第9話 皇子様の嫉妬と、真夜中のホットミルク
「きゃぁっ!」
ガシャン! という音ではなく、ふわり、という音がした。
躓いたセリーヌ様と、宙を舞った皿を、ジーク様が目にも止まらぬ速さでキャッチしたのだ。
「……セリーヌ。配膳は無理にしなくていいと言っただろう」
「うぅ……申し訳ありません、兄様。わたくし、お皿一枚運ぶのもままならないなんて……」
セリーヌ様が涙目になっている。
彼女が看板娘として働き始めて三日。
「帝国の至宝」と呼ばれる美貌のおかげでお客様は倍増したが、当の本人は生粋のお姫様。お盆を持てばひっくり返し、オーダーを取れば書き間違えるという、見事なポンコツぶりを発揮していた。
「いいんですよ、セリーヌ様。いてくださるだけでお店が華やかになりますから」
「レティシアお義姉様……! お優しい……一生ついていきますわ!」
セリーヌ様が私の腰に抱きつく。
ジーク様がそれを見て、「そこ、離れろ」と不機嫌そうに妹を引き剥がした。
最近、ジーク様の過保護(というか独占欲)が加速している気がする。
そんな賑やかなランチタイムのことだった。
「へぇ、ここが噂の美女がいるカフェか」
ドヤドヤと入ってきたのは、いかにも羽振りの良さそうな冒険者グループだった。
装備は高価だが、その目は品定めするようにジロジロと私を見ている。
「いらっしゃいませ。何名様ですか?」
「お、噂以上の美人じゃん。ねえ店長さん、こんな田舎でチマチマ稼ぐよりさ、俺たちの専属料理人にならない?」
リーダー格の男が、カウンター越しに私の手に触れようとしてきた。
「俺たち、Sランク目指してる有望株でさ。金ならあるぜ? 王都の高級マンションも夢じゃない」
「お断りします」
私は即答し、スッと手を引いて距離を取った。
本日二度目のナンパだ。最近、こういう手合いが増えて面倒くさい。
「つれないなぁ。いいじゃん、ちょっと話だけでも――」
男が身を乗り出し、無理やり私の腕を掴もうとした、その時。
ドォン!!
何かが爆発したような音がして、男の動きが止まった。
音の発生源は、男のすぐ横の壁。
そこには、深く突き刺さった銀のフォークがあった。
「……手が滑った」
底冷えするような低い声。
ホールに立っていたのは、笑顔(目は笑っていない)のジーク様だった。
「お、おい……なんだテメェ……!」
「お客様。当店の店主に、それ以上気安く触れないでもらおうか」
ジーク様が一歩近づく。
ただそれだけで、店内の空気がピリリと凍りついた。
戦場で数多の敵を葬ってきた「死神」の殺気。一般の冒険者が耐えられるものではない。
「ひっ……!」
「その手は、食事をするためのものか? それとも、二度と使い物にならなくしてほしいのか?」
「わ、悪かったよ! 帰る! 帰ればいいんだろ!」
男たちは悲鳴を上げて逃げ出した。
食い逃げにならなかったのは、入り口で待ち構えていた熊さん(グリズリー)に財布を投げつけていったからだ。
「……まったく。質の悪い客が増えたな」
ジーク様は壁からフォークを引き抜き、ため息をついた。
セリーヌ様が「兄様、怖すぎですわ……」とドン引きしているが、私は助けられた安堵の方が大きかった。
◇◇◇
その日の夜。
閉店作業を終え、セリーヌ様も二階の自室(客室)で眠りについた頃。
私は厨房でホットミルクを作っていた。
「……眠れないのか?」
背後から声をかけられ、振り返るとジーク様がいた。
寝間着代わりのラフなシャツ姿で、昼間の殺気立った様子とは打って変わって、どこかアンニュイな雰囲気だ。
「いえ、少し温かいものが飲みたくなって。ジーク様もいかがですか?」
「ああ、頂こうか」
二人並んで、湯気の立つマグカップを口にする。
静かな夜だ。虫の声だけが聞こえる。
「……昼間は、すまなかった」
ぽつりと、ジーク様が言った。
「少し、やりすぎたかもしれない。お客様を怖がらせてしまった」
「いいえ。助けていただきましたから」
「……いや、あれは俺の我儘だ」
彼はカップを置いて、私の方を向いた。
長い睫毛が影を落とす。
「君があの男に触れられそうになった時……頭の中が真っ白になった。君が他の誰かのものになるなんて想像するだけで、耐えられなくなる」
真剣な眼差し。
隠しようのない情熱が、そこにはあった。
「レティシア。俺は、君が思っている以上に嫉妬深い男らしい」
「ジーク様……」
「皇子としての立場も、余裕も、君の前では形無しだ。……困ったな」
彼は自嘲気味に笑い、そっと私の頬に触れた。
大きくて温かい手。
カイル殿下の時には感じたことのない、胸の高鳴りを覚える。
これは「ときめき」なんて可愛い言葉で済ませていいのだろうか。
「……私は、どこにも行きませんよ」
精一杯の言葉が、それだった。
「この店が好きですし、ここの従業員が好きですから」
「『みんな』か。……まあいい、今はそれで」
ジーク様はふっと表情を緩め、私の額にコツンと自分のおでこを合わせた。
近すぎる距離に、心臓が爆発しそうだ。
「おやすみ、レティシア。……いい夢を」
彼はそれだけ言い残し、優しく私の頭を撫でて部屋へと戻っていった。
取り残された私は、冷めかけたホットミルクを一気に飲み干した。
甘いはずのミルクが、なんだか味もしないくらい、胸がいっぱいだった。
(……ズルい人)
平穏なスローライフを掲げていたはずなのに。
私の心は、ちっともスローじゃなくなってきている。
――そんな私の葛藤を知ってか知らずか。
翌日、店にはさらなる「珍客」が訪れることになる。
今度は、隣国ではなく、なんと魔界(!?)からの使者だった。




