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リセット  作者: みずの
3/7

3


「木本さん」

 運転席の窓ガラスをコンコンとノックすると、ウィンと軽い音を立ててそれが開く。

「もういいの?」

「はい、お待たせしました」

 ニコリと笑って答えると、「乗って」と助手席を顎で示される。それに「すみません」と応じて、ソウは反対側に回り込んだ。




 木本理子との出会いは、入社して1年が経った頃だった。

 関わっていたプロジェクトが一段落し、新しい仕事を請け負った時にすぐ上の先輩という立場で彼女がいたのだ。

 会社では敵が多い…というか、敬遠されがちな彼女。恐らく彼女の周りで、そのキツい性格に嫌悪感を持たず、裏表なく付き合っているのはソウだけではないだろうか。

 そんなソウは理子にとっても付き合いやすい後輩だった。何より面倒くさくなくていい。

 社内や取り引き先の女子社員に「王子様」なんて言われている男だが、女と見ればすぐに恋愛対象になるか否かばかりを考えて品定めする男共より、よっぽど楽だった。



「そう言えば弟くんに会ったわよ」

 ソウがシートベルトをした瞬間に、理子はギアを入れ替えて車を発進させる。その言葉にソウは「あぁ、はい」と頷いたが、すぐに小首を傾げた。

 確かにライから理子が既に外で待っているのは聞いた。ライは夕方も理子の車から降りるソウを見ているので当然だろう。

 だが、理子は…? 理子がライのことを知っているはずがないのに。

「よく弟だって分かりましたね」

「そりゃそうよ。散々聞かされたもの」

「……? えっと…誰に?」

「あ・ん・た・に! 覚えてないだろうけど、先月の飲み会の時にね」

 言われて、ソウは「…あぁ…」と渋々納得する。そう言えば思い出した。先月の飲み会で珍しく記憶が薄れるくらい飲んでしまったことを。

「あんた酔うとめんどくさいわよー。ずっと『かわいいかわいい弟のライくん』の話ばっかり。あと『幼なじみの優雅ちゃん』」

「…優雅の話までしましたっけ」

「したわよ。ホントに覚えてないのねー」

 呆れたように溜息をつきながらも、理子は次の瞬間には再びフッと笑った。



「うん、でも確かにかわいかった」

 音符でも付きそうなくらい弾んだ理子の声は、珍しい。嬉しそうに言うその言葉にソウは首を捻る。

「顔ですか? ライはどう見てもかわいい系ではないと思いますけど」

「ううん、ちょっと話した印象」

「…話したんですか?」

「声かけられちゃった。大好きなお兄ちゃんの彼女かどうか確かめたかったみたいよ」

「…あいつ…」

 理子とは付き合ってない、会社の先輩だと話したはずなのに。一体何を疑っているのか。

 吐息まじりに呟いたソウに、理子はやはり嬉しそうに笑う。

「優雅ちゃんのために聞いてきたんじゃないかしら」

「…優雅? どうしてここで優雅が?」

「……あんたホントにイケメンだけど色々と残念よね。弟くんの方が鋭いしイイ男になるわよ絶対」

 あと5年くらいしたら楽しみ、なんて言う理子に、ソウは本気で嫌な予感が胸をよぎった。



「木本さん…本気じゃないですよね?」

「何がぁ?」

 理子のことは先輩として尊敬しているし、人間的にも嫌いではない。

 ただ彼女の男癖の悪さは知っているし、それを非難するつもりもないけれど自分の身内に飛び火するのは避けたかった。

「だってかわいいものはかわいいし、好みなものは好みなんだもの。どうしようが私の勝手。年下の男の子を育ててみたいなぁなんて思ってたのよねー」

「…そういう木本さんの付き合い方を否定する気はないですけど、ライに手を出すのはやめてください」

「何で? そういうのも『お兄ちゃんの許可』が必要なの?」

「…っ」

 返す言葉がなく、ソウは代わりに唇を噛むしかなかった。確かにそうなのだ。もう高校生のライが、誰と付き合おうが親ならともかく兄の立場である自分がとやかく言う権利はないと思う。

