第4話 平和なパンケーキと、迷惑な来訪者
カフェ『オアシス』の朝は、甘い香りで始まる。
「よし、いい焼き色」
私はフライパンの上で、ふっくらと膨らんだパンケーキをひっくり返した。
今日の気まぐれメニューは『スフレパンケーキ・森のベリーソース添え』だ。
卵白をしっかりと泡立てて作った生地は、口に入れた瞬間にシュワッと溶ける自信作である。
「キュゥーン!」
「グォフッ!」
足元では、ルゥ(聖獣フェンリル)と熊さんが、よだれを垂らして待機している。
彼らはもうすっかり看板犬ならぬ看板獣として定着していた。
「はい、お待たせ。熱いから気をつけてね」
彼らの専用皿にパンケーキを乗せてやると、二匹は幸せそうな顔でハフハフと頬張り始めた。
その光景に癒やされていると、カランカラン、とドアベルが鳴る。
「……いい匂いだ」
入ってきたのは、先日訪れた黒髪の騎士、ジーク様だ。
今日は非番なのか、少しラフなシャツ姿だが、それでも隠しきれない高貴さと色気が漂っている。
「いらっしゃいませ、ジーク様。タイミングが良いですね、ちょうど焼き上がったところですよ」
「それは幸運だ。……これを受け取ってくれ」
彼がカウンターにドンと置いたのは、巨大な猪の肉塊だった。
「えっ」
「近くで狩った『キングボア』の肉だ。極上だぞ。代金の代わりにどうだろうか」
「キングボアって、Aランクの魔物ですよね……? カフェの支払いにしては高すぎませんか?」
「君の紅茶と料理には、それ以上の価値がある」
彼は大真面目な顔でそう言った。
どうやらこのイケメン騎士様、金銭感覚(というか価値基準)が少し大雑把らしい。
ありがたく頂戴することにして、私は彼に特製パンケーキとコーヒーを出した。
「……美味い」
一口食べたジーク様が、目を見開いて呟く。
「王都の有名店でも、これほどの菓子は食べたことがない。甘さも絶妙で、疲れが吹き飛ぶようだ」
「お口に合って良かったです。ボアのお肉は、ランチのシチューに使わせていただきますね」
「楽しみだ。……ところで、レティシア」
コーヒーを飲みながら、ジーク様が真剣な眼差しを私に向けてきた。
「君ほどの腕を持つ女性が、なぜこんな辺境に? 立ち振る舞いからして、ただの平民ではないようだが」
ドキリとした。
鋭い。さすがは高ランク(と思われる)騎士だ。
私はカップを拭きながら、努めて何でもない風を装った。
「……少し、都会の空気が合わなくなりまして。ブラックな職場を退職して、ここで第二の人生を楽しんでいるんです」
「ブラックな職場、か」
「はい。上司が無能で、ワガママで、感謝の一つもしない場所でしたから」
私が肩をすくめると、ジーク様は少し驚いたように瞬きし、それから低く笑った。
「ははっ、それは災難だったな。だが、その無能な上司のおかげで、俺はここで君の料理を食べられるわけだ。……その点だけは、その上司に感謝してもいいかもしれない」
「ふふ、そうですね。私もここに来られて清々しています」
穏やかな空気が流れる。
彼の前では、飾らない自分でいられる気がした。
王宮での腹の探り合いとは違う、心地よい沈黙。
――しかし、私の平穏なスローライフは、唐突に脅かされることになった。
ダダダダダッ!!
遠くから、蹄の音が近づいてくる。それも一頭や二頭ではない。集団だ。
ルゥが「グルルッ」と低く唸り、毛を逆立てる。
「なんだ?」
ジーク様が鋭い表情で立ち上がり、窓の外を見る。
私もつられて外を覗いた。
森の入り口、カフェへと続く一本道に、砂埃を上げて走ってくる馬車が見えた。
金色の装飾が施された、無駄に派手な馬車。
見間違えるはずがない。あれは――
「……王家の紋章?」
私が呟くと同時に、馬車がキキーッ! と乱暴に店の前で停車した。
扉が開き、転がり落ちるようにして出てきたのは、見覚えのある近衛騎士たち。
そして、青白い顔をして、目の下に濃いクマを作った人物。
「はぁ、はぁ……やっと、見つけたぞ……!」
カイル王太子だった。
数週間前、私を断罪した時のような覇気は見る影もない。
髪はボサボサ、服は着崩れ、まるで亡霊のようだ。
「レティシア……!!」
彼は私を見つけるなり、カフェの入り口に向かってよろよろと手を伸ばした。
「げっ」
私は思わず、店内に響く声で嫌悪感を露わにしてしまった。
ジーク様が「知り合いか?」と視線で問いかけてくるが、答えるのもおぞましい。
「レティシア! 帰るぞ! 今すぐ王都へ戻るんだ!」
店に入ってくるなり、カイルは開口一番そう叫んだ。
謝罪もなしに、命令形。
相変わらずの殿下クオリティに、私は深い深いため息をついた。
「いらっしゃいませ。お客様、当店は会員制となっております。会員証をお持ちでない方は、お引き取りください」
「ふざけている場合か! 国家の一大事なんだぞ! お前がいなくなってから、書類は山積み、予算は破綻寸前、おまけに俺は一睡もできていないんだ!」
カイルは血走った目で私を睨みつけ、カウンターにバンと手を叩きつけた。
「お前が作ったあの紅茶! あれがないと俺は眠れない体になってしまった! 責任を取れ! すぐに城へ戻って、俺のために紅茶を淹れろ!」
あまりの言い草に、店内の空気が凍りつく。
呆れるを通り越して、感心するレベルの自己中さだ。
私はスッと真顔になり、冷たく言い放った。
「お断りします」
「なっ……!?」
「婚約破棄を言い渡したのは殿下です。追放を命じたのも殿下です。私はもう、貴方とは赤の他人。貴方が眠れようが倒れようが、私の知ったことではありません」
「き、貴様……!」
カイルの顔が怒りで赤黒くなる。
彼は後ろに控えていた近衛騎士たちに合図を送った。
「ええい、口で言って分からぬなら実力行使だ! その女を捕らえろ! 猿ぐつわをしてでも馬車に乗せるんだ!」
騎士たちが剣の柄に手をかけ、私に向かって踏み出す。
(はぁ……暴力沙汰でお店を汚したくないんだけどな)
私が攻撃魔法の詠唱に入ろうとした、その時。
「――ほう。女性一人に対して、寄ってたかって剣を抜くとは。王国の騎士の質も落ちたものだな」
凛とした低い声が、場を制した。
私の前に、一人の男が立ちはだかる。
「ジーク様?」
彼はキングボアの肉を持ってきた時とは別人のような、圧倒的な威圧感を放っていた。
カイル殿下が、ギョッとして彼を見る。
「な、なんだ貴様は! 私は王太子だぞ! そこを退け!」
「王太子? ……ああ、噂の『無能王子』とは貴殿のことか」
ジーク様は鼻で笑い、腰の剣をすらりと抜いた。
「この店の主人は、俺の恩人であり、大切な料理番だ。――その指一本でも触れてみろ。国交問題になることを覚悟してもらうぞ」
その言葉と殺気に、近衛騎士たちがたじろぐ。
国交問題?
その単語に、私は首を傾げた。
ジーク様、貴方はいったい――?




