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悪役令嬢の引退カフェ経営。静かに暮らしたいのに、元婚約者が「君の淹れる紅茶じゃないとダメだ」と泣きついてくる。知らんがな。  作者: 綾瀬蒼


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第36話 最強皇帝のダウンと、甘々な看病ライフ

 その異変は、朝の開店準備中に起きた。


「……レティシア、おはよう。今日も愛しているよ」

「おはようございます、ジーク様。……あら? 顔が赤くありませんか?」


 ジーク様がふらりと厨房に入ってきた。

 いつものようにハグをしようとして――その体温の高さに、私は驚いて手を止めた。


「熱い! ジーク様、お熱があるんじゃ……」

「な、何を言う。俺はガルディア皇帝だぞ? 風邪ごときが俺の体に侵入できるわけが……ごほっ、ごほっ!」


 言い終わらないうちに、ジーク様はその場に崩れ落ちた。


「ジーク様ーーッ!!」


 ◇◇◇


 診断結果は『過労による発熱』だった。

 王宮での激務に加え、カフェでの皿洗い、そしてエリザの遊び相手(全力)と、さすがの超人皇帝も限界を超えていたらしい。


 私は店を臨時休業にし(スタッフたちが「任せてください!」と言ってくれたが、私が看病したかったので)、ジーク様を寝室に隔離した。


「……うぅ。面目ない」


 ベッドに寝かされたジーク様は、冷却シート(エリザの氷魔法付き)を額に乗せ、しゅんとしていた。

 熱で潤んだ瞳が、捨てられた子犬のようで母性本能をくすぐる。


「謝らないでください。頑張りすぎたんですよ」

「だが、君に迷惑を……」

「夫婦なんですから、こういう時こそ頼ってください。……何か食べたいものはありますか?」


 私が尋ねると、ジーク様は少し考えて、ぽつりと言った。


「……プリン。あと、君の手料理なら何でも」

「ふふ、分かりました。消化に良くて、元気が出るものを作りますね」


 私は厨房へ降り、特製の『卵あんかけうどん』を作ることにした。

 柔らかく茹でたうどんに、カツオ出汁の効いた優しいつゆ。そこに溶き卵を回し入れ、ふわふわに仕上げる。最後に生姜を少し乗せて、体を温める効果もプラス。


 寝室に戻り、サイドテーブルに置く。


「さあ、まずはこれを食べてください」

「……体がだるくて、腕が上がらない(嘘ではない)」

「はいはい。私が食べさせますから」


 私はフーフーと息を吹きかけ、レンゲをジーク様の口元へ運んだ。


「あーん」

「……あーん」


 パクッ。

 ジーク様は素直に口を開け、ゆっくりと咀嚼した。


「……美味しい。優しい味がする」

「よかった。全部食べたら、デザートのプリンもありますよ」


 最強の皇帝陛下が、今はただの「甘えん坊な旦那様」になっている。

 それが可愛くて、私は何度も「あーん」を繰り返した。


 食後。

 薬を飲んで眠気が襲ってきたのか、ジーク様が私の袖を掴んだ。


「……行かないでくれ」

「食器を下げるだけですよ?」

「やだ。ここにいて」


 熱のせいで理性が飛んでいるらしい。

 あの冷静沈着なジーク様が、子供のように駄々をこねている。


「……ずっとそばにいてくれ。君がいないと、俺は……」

「はい、はい。ここにいますよ」


 私は諦めて、ベッドの横に椅子を持ってきた。

 彼の手を握り、もう片方の手で汗ばんだ髪を撫でる。


「愛しているよ、レティシア……」

「私もですよ。早く良くなってくださいね」


 ジーク様は私の手のひらに頬ずりし、ようやく安らかな寝息を立て始めた。

 その無防備な寝顔を見ていると、愛おしさが込み上げてくる。

 

 ――数時間後。


「パパ、だいじょうぶ?」


 学校から帰ってきたエリザが、心配そうに顔を出した。

 ジーク様は目を覚まし、スッキリした顔で起き上がった。


「おお、エリザか! 心配かけたな! パパはもう全快だ!」


 ガバッと布団を跳ね除け、マッスルポーズをとるジーク様。

 さすがの回復力だ。……というか、回復しすぎでは?


「あら、もう起きて大丈夫なんですか?」

「ああ! 君のうどんと看病のおかげで、魔力が満ち溢れている! 今ならドラゴンでも素手で倒せそうだ!」


 元気すぎる。

 エリザが「よかったー!」と抱きつく中、私は少しだけ残念な気持ちになった。

 あんなに可愛い甘えん坊なジーク様は、もう見られないのかしら。


「……でも」


 ジーク様が私の耳元で囁いた。


「病み上がりだから、今夜も優しく看病してくれないか? ……一緒に寝てほしいんだが」


 どうやら、甘えん坊モードはまだ完全に抜けていないらしい。

 私は赤面しつつも、小さく頷いた。


 『悪役令嬢カフェ』の店主は、料理だけでなく、旦那様の健康管理とメンタルケアも完璧にこなさなくてはならないのだ。

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