第6話 隣国の皇子様、なぜかカフェの店員に転職する
カイル王太子が這々の体で逃げ帰ってから、数日が経った。
私の店『カフェ・オアシス』には、再び穏やかな時間が流れている。
――はずだったのだが。
「いらっしゃいませ。お一人様か? こちらの席へどうぞ」
爽やかなバリトンボイスが店内に響く。
黒髪のエプロン姿の男性が、優雅な手つきで水差しを持って客席へ向かう。
その無駄に洗練された所作は、一流の執事を凌駕していた。
「きゃぁ……! かっこいい……!」
「あの店員さん、今日もいるわよ!」
「見なさいよあの筋肉! シャツの上からでも分かるわ!」
女性客(主に近くの村の娘さんや、女性冒険者たち)が、黄色い悲鳴を上げながら頬を染めている。
私はカウンターの中で、こめかみを押さえた。
「……あの、ジーク様?」
「なんだ、店長。オーダーか?」
ジーク様が爽やかに振り返る。
白いシャツに黒のサロンエプロン。腕まくりをしたその姿は、確かに破壊力抜群の格好良さだ。
けれど、言わせてほしい。
「なぜ、帝国の皇子様が皿洗いをしたり、接客をしたりしているのですか?」
「人手が足りないだろう? 最近、客が増えたからな」
「それは貴方目当てのお客様が増えたからですよ!?」
そう、カイル殿下を追い返したあの日以来、ジーク様はなぜか帝国に帰らず、当たり前のように店の手伝いをしているのだ。
しかも「宿代の代わりだ」と言って、私の作ったまかない飯を食べるのを何よりの楽しみにしている。
「困ります、ジーク様。もし帝国の方に知れたら、私が誘拐犯として手配されてしまいます」
「安心しろ。本国には『重要な外交任務中』と伝えてある」
「外交任務?」
「ああ。隣国の有能な人材とのパイプを太くし、その技術を視察する。……国家にとって最優先事項だ」
ジーク様は真顔で言い切った。
この人、真面目な顔で職権乱用することに躊躇がない。
「それに……」
彼は洗い終わった皿を置くと、カウンター越しに身を乗り出してきた。
整った顔が、ぐっと近づく。
「俺が、君のそばにいたいんだ。……駄目か?」
エメラルド色の瞳に見つめられ、私は言葉に詰まった。
そんな捨てられた仔犬(大型犬サイズ)みたいな目で見られたら、無碍にできるわけがない。
「……はぁ。分かりました。でも、皇子としての業務に支障が出たら、すぐに解雇しますからね」
「感謝する。精一杯働かせてもらおう」
ジーク様は嬉しそうに笑うと、再びホールへと戻っていった。
その背中を見送りながら、私は熱くなった頬を両手で包む。
(調子が狂う……。カイル殿下とは別の意味で、心臓に悪いわ)
その時だった。
窓の外から、バサバサという羽音が聞こえた。
「クルックー!」
一羽の白い鳩が、開いた窓から飛び込んでくる。
その足には、王家の紋章が入った赤い筒が結び付けられていた。
「伝書鳩? ……あれは、王宮からの?」
私は嫌な予感を感じながら、鳩から手紙を受け取った。
カイル殿下がまた何か言ってきたのだろうか?
警戒しながら封を開き、羊皮紙を広げる。
しかし、そこに書かれていた筆跡は、カイル殿下のミミズがのたうったような字ではなかった。
流麗で、力強い筆致。
『親愛なるレティシア嬢へ』
差出人の名前を見て、私は息を飲んだ。
『国王、ライオネル・ド・サン・フレア』
――国王陛下!?
手紙の内容を要約すると、こうだ。
■愚息が大変な非礼を働いたこと、心より詫びる。
■カイルから事情を聞いたが、あまりに情けない話で卒倒しそうになった。
■ 現在、カイルは部屋に軟禁し、再教育中である。
■ ついては、国王である私が直接謝罪し、今後のこと(主に崩壊寸前の国政)について相談したく、近々そちらへ伺いたい。
■ 追伸: 帝国との国交問題に発展しそうだと聞いたが、どうか穏便に……。
「……うわぁ」
手紙を読み終えた私は、乾いた笑いを漏らした。
国王陛下は、カイル殿下と違って話の通じる賢王だ。その陛下が、王宮を飛び出してわざわざ辺境まで来るという。よっぽど切羽詰まっているのだろう。
「どうした、レティシア。顔色が悪いぞ」
接客を終えたジーク様が戻ってくる。
「ジーク様……どうやら、ラスボス(国王陛下)が来店されるようです」
「ほう、ライオネル陛下か。……それは好都合だ」
ジーク様は私の手から手紙を覗き込み、ニヤリと好戦的な笑みを浮かべた。
「俺も同席しよう。君の処遇について、一度きっちりと話をつけねばと思っていたところだ」
「えっ、話をって……?」
「君を『王太子妃』という重責から完全に解放し、一人の女性として自由にする。……そして、俺が堂々と君を口説けるようにするための話し合いだ」
さらりと爆弾発言を落とされ、私は持っていたトレイを取り落としそうになった。
「は、はいぃぃ!?」
驚く私をよそに、ジーク様は「さて、陛下をもてなす準備が必要だな」と楽しげにメニュー表を眺めている。
スローライフ?
いいえ、どうやら私の周りは、まだまだ騒がしくなりそうです。




