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悪役令嬢の引退カフェ経営。静かに暮らしたいのに、元婚約者が「君の淹れる紅茶じゃないとダメだ」と泣きついてくる。知らんがな。  作者: 綾瀬蒼


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第15話 森のカフェの結婚式と、修道院の元王子

 ――時は少し遡り、北の辺境にある古びた修道院。


 石造りの冷たい独房で、一人の男が震えていた。

 かつて王太子と呼ばれた男、カイルだ。


 彼の目の前には、今日の夕食が置かれている。

 カチカチに干からびた黒パンと、具のない薄い塩スープ。


「……硬い。歯が折れそうだ」


 カイルは涙目でパンをかじった。

 顎が疲れる。味もしない。

 王宮にいた頃、レティシアが焼いてくれたスコーンは、口の中でほろりと崩れるほど柔らかく、バターの香りが豊かだった。


「……寒気がする」


 薄い毛布をかぶる。

 レティシアが淹れてくれた『安らぎの加護』入りの紅茶があれば、体の芯から温まるのに。

 今、彼の手元にあるのは、井戸から汲んだ冷水だけだ。


「うぅ……レティシア……」


 彼は毎晩、彼女の名前を呼んで泣いている。

 だが、その声が彼女に届くことは二度とない。

 彼女は今、大国の皇子に見初められ、手の届かない場所へ行ってしまったのだから。


「俺は、なんて馬鹿なことをしたんだ……」


 失って初めて気づく、偉大な存在。

 しかし、覆水盆に返らず。

 元王太子は、冷たい石床の上で、一生終わらない後悔(と算数ドリル)の日々を送ることになったのである。


 ◇◇◇


 ――そして、季節は巡り、春。

 場所は変わり、辺境の『カフェ・オアシス』本店。


 今日は店休日だが、森の中はかつてないほど賑やかだった。


「グルルゥッ!(おめでとう!)」

「キュウン!(花嫁姿、綺麗だよ!)」


 森中の動物たち、そして聖獣ルゥと熊さんが、色とりどりの花を咥えて集まっている。

 木の枝にはリボンが飾られ、テラス席には真っ白なテーブルクロス。


 そう、今日は私たちの結婚式だ。

 王宮や帝都での豪華な式典も予定されているけれど、「まずは私たちの原点であるこのカフェで、大切な『家族』たちと祝いたい」というジーク様の提案で、ささやかなガーデンウェディングが開かれていた。


「……綺麗だ、レティシア」


 純白のタキシードに身を包んだジーク様が、眩しそうに私を見つめる。

 私が着ているのは、セリーヌ様とヒルデガルド将軍(彼女もすっかり常連だ)が手作りしてくれた、レースのウェディングドレスだ。


「ありがとうございます、ジーク様。……貴方も、とても素敵です」


 照れくさくて俯くと、ジーク様がそっと私の手を取った。


「誓いの言葉は、堅苦しいものは抜きにしよう」


 彼は悪戯っぽく笑い、参列者たち(人間、動物、魔族含む)に向かって宣言した。


「私、ジークフリード・フォン・ガルディアは! 一生、レティシアの作る料理を美味しく食べ! 皿洗いを完璧にこなし! 彼女が笑顔でいられるよう、全力を尽くして愛し抜くことを誓います!」


 ドッ、と笑いと拍手が起きる。

 皇帝陛下が「うむ、皿洗いは基本だな!」と深く頷き、セリーヌ様が「兄様、尻に敷かれすぎですわ!」とハンカチで目頭を押さえている。


 私は幸せなため息をつき、彼を見上げた。


「では私は……ジーク様がどれだけお腹を空かせても、一生美味しいご飯と紅茶を作り続け、貴方の心と体を癒やし続けることを誓います」


「……ああ。最高の誓いだ」


 ジーク様が顔を寄せ、温かな唇が重なる。

 その瞬間、森の木々が一斉に芽吹き、祝福するように花びらが舞い散った。魔王様が「祝いだ」と言って空に打ち上げた花火魔法が、昼間の空を彩る。


 なんて、ハチャメチャで、幸せな結婚式だろう。


「レティシア」


 キスを終えたジーク様が、私の耳元で囁く。


「……愛しているよ。俺の可愛いカフェ店主(奥さん)」

「私もです。……私の素敵なウェイター(旦那)様」


 私たちは顔を見合わせ、幸せそうに笑い合った。


 婚約破棄から始まった私の物語。

 ブラック職場を追放された先で待っていたのは、温かい紅茶と、愉快な仲間たち、そして最高の愛だった。


 これからもきっと、大変なことはあるだろう。

 けれど、大丈夫。

 美味しい料理と、一杯の紅茶があれば、どんな困難も乗り越えていけるはずだから。


 ――カランカラン。

 風が吹き、ドアベルが軽やかに鳴り響く。


 ようこそ、『カフェ・オアシス』へ。

 ここは、元悪役令嬢が営む、世界で一番幸せなカフェ。

 本日の営業は貸切ですが……また明日、皆様のご来店をお待ちしております。

最後までお読みいただきありがとうございます。


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