 だけど…。



「ライに『そういう』付き合いは早いんです」

「『そういう』って何? 大人の付き合い? 本人は熟女好きだって言ってたし、別に構わないじゃない」

「…俺は…」

 頭痛すら覚えそうな会話に、本気で嫌気が差してくる。

「昔から、ライには優雅が1番お似合いだと思ってるんです」

 ソウの搾り出すような言葉に、理子はこの時笑みを消して本気で眉根を寄せた。

「それ…本気で言ってるの?」

 一段と低くなった理子の声に、ソウは顔を上げて少し目を瞠る。ハンドルを片手で怠慢に操作する理子の横顔を見つめ返すと、眉間に深い皺が刻まれていた。

「忠告しとくわ。それ、優雅ちゃんとライくんの前では絶対に言わないことね」

「…木本さん…?」

「あんたはかわいい後輩だけど、男としては本当に面倒だわ。一つ聞くけど、あんたが本気で守りたいものって何なの? ライくん? 優雅ちゃん?」

「……」

 何を責められているのかすら、今のソウには理解できるわけもなかった。ただ、理子の不機嫌に満ちた声音を黙って聞くしか術がない。

「それとも、自分?」

 ただ、その低い声も何故か戯言だと聞き流すことができない響きを持っていることだけは、感じ取っていた。




******



「優雅ちゃん、美羽、ちょっといい?」

 翌日の昼休み、教室で美羽とお弁当を広げていた優雅はそんな声をかけられて顔を上げた。

 そこに立っていたのはクラスメイトの羽鳥夜彦で、柔らかい物腰でクラスの人気者の少年だった。昨日の美羽の話では、修学旅行で同じ班になったはず。それ以外に接点らしいものは見当たらない。

「何?」

 フォークをケースにしまいながら、美羽が聞き返した。

「来週頭に修学旅行の行動班のプランを提出しなきゃいけないんだけど…どうもうちの班、それまでに集まれそうになくて」

 どうやら彼は、優雅がいなかったその班決めの間に班長にまで仕立て上げられてしまっていたらしい。

 几帳面な性格からか、きっちりと仕事をこなそうとしているところは誰が見ても好感を持つところだろう。

「草壁さんにも聞いたんだけど、今週は委員会とバイトで忙しいって、時間が合わなそうなんだ。2人も部活あるよね?」

 「草壁さん」とは、クラスの女子の一人だ。確か名前は「萌」なので、優雅や美羽と同じ班になったのだろう。問われて、優雅は美羽と顔を見合わせる。確かにこちらにも都合がある。それを取りまとめる彼が1番大変な役割だろう。

「それで、学校で話し合うのは難しそうだから、できたら今週末の土曜に皆でどこかで集まれないかと思って」

 予定はどう?と重ねて聞かれて、美羽は鞄の中から取り出した手帳をめくる。

「うん、私は大丈夫そう」

「私も…確か大丈夫」

 美羽に続いてそう答えると、夜彦は「良かった」と笑った。

「あとはライの予定なんだけど…」

 言いかけたその時、後ろから3人に大きな影がさす。



「土曜だったら、午後からなら大丈夫だ」

 ちょうど後ろを通りかかったところだったらしい。夜彦が再度同じ説明をする前に、手際よく答える。

「良かった。じゃあ皆、土曜日の13時に駅前で」

 こちらもてきぱきと話をまとめ、夜彦は最後にニコリと微笑んでみせると手を振って自分の席の方へ戻って行った。

 優雅の目の前では、美羽が新しく決まった予定をその手にした手帳に記している。

 ライはクルリと身を翻して、そのまま教室を出て行こうとした。まだあと15分くらいは昼休みが残されているからどこかへ行くのかもしれない。

「……ライ!」

 そんな後ろ姿を呼び止めて、優雅はガタンと椅子を鳴らして立ち上がった。




「何」

 廊下に出たところで、ライは肩越しにこちらを振り返る。尋ねられて優雅は一瞬言葉に詰まった。何故自分がライを引きとめたのかも分からなかったからだ。

 特に話したいことがあったわけでもない。ただ、何となく…今日のライに違和感を覚えたからかもしれない。そんな不確かで曖昧なものを理由に呼び止めたって、うまく言葉には繋がらない。

