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悪役令嬢の引退カフェ経営。静かに暮らしたいのに、元婚約者が「君の淹れる紅茶じゃないとダメだ」と泣きついてくる。知らんがな。  作者: 綾瀬蒼


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第1話 婚約破棄は、最高の退職願でした

「レティシア・ベルモット! 貴様のような陰気で可愛げのない女との婚約は、今この時をもって破棄とする!」


 王宮の大広間に、カイル王太子のヒステリックな声が響き渡った。

 突然の宣言に、優雅なワルツはぴたりと止まる。

 煌びやかな衣装に身を包んだ貴族たちの視線が、一斉に私――公爵令嬢レティシアへと注がれた。


 王太子の隣では、今をときめくピンク髪の男爵令嬢、ミナが「きゃっ、怖い」とわざとらしく震えて彼にしがみついている。


 ……あ、これ。

 流行りの『断罪イベント』だ。


 私はゆっくりと扇を閉じ、カイル殿下を見上げた。

 金髪碧眼の美しい顔が、憎悪に歪んでいる。彼は勝ち誇った顔で、私がショックのあまり泣き崩れるのを待っているのだろう。


 けれど、私の胸の内を占めていたのは、絶望でも悲しみでもない。

 圧倒的な、『歓喜』だった。


 (婚約破棄……ということは、明日からあの山のような書類決裁をしなくていい?)

 (殿下の尻拭いも、予算管理も、近隣諸国との腹の探り合いもしなくていい……?)

 (毎朝四時起きで、殿下の体調に合わせた紅茶を淹れる必要も、もうない……!?)


 ――自由だ。

 社畜からの、解放だ。


 私は扇の下で、必死に緩もうとする口元を引き締めた。

 笑うな。耐えろ私。ここで「やったぁぁぁ!」と叫んだら不敬罪だ。


「……殿下。それは、本気でございますか?」

「当たり前だ! ミナへの陰湿な嫌がらせ、公務をサボっての夜遊び……これだけの証拠があるのだぞ!」


 殿下がばら撒いた書類を見て、私は呆れ果ててしまった。

 嫌がらせ? そんな暇があるなら寝たい。

 公務をサボっていた? 誰のせいで私が毎晩徹夜して、執務室に缶詰になっていたと思っているのか。


 私が「夜遊び」と断罪されている時間は、裏帳簿の洗い出しをしていた時間だ。

 私が「サボっていた」時間は、殿下が放り投げた外交文書を代筆していた時間だ。


 全部、私がやっていたのに。

 この国の行政が滞りなく回っていたのが、誰のおかげかご存じなかったとは。


(まあ、いいわ)


 説明するのも面倒だ。

 ここで私が有能さを証明して婚約破棄を回避してしまったら、またあの地獄の労働環境に逆戻りである。

 それは死んでも御免だ。


 私はスッと背筋を伸ばし、完璧な角度のカーテシー(お辞儀)を披露した。


「謹んで、お受けいたします」

「なっ……!?」


 予想外の反応だったのか、カイル殿下が間の抜けた声を上げる。

 私は畳み掛けるように言葉を紡いだ。


「殿下のご意志、しかと承りました。不徳の致すところにより、婚約者の座を辞退させていただきます」

「ふ、ふん! 強がりを言っても無駄だぞ! 貴様には『王都追放』を命じる! 北の辺境へ行き、二度と私の前に顔を見せるな!」

「はい、喜んで!!」


 食い気味に返事をしてしまった。

 しまった、声が弾んでしまったかもしれない。


 北の辺境。そこは豊かな自然に囲まれた、静かな土地だ。

 いつか引退したら、そこでカフェを開いてのんびり暮らすのが私の夢だった。

 まさか、殿下の命令サポートで夢が叶うなんて。


「……ちっ。最後まで可愛げのない女だ。お前が淹れるような、薬臭くて渋い紅茶も、もう飲まなくて済むと思うと清々する!」


 捨て台詞のように殿下が叫ぶ。

 

(薬臭いって……あれは殿下の酷い不眠症と魔力過多を抑えるために、私が『安らぎの加護』スキルを使って調合した特製ブレンドなんですけど)


 良薬口に苦し、という言葉を知らないのだろうか。

 あの紅茶を飲まなくなったら、一週間と経たずに不眠で倒れると思うけれど……まあ、知らんがな。


 私はくるりと踵を返した。

 去り際、呆然としているミナ様にだけ、そっと微笑みかける。


「ミナ様。あとは任せましたわ」

「は、はい?」

「あの膨大な公務と、殿下の癇癪の相手……頑張ってくださいね?」

「え……?」


 青ざめるミナ様を置き去りにして、私は大広間を後にした。

 背中から「ま、待て! なんだその態度は!」と殿下の喚き声が聞こえたが、もう私には関係ない。


 王城の馬車止めには、すでに私の家の馬車が待機していた。

 御者に目配せをする。

 荷物はすでにまとめてある。ここ数日、いつ婚約破棄されてもいいように、退職準備(荷造り)を進めておいたのだ。


「出して。行き先は北の辺境よ!」


 馬車に飛び乗り、遠ざかる王城を窓から振り返る。

 夜空に輝く月すらも、私の門出を祝っているようだった。


「さようなら、ブラック職場! さようなら、無能な上司(元婚約者)!」


 こうして悪役令嬢レティシアは、晴れやかな笑顔で表舞台から姿を消した。

 これから始まる悠々自適なスローライフに、胸を躍らせながら。


 ――この時、カイル殿下はまだ知らなかった。

 自分が捨てた女が、国の屋台骨そのものであったことを。

 そして、彼女の淹れる紅茶がなければ、自分がまともに眠ることさえできない身体になっていたことを。

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