを振り返った。今度は本気でその意味を尋ね返すかのように、少しだけ優雅の顔を覗き込む。



「私が、ずっと一緒にいるよ! …ううん、ソウちゃんと一緒にいたいから…っ」

「…優雅」

 堰を切ったように大きな声でそう告げた優雅の言葉に、ソウは少し驚いたようだった。

 目を見開いてこちらを見つめ返す。だがやがてそれもフッと細めると、ふわりといつもの柔らかい笑みを浮かべる。



「ありがとう。優雅はやっぱり優しいよね」

「……っ」

 …違う。ソウは全然分かっていない。

 相手の言葉を受けて、優雅はギッと唇の端を噛んだ。



「違うよ。そうじゃなくて…!」

 それだけソウにとって、「優雅が自分のことを好き」だとは思いもしないことなのだ。

 それは、ソウにとっては優雅自身が恋愛対象にもならないから、だ。そんなことは分かってる。昔から、相手にされてもいないことだって知ってる。

 かわいい妹分としてしか見られたことがないことも…。



「好きなの! ソウちゃんのことが…っ」

 口にした途端に、それまで意識もしていなかったはずなのに涙が零れ出た。

 ポロリと流れるその雫が、冷たいのか温かいのかさえも実感がない。

「幼馴染とか…兄妹愛みたいなものとか…そんなんじゃないの…っ。ソウちゃんのことが…好きなの……っ」

 昼時の飲食店の目の前。人通りもそれなりにあったが優雅にとってはそんなことはもう構っていられなかった。


 今度こそ本当に優雅の言葉の真意に気づいたソウは、今までにないくらい目を瞠って立ち尽くした。

 言葉もなく、薄く開いた唇から返る声は発されることもない。



 ただ、その沈黙が痛いくらいに長く感じられる中で、二人はしばらくそのまま互いを見据え合っていた。






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