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リセット  作者: みずの
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1

 一人の人間が生まれてから死ぬまでに過ごす世界は、とても狭い。

 そうしてそれをさらに狭くするのは、その人間の限られた視野に他ならないのだ。






「…俺と…っ、付き合ってもらえませんか」

 目の前の男の口から漏れた一言は、数秒前から…いや、正確にはここに呼び出された数分前から予測していた言葉だった。

 予想通りな展開。そして何の面白みもないその言葉に、「優雅」は内心で辟易する。

 なぜなら彼女には、こうして告白されることが珍しいことではないからだ。加えて、目の前のこの男のように友人を連れて告白に来るような奴は言語道断だ。



「ごめんなさい」

 あっさりと応じた優雅に、彼は瞬時に傷ついた顔をした。もしかしたら、OKをもらえると思い込んでいたのかもしれない。

 眉を寄せて胸の痛みに耐えた後、「もしかして…」と往生際悪くまだ言葉を継ごうとする。



 こういう状況に免疫のある優雅は、その後彼が何を口走るのか予想できていた。それがまたイライラする。

 自分がモテると自惚れるわけでもないし、好いてくれる気持ちが嬉しくないわけではない。ただ、それでも気分を害される言葉はあるものだ。

「やっぱり…『ライ』と付き合ってるの?」

 …ほら来た。内心で優雅は盛大な溜息をもらしたい気分だった。

 予想通りの展開と、問い。それが優雅の神経を逆撫でするとも知らず。



「それはないから。…でも、ごめんなさい」

 丁寧に頭を下げて、できるだけ胸の内をさらけ出すことのないように注意しながら優雅は先にその場を後にした。






「おかえりー」

 教室に戻ると、自分の席の一つ前の椅子に座っていた美羽が間延びした声をかけてきた。

 長い足を組み、少し猫背気味に背もたれにもたれかかっているけれど、澄んだルックスからは「怠慢」さを感じるよりも、その気だるそうな姿が逆に人目を惹くことは間違いない。

 肩ほどの髪を揺らし、優雅に後ろの席を勧める。背の高い彼女に比べると、155センチに満たない優雅は余計に小柄に見えた。



「やっぱり告白だった? 3組の松野くん」

「……」

「機嫌悪いなぁ。…まぁそりゃそうか。告白に友達についてきてもらうって…ないわ」

 美羽の後ろの椅子を引きながら、優雅は今度こそ息をついた。もうその「松野くん」に見られることもないだろうから構わないだろう。



「加えて、やっぱり言われた。『ライと付き合ってるの』って」

「あらら」

「私が何であいつと付き合ってることになるの! もうそればっかりでうんざり」

「そりゃ仕方ないよ。結局優雅が1番仲良いのってライだもん」

「あれはただの腐れ縁!」

 幼なじみと言えば早いのかもしれない。だけど優雅にとって、ライの存在はそう呼ぶには少し違和感を覚える。

 優雅のイメージでは、幼なじみとは家が近所で幼い頃から一緒で…思春期には少し距離を感じてしまうような、そんな甘酸っぱさを感じる存在だ。



 だが、ライは違う。家が近所なわけでもないし、学校が一緒になったのもこの高校からだ。

 親同士が昔から仲が良いということもあって、赤ん坊の頃から何度も会っているしよく一緒に遊んでいた。だけどそれはもう家族くるみの付き合いであり優雅にとっては兄弟のようなものなのだ。

 加えて、思春期だからと言って恥らって距離を取るような男でもない。



 だから優雅も昔からと同じように今もライと付き合っている。確かに互いをよく知っているだけあって一緒にいて楽な存在だ。

 だけどそこに恋愛感情などないと言うのに…。



「どうして皆そう思い込むんだろう」

 ポツリと漏らした言葉に、美羽は首を傾げた。

 そんな彼女に、優雅は少し身を乗り出して続ける。



「だって、松野くんからしたら私の一部しか知らないわけじゃない。学校にいる時の私しか知らないわけでしょ? たとえば学校を出たら、私が誰とどんな付き合いをしているかなんてわからないわけじゃない?」

