第11話 繁盛しすぎたカフェと、月夜の逃避行
「いらっしゃいませ! 列を乱さないでくださいまし!」
「最後尾はこちらだ。押すな」
カフェ『オアシス』は、戦場と化していた。
原因は明白だ。
先日来店した魔王ヴェルニヤ様が置いていった『魔王の加護(最強のセキュリティ)』と、『あそこのカレーを食べると魔力が上がるらしい』という噂が、大陸中を駆け巡ったからだ。
高ランク冒険者、魔導師、果ては各国のグルメな貴族までが押し寄せ、店は連日満員御礼。
私のスローライフ計画は、完全に崩壊していた。
「……はぁ、はぁ。ま、また小麦粉がなくなったわ。追加発注しなきゃ」
私は厨房でフラフラになりながら、スコーンの生地を練っていた。
王宮時代の書類仕事地獄から逃げ出したと思ったら、今度は接客地獄だ。
確かに売上は凄まじいことになっているけれど、私が求めていたのは「木漏れ日の中で読書をする午後」であって、「厨房でひたすらジャガイモの皮を剥く午後」ではない。
「……レティシア」
ふと、背後から腕を掴まれた。
振り返ると、エプロン姿のジーク様が、心配そうな瞳で私を見下ろしていた。
「顔色が悪いぞ。少し働きすぎだ」
「で、でもお客様が待っていますし……」
「休憩も仕事のうちだ。……セリーヌ! 後は任せたぞ!」
「ええっ!? 兄様、どこへ行かれますの!?」
ジーク様は妹姫の悲鳴を無視して、私をひょいっと横抱き(お姫様抱っこ)にした。
「きゃっ! ジ、ジーク様!?」
「ルゥ、行くぞ!」
「ワフッ!」と待機していたルゥ(フェンリル)が、巨大化して背中を差し出す。
ジーク様は私を抱いたまま軽々とルゥの背に飛び乗った。
「し、仕事が!」
「知らん。今日はもう店仕舞いだ!」
ジーク様の合図とともに、ルゥが風のように駆け出した。
あっという間にカフェが小さくなり、私たちは森の奥深くへと運ばれていく。
◇◇◇
連れてこられたのは、森を抜けた先にある、見晴らしの良い丘の上だった。
眼下には美しい湖が広がり、夜風が心地よく吹き抜けていく。
「……ふぅ。強引ですみません、ジーク様」
「謝るのは俺の方だ。君を守ると言っておきながら、働かせすぎてしまった」
ジーク様は草の上にマントを広げ、私を座らせてくれた。
そしてバスケットから、水筒とサンドイッチを取り出す。いつの間にか用意してくれていたらしい。
「少し食べるといい。君は昼も食べていなかっただろう?」
「……ありがとうございます」
サンドイッチを一口食べると、緊張の糸が切れたように、どっと疲れが出てきた。
それと同時に、隣に座るジーク様の体温が心地よく伝わってくる。
「……そういえば、王都から面白いニュースが届いているぞ」
ジーク様が夜空を見上げながら、世間話のように切り出した。
「ニュース、ですか?」
「ああ。カイル王太子のことだ」
「うっ……名前を聞くだけで胃が」
「安心してくれ、吉報だ」
ジーク様は意地悪く笑った。
「先日の騒動の後、彼は正式に『王位継承権』を剥奪されたそうだ」
「えっ……廃嫡、ですか?」
「ああ。ライオネル陛下もついに匙を投げたらしい。現在は離宮に幽閉され、一から礼儀作法と算数をやり直させられているとか」
「算数から……」
「さらに、隣にいた男爵令嬢――ミナと言ったか。彼女も『公務怠慢の共犯』として修道院送りになったそうだ」
ざまぁみろ、とは言わない。
ただ、ストンと胸のつかえが取れた気がした。
私が必死に支えていた砂上の楼閣は、私が抜けたことで跡形もなく崩れ去ったのだ。
「これで、君を縛る過去の鎖はなくなった」
ジーク様が私の手を取り、真剣な眼差しを向けてくる。
月明かりに照らされたその瞳は、宝石よりも美しかった。
「レティシア。……俺は、君のこの店が好きだ。だが、君が過労で倒れてしまっては意味がない」
「はい……お恥ずかしい限りです」
「だから、提案がある」
彼は私の手を、ぎゅっと握りしめた。
「俺と一緒に、帝国へ来ないか?」
「え……」
「店を畳めと言っているわけではない。支店を出せばいい。帝国には優秀な料理人も、君の負担を減らすための人材も山ほどいる」
「帝国で、カフェを……?」
「ああ。それに……俺の城なら、君を煩わせる雑音(ナンパ男や元婚約者)を完全にシャットアウトできる。君はただ、好きな料理を作って、俺のそばで笑っていてくれればいいんだ」
それは、実質的なプロポーズだった。
スローライフを守るための、最強の提案。
何より、彼の「そばにいてほしい」という切実な想いが伝わってくる。
「……少しだけ、時間をいただけますか?」
私は赤くなる顔を隠しながら答えた。
「このお店は、私の初めての『城』なんです。もう少しだけ、ここで頑張ってみたい。……でも」
「でも?」
「いつか、二号店を出す時は……その場所を、ジーク様のお隣にさせてください」
それが今の私の、精一杯の愛の告白だった。
ジーク様は一瞬目を見開き、それから花が咲くように破顔した。
「……ああ。待っている。何年でもな」
彼の手が私の頬に伸び、そして――。
月明かりの下、私たちの影が一つに重なった。
初めての口づけは、私の作ったカフェラテのように、甘くて温かかった。
◇◇◇
「――で? そこでチューしたんですの!?」
「し、してません!!」
翌朝。
店に戻った私を、セリーヌ様が質問攻めにしていた。
ジーク様はというと、鼻歌交じりで開店準備をしている。機嫌が良すぎて、背中からお花が飛んでいるのが見えるようだ。
「ちぇっ、つまんないの。……まあいいですわ。お義姉様が元気になったのなら!」
セリーヌ様が腕まくりをする。
「さあ、今日も戦争ですわよ! お客様が並んでいます!」
「はい! ……あ、でも今日は『完全予約制』にしますからね!」
働きすぎは美容に悪い。
昨日のデートで学んだ教訓を生かし、私は「本日は予約のお客様のみ」という看板をドアに掛けた。
ブラックな労働環境はもう卒業。
愛する人(?)と、頼れる仲間たちに囲まれて。
私の『悪役令嬢カフェ』は、今日もマイペースに営業中だ。




