第49話 巣立ちの時。娘の決意と、父の涙
その爆弾発言は、夕食の団欒の最中に投下された。
「パパ、ママ。私、この店を出て旅に出ようと思うの」
カチャン。
ジーク様(皇帝)の手からフォークが落ち、皿にぶつかる音が響いた。
エリザは今年で18歳になった。
学園を優秀な成績で卒業し、銀髪の美しい女性へと成長した彼女は、真っ直ぐな瞳で私たちを見つめていた。
「た、旅だと……? どこへ行くというんだ? 帝都の別荘か? それとも王宮に戻るのか?」
「ううん。世界中を回りたいの。いろんな国の料理を食べて、学んで……いつかママみたいに、自分の料理でみんなを笑顔にできるお店を持ちたいから」
それは、料理人としての「修行の旅」への決意表明だった。
「だ、ダメだ!!」
ジーク様がバンッ! とテーブルを叩いて立ち上がった。
「外の世界は危険がいっぱいだ! 野盗もいれば魔物もいる! それに、変な虫(男)がついたらどうする!」
「大丈夫だよ。私、パパに剣術習ったし、魔王おじちゃんに魔法も習ったもん。ドラゴンだって素手で倒せるよ?」
「物理的な強さの問題ではない! パパの心が持たんのだ!」
ジーク様は子供のように駄々をこねた。
さらに、過保護な親戚たちも加勢する。
「エリザよ、ならん。どうしてもと言うなら、我輩の最強魔導軍団(ゴーレム百体)を護衛につけていけ」
「俺様もついてくぜ! 空の旅なら任せろ!」
「それじゃ修行にならないでしょ!」
エリザが頬を膨らませる。
私は、黙って彼らのやり取りを見ていた。
いつかこの日が来ると、分かっていたからだ。
「……ジーク様。座ってください」
「だがレティシア!」
「エリザの話を、ちゃんと聞いてあげましょう?」
私が静かに告げると、ジーク様は渋々といった様子で席に戻った。
◇◇◇
その夜、厨房にはエリザの姿があった。
彼女は「私の覚悟を、料理で証明する」と言い、父のために一皿を作っていた。
トントントン……。
包丁の音がリズミカルに響く。
その背中は、私が見様見真似で料理を始めた頃よりも、ずっと頼もしく見えた。
「……できたよ」
エリザが運んできたのは、シンプルな『オムライス』だった。
けれど、いつもの私のレシピとは少し違う。
ソースには、彼女がパトリック君(肉屋の息子)と研究した香草が使われ、卵の焼き加減も彼女なりの工夫が凝らされていた。
「食べて、パパ」
ジーク様は無言でスプーンを手に取り、一口運んだ。
「…………」
咀嚼する。そして、飲み込む。
その瞬間、ジーク様の目からポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「……美味い」
「ほんと?」
「ああ……。ママの味に似ているが、違う。これは、エリザの味だ」
優しくて、でも芯の通った、新しい味。
それは、彼女がもう「守られるだけの子供」ではないことを、雄弁に物語っていた。
「……いつの間に、こんなに大きくなったんだな」
ジーク様は涙を拭い、エリザの頭を撫でた。
その大きな手が、今は少し震えている。
「分かった。……行ってこい、エリザ。お前なら、どこへ行っても大丈夫だ」
「パパ……! ありがとう!」
エリザがジーク様に抱きついた。
魔王様も「ふん、目にゴミが入った」とそっぽを向き、イグニスも鼻をすすっている。
「ママも、ありがとう」
「ええ。頑張ってらっしゃい。……辛くなったらいつでも帰ってきていいのよ?」
「うん!」
◇◇◇
翌朝。
リュック一つを背負ったエリザが、店の前に立っていた。
見送りには、私たち夫婦と、魔王様、イグニス、ルゥ、セリーヌ様、ソフィア、レオン様、そしてプルちゃん(スライム)まで、全員が揃っていた。
「それじゃあ、行ってきます!」
エリザは満面の笑みで手を振り、朝日に輝く街道へと歩き出した。
何度も何度も振り返りながら、その姿が小さくなっていく。
「……行ってしまったな」
「ええ」
ジーク様が私の肩を抱いた。
隣にいた小さな温もりが一つ旅立ち、少しだけ寂しくなった。
けれど、それは喪失ではない。
「楽しみですね。あの子がどんなお土産話を持って帰ってくるか」
「そうだな。……その時まで、俺たちもこの場所を守り続けなければな」
私たちは、エリザの背中が見えなくなるまで、ずっと見守っていた。
風が吹き抜け、店の看板『カフェ・オアシス』がカランと揺れた。
新しい季節が、また始まろうとしていた。