「まぁそりゃそうだよね」

「なのにどうして、自分がフラれたからって『ライと付き合ってるから?』になるの? 私だって学校の外で、松野くんの知らない誰かと付き合ってるかもしれないのに」

「『お前に見えてる私だけが全てじゃねーよ』ってこと?」

「そんな風に言うと乱暴だけど…でも、不思議なんだよね。どうして人は、自分の見えてるものだけで相手の全てを知った気になるんだろう」

「…出た、優雅の哲学思想」

 苦笑い気味に、美羽は揶揄するように呟いた。




 昔から優雅は、普通の女子と比べると少し変わったところがある。

 容姿はそれなりにかわいいと言われる部類に入るし、素行も問題ない。だが、生真面目すぎる性格のせいか物事を真剣に考えすぎる癖がある。

 告白されて「嬉しい」という感情だけで終われない理由が、そこにあるのだ。



「…めんどくせぇ女だな、相変わらず」

 不意に低い声が降ってきたのは、優雅と美羽の間に一瞬の沈黙が落ちた時だった。

 そちらを見上げると、すぐそこに立っていたのはちょうど噂の人物、ライだった。180センチくらいある長身から見下ろされると、こちらは座っている分余計に迫力がある。

 色素の薄い茶色い髪を邪魔そうに掻き回しながら、何の断りもなく優雅の隣の椅子を引く。

「…勝手に座らないでよ、ライ」

「お前の席でもねぇだろうが。それよりお前、「3組の松野くん」に告られてる間に今度の修学旅行の行動班決まっちまったぞ」

「えぇぇ!?」

 慌てて顔を上げると、確かに黒板にはクラスメイトたちの名前が8グループくらいに分けられて記されている。加えて、クラス委員がそれをノートに板書しているところだった。



「あ、大丈夫だよ優雅。私と同じ班だから」

 ニッコリ笑って言う美羽に、優雅はホッと胸を撫で下ろす。




 美羽の話ではこうだ。帰りのHRを終えた後、優雅はすぐに教室を出てしまったけれどその後でクラス委員が指揮を取って話し合いが行われたらしい。

 いや正確には、話し合いでもなかったとか…。修学旅行の班を決める際、この仲の良いクラスはなんと自動的に割り振るという手段を選んだようだ。

 好きな者同士で組めば、1班5人にうまく分かれられない場合もある。だから、男女混ぜた名前の順で前から5人ずつ班分けをしたらしい。

 しかもそこに少しの面白みを加えて、いつもの出席番号順にならないように「下の名前の順で」だ。



「どんだけ仲良いの、うちのクラス…」

 呆れたような感心したような複雑な声を、優雅は漏らす。なるほど、それで「みわ」と「ゆうが」で同じ班になったということか。

 そんな提案をした張本人も、それに乗ったクラス全体にも感心してしまう。

「ちなみにライも一緒だけどね」

 付け足すように言った美羽に、優雅は「え!」と眉を寄せた。

「どうして! うちのクラスのアイドル『夜彦よるひこ』くんはどうしたの!」

 優雅の後なら、次は彼のはずだ。しかし美羽は小さく苦笑を漏らした。

「優雅、腐れ縁のくせに忘れたの? 『ライ』はあだ名じゃん」

「あ…!!」

 完全に失念していた。幼い頃から「ライ」としか呼んできていない弊害がここに出たらしい。

 確かに『ライ』はあだ名であり、彼の本名は「頼人」だ。「よりひと」という語感を「だせぇ」と嫌がる本人が、「頼」の字を音読みさせて友人たちに呼ばせたのが始まりだ。

 優雅からしたら、そんなあだ名を自分でつける方が「だせぇ」のだが。



 そんなことを思い出して眉を寄せた優雅に、美羽はもう一度苦笑いを返した。そして「…まぁライの次の夜彦くんも、確かに同じ班なんだけどね」と付け足す。

 ただでさえ仲が良いとか付き合ってるんじゃないかと噂されているのに、修学旅行まで一緒なんてどう騒がれるのか。

 加えて優雅よりも遥かに、ライはモテるのだ。周りの女子たちの視線が今以上に痛い。



「で、ライは何しに来たの?」

 さっきから何故かここに居座っているライに、美羽がそう話を振った。

 尋ねられたライは、机に頬杖をついた態勢で応じる。

「優雅、今日一緒に帰んぞ」

「は!?」

 決め付けるように言われて、思わず目を吊り上げてしまう。

「ライ、私の話聞いてた!? 今私、ライと勘違いされるようなことしたくないんだけど」

「諦めろ諦めろ。んなもん今更だろうが」

 笑って言うその表情は、昔とちっとも変わらない。

「うちの母親が今日夕飯にお前連れてこいってうるせぇんだよ。どうせお前んとこの親、仕事で遅いんだろ?」

「そうだけど…」

 ライの母親の料理はとてもおいしいし、確かに行きたい。父親も優しくて話してるだけで楽しいし。

 だけど、どうしても今日はライと並んで歩いて帰る気分ではないのだ。



「今日はやめとく。おばさんによろしく言っておいて」

 少し申し訳なさそうに断った優雅に、ライは「…ふぅん」と小さく頷いただけだった。無理強いをする気はないらしい。

 ガタンと椅子から立ち上がりながら、鞄を手に優雅を見下ろす。その表情はいつも通りで、特に気を悪くした様子もなかった。

 そんなライを見ていると、いつも優雅は自分に嫌気が差す。いつでも子どもっぽく「誤解されたくない」なんて騒いでいるのは自分だけで、ライは大人な対応なのだ。

「分かった。兄貴にもそう言っとく」

「え!?」

 じゃあな、と言いかけたライのブレザーの裾を、思わず優雅は勢いよく掴んでしまっていた。

 聞き捨てならない言葉を聞いた気がしたからだ。



「ちょっと待って! ソウちゃん帰ってくるの!?」

「だから優雅も連れてこいってうちの母親が言ってんだよ」

「それを早く言ってよ!」

 ソウちゃんがいるなら絶対行く! そう大声で高らかに宣言した優雅に、一連の流れを見守っていた美羽は「ゲンキンな奴」と小さく笑った。




******



 ライの兄のソウは、高校2年の優雅やライより10才年上の社会人だ。

 システムエンジニアの仕事をしていて、社会人になって数年で家を出ているため会えることが少なくなっていた。

 こうしてたまに帰ってくる時には、ライの両親もできるだけ優雅を呼んでくれる。もしかしたら、2人にはバレているのかもしれない。優雅が幼い頃からソウに片想いしてきたことが。


