表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢の引退カフェ経営。静かに暮らしたいのに、元婚約者が「君の淹れる紅茶じゃないとダメだ」と泣きついてくる。知らんがな。  作者: 綾瀬蒼


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

48/50

第48話 月夜の晩酌と、百年先へのプロポーズ

 その夜は、珍しく静かな夜だった。


 エリザは学園の寮へ戻り(パトリック君との料理研究が忙しいらしい)、魔王様やイグニスもそれぞれの寝床へ帰っている。

 『カフェ・オアシス』の二階、住居スペースのバルコニーで、私とジーク様は二人きりでグラスを傾けていた。


「……静かだな」

「ええ。エリザが小さい頃は、毎日が戦争みたいでしたのに」


 ジーク様がワインを揺らしながら、夜空を見上げた。

 彼の目尻には、笑いジワが少し増えている。それがまた、この最強の皇帝陛下に渋い魅力を与えていた。


「レティシア」

「はい」

「手を見せてくれないか」


 私がグラスを置くと、ジーク様は私の両手を包み込むように握った。

 公爵令嬢だった頃の、白くて柔らかい手ではない。

 包丁ダコがあり、火傷の跡が薄く残り、少し節くれだった「料理人の手」だ。


「……荒れてしまいましたね。お恥ずかしいです」

「何を言う」


 ジーク様は、私の手の甲に愛おしそうに口づけを落とした。


「俺は、この手が世界で一番好きだ。この手が、俺を救い、エリザを育て、たくさんの人々を笑顔にしてきたんだ。……俺にとっての勲章だよ」


 真っ直ぐな瞳に見つめられ、私は頬が熱くなるのを感じた。

 結婚して十年以上経つのに、この人はいつだって新婚の頃のような情熱で私を口説いてくる。


「レティシア。俺は、君を幸せにできているか?」

「もう、何度その質問をするんですか?」

「何度でも聞きたい。……俺は皇帝だ。公務で君を待たせ、危険な目に合わせることもある。普通の夫のようにはいかない」


 彼は少しだけ不安そうな顔をした。

 世界最強の男が、私の前でだけ見せる弱さ。


「ジーク様。私は今、『悪役令嬢』として追放されたあの日よりも、ずっとずっと幸せですよ」


 私は彼の手を握り返した。


「貴方がいて、エリザがいて、騒がしい常連さんたちがいて。……これ以上の幸せなんて、想像もつきません」

「そうか……」


 ジーク様は安堵の息を吐き、そして居住まいを正した。

 彼は椅子から立ち上がり、私の前で片膝をついた。

 まるで、騎士が姫に忠誠を誓うように。


「ジーク様?」

「レティシア。……俺と、もう一度結婚してくれないか」


 突然の言葉に、私は目を丸くした。


「えっ……? もう結婚していますよ?」

「今世の話ではない」


 ジーク様は真剣な眼差しで言った。


「生まれ変わっても、だ。……もし俺たちが寿命を迎え、魂が巡り、次の人生が始まったとしても。俺は必ず君を見つける」

「……来世でも、ですか?」

「ああ。たとえ君が別の国の人間でも、姿形が変わっていても。俺の魂は、君の作る料理の匂いと、君の笑顔を覚えているはずだ」


 彼はポケットから、小さな指輪を取り出した。

 かつて贈られた豪華な宝石ではない。ミスリル銀で作られた、シンプルで丈夫な、彼の手作りの指輪だ。


「だから、予約させてくれ。……来世も、その次も。俺の妻になってほしい」


 二度目のプロポーズ。

 それは、「死が二人を分かつまで」という誓いを超えた、「魂が消えるまで」の永遠の約束だった。


 視界が涙で滲んだ。

 私は溢れる想いを込めて、何度も頷いた。


「……はい。はい、喜んで。貴方が私を見つけてくれるなら、私はずっと待っています」

「ありがとう、レティシア」


 ジーク様が私の左手の薬指に、新しい指輪をはめた。

 それは、どんな高価な宝石よりも温かく、私の指に馴染んだ。


「愛している」


 月明かりの下、私たちは静かに口づけを交わした。

 十年分の思い出と、これから先の百年分の約束を込めて。


 風が優しく吹き抜け、庭の「スライム小屋(要塞)」のセンサーが小さく点滅した気がしたが、今夜だけは見なかったことにしよう。

 世界で一番幸せな夜は、静かに更けていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