「…いや…えっと…あ! 土曜日、何か用事あるの?」

 さっき「午後からなら」と言っていたことを思い出し、優雅はそう尋ねた。「関係ねぇだろ」と言われてしまえばそれだけの話だが、ライは答えないまま優雅の顔を凝視する。

「な、何…」

 その視線に思わずたじろいで、半歩下がる。だけどそんな優雅に小さく息をついたライは「ん、別に」とクルリと踵を返した。

「何、何。気になるじゃん」

 廊下を再び歩き始めようとしたライの袖を軽く引っ張って、後ろからその顔を覗き込む。やっぱり今日のライはいつもと違う。なにか悩み事でもあるのか、体調でも悪いのか…。



 だが、

「優雅、兄貴が来月からこっちに帰ってくるらしい」

 言ってみればライがもたらしたそんな一言は優雅にとっては寝耳に水で、思いがけないものだった。予想すらしていなかったその話に、ただ大きく目を見開く。喜ぶとかそんなことは後回しだった。

「土曜の午前中に物件見に行くから、ついてこいって言われてんだ」

「…そう…なんだ…」

「嬉しくねぇのかよ」

「いやなんか…それよりびっくりして…」

 はは、と乾いた声で笑いながら、優雅は自分の髪を撫でるように梳く。戸惑った時の癖だった。

 嬉しくないわけがない。ただ、思いもしていなかった分驚きが先行する。



「お前んちの近くになるらしいぜ」

「…本当っ? 何で…実家に戻らないの?」

「一回家出ると一人暮らしが楽なんだと」

「…なるほど…」

 それは分からなくもない。実家が嫌なわけではなくても、一人暮らしをしたらその自由さに戻れなくなると聞いたことがあるからだ。

 優雅にとってはそれも喜ばしいことだ。だけど手放しでそれを表現できないのは何故だろう。

「ライは…嬉しくないの? ソウちゃん戻ってくるのに」

「は?」

 意味が分からない、と言うようにライが眉を寄せた。…自覚がないのだろうか。いつものライなら、ソウが戻ってくると知ったらもう少し嬉しそうにしていそうなものなのに。

「兄貴が帰ってくるだけでそんなにテンション上がるほどガキでもねーよ、もう」

 …それはそうかもしれない。男子高校生が兄一人のことで一喜一憂するとはあまり考えたくはない。

 でも…そんなことは置いておいたとしても、今日のライはどこか変だ。



「ライ、何かあったんじゃないの?」

 その顔を覗き込もうとするけれど、ライが一歩下がる。

 避けるようなその素振りに目を丸くして、優雅は首を傾げた。

「ライ?」

「ちょっと、こんなところで痴話喧嘩しないでくれる?」

 尚も呼びかけようとした優雅の後ろで、高い声が2人の間の空気を阻んだ。

 振り返るとそこに立っていたのは、クラスのとある女子だった。入り口付近で立ち止まってしまっていた為、相当邪魔になっていたようだ。

「あ、ごめん…」

 慌てて優雅は横に飛びのく。だけど「痴話喧嘩じゃないんだけど」と唇を歪めて抗議することは忘れなかった。だがそれも小声すぎて彼女には聞こえていないだろう。


 その女子は、同じクラスでも優雅とはほとんど話もしたことがない。ただライとはそれなりに仲が良いらしく、先月彼に告白をして振られた、なんて話も聞いたことがある。

「何なの、ライ。やっぱり優雅と付き合ってるわけ?」

 不満そうに言う彼女は、どうやら自分が振られた責任を優雅に転嫁したいようだ。

「ちが…」

「うるせぇな、付き合ってねぇっつってんだろ!」

 いつも通り慌てて否定しようとした優雅。だけどそれを遮るように、ライが上から言葉を叩きつけた。

 その迫力に彼女だけでなく、優雅も思わず閉口する。

 ライはというと、2人を黙らせた後すぐに不機嫌そうに髪をかきあげながら再び身を翻した。



「な、何あれ…あんなに怒んなくてもいいじゃん…」

 ブツブツと呟く女子の言葉すら、優雅の耳をすり抜ける。

「ライ…?」

 廊下の向こうの方へと歩いていくライの後ろ姿を見送りながら、優雅は届かない声でその名を呟くことしかできなかった。




 やっぱりおかしい。いつものライなら…こんな風に尋ねられて怒ることはない。

 笑って受け流すだけで、いつも躍起になって否定するのは優雅だけだったはずだ。




 何かが、違う。自分の中で燻る感情と、そしてライの態度と。

 緩やかに…だが確実に前とは変わっていく「何か」に、優雅は確信もなかったが身震いするほどの恐怖を感じた気がした。




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