 そう、片想いをしているからこそ優雅は思うのだ。告白をしてくる男子が、学校外で優雅に好きな人がいるとは知らずにライとの仲ばかり気にしていることが不思議だ。

 学校での優雅が全てではなく、彼女には彼女なりの付き合いと想いがあるというのに。



「ライ、待って。ソウちゃんの好きなチョコレートケーキ買って帰るっ」

 電車を数分乗って降りた駅で、優雅はよく行くケーキ屋さんの前でそう言ってライの袖を引っ張った。

「俺チーズケーキ」

「あんたのは知らないって。チョコレートケーキだってホールで買うもん」

 ソウのためならホールケーキ一つ分買っても惜しくはないが、ライにはカットケーキでも見返りなしに奢りはしない。

 ライ自身もそれが分かっているから、「はいはい」といつも通り受け流すだけだ。



「ソウちゃんいつまでいるのかなぁ」

 何日か泊まりで滞在するなら優雅も連日顔を見に押しかけたいくらいだ。ケーキ屋を出てその箱を大事そうに抱えながら、優雅はそんな独り言に近い呟きを漏らす。

「いや、今日メシ食ったらそのまま帰るらしい。車で来るだろうからお前も帰りは送ってもらえばいいんじゃねぇ?」

「…っ! ソウちゃんと密室…!」

「…変態っぽいからそういう発言は控えろ」

 呆れたようなライの言葉すら、この時の優雅の耳には入るはずもない。



 そんな主に優雅が浮かれているだけのやり取りをしながらたどり着いた、ライの家。

 そこは分譲マンションで、ライの両親が結婚してすぐに買ってからずっと住んでいる場所だ。

「ソウちゃんもう着いてるかな」

 エントランスでライがカードキーでロックを解除するのを、一歩下がって眺めながら優雅はそこに想いを馳せる。

 「さぁ」とライが首を傾げたまさにその時、マンションエントランス外の車寄せに、一台の車が止まった。

 それは鮮やかな黄色をした派手な車で、そんなのに乗っているのはどんな人間なのかと漠然とした好奇心に駆られてそちらを見やる。

 そんな優雅とライの視線の先で、その車の助手席から降りてきた人影に思わず2人は目を瞠った。



「じゃあね、また夜迎えに来る」

 運転席に乗っていたのは車に負けないくらい派手な女性で、真っ赤な口紅で朱を描いた唇が助手席から降りた男にそう声をかける。

 そしてそのまま、豪快なエンジン音を立てて走り去って行った。




「……」

 その様子を茫然と眺めていた優雅は、グッと唇を引き結ぶ。そして隣のライを振り返らないまま、「ライ」と低い声で呼んだ。



 「ん?」と応じたライも、それでも前のその光景を見据えたままだ。走り去る車が見えなくなるまで見送っている男の後ろ姿を、2人で並んで凝視する。




「分かってなかったのは…私の方」

 ポツリとした呟きに、ライは答えない。それは優雅に同情したからなのか、それとも…。




 そうだ、分かっていなかったのは自分の方だ。

 優雅に告白をしてきた松野が、その狭い視野で彼女とライの仲を疑ったように。

 結局自分だって、自分の狭い世界で生きているだけだ。狭い視野で、自分の見える範囲でしか好きな人間のことを理解していない。



「優雅、ライ」

 振り返ってエントランスのガラス戸を入ってきたソウが、2人に気づいてニコリと笑う。

 大好きなソウの大好きな笑顔を見ても、笑い返すことができなかったのはこの時が初めてだった。




 「彼女なんていない」といつも言っていたソウの言葉に、自分がどれほど無垢にそれだけを信じてきたのか思い知らされた気分だった。

 言葉通り、あの女の人は恋人ではないのかもしれない。それでも…優雅は、当たり前に広がっているはずのソウの世界を、自分の見える範囲でしか信じてこなかったことに今更気づいた。

 ソウには、自分の知りえない世界も付き合いもある。そんなこと、分かりきっていたはずなのに。

 あんなに仲の良さそうな女性の存在すら、疑ったこともなかった。



「…ソウちゃん、お帰りなさい」

 泣きそうになるのをこらえながら無理をして笑った優雅のその表情に、気づいたのは恐らく隣にいたライだけだった。




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