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星降る夜の終わりに、あなたからの手紙を  作者: 九葉


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第8話

老執事の手から、カイ様へと手渡された一通の封筒。

それは、これまで私が受け取ってきたどの手紙よりも古びていて、長い年月を経た重みが宿っているように見えた。

宛名には、流麗な筆記体で、『我が愛する息子、カイへ。そして、光の娘、セラフィーナへ』と記されている。


城の外では、クラヴィス王子率いる王都騎士団が、降伏を勧告する鬨の声を上げ始めていた。

緊迫した空気が、窓ガラスをビリビリと震わせる。

しかし、この執務室だけは、まるで世界の喧騒から切り離されたかのように、静寂に包まれていた。


カイ様は、しばしその手紙を無言で見つめていたが、やがて意を決したように、封蝋を指で砕いた。

中から現れたのは、数枚にわたる羊皮紙の束。

彼はその最初の一枚を手に取ると、静かに読み始めた。その声は、もう氷のように冷たくはなく、どこか厳粛な祈りの響きを帯びていた。


『我が息子、カイへ。


これを読んでいるということは、お前は大きな決断を迫られているのだろう。そして、隣にはセラフィーナ嬢がいるはずだ。

まずは、父の身勝手な遺言に、お前を長年縛り付けてしまったことを詫びたい。すまなかった。

お前が、俺の影にどれほど苦しんできたか、気づかぬふりをしていたわけではない。だが、これだけは信じてほしい。俺がセラフィーナ嬢を守るようお前に託したのは、決して過去の感傷からだけではないのだ』


カイ様の指が、微かに震えているのが見えた。


『セラフィーナ嬢の母君――エリアーナは、俺の生涯ただ一人の女性だった。だが、彼女は公爵家の令嬢で、俺は北の辺境を守る一介の武人。身分が、俺たちを引き裂いた。

彼女がヴァイスハイト公爵と結婚する直前、俺たちは最後の別れを交わした。その時、彼女は俺にこう言ったのだ。「私の中に宿る『祝福の力』は、きっと娘に受け継がれる。でも、それはあまりに強すぎて、あの子を孤独にしてしまうかもしれない。もし、いつか、あの子が本当の危機に瀕した時は、どうかあなたの一族が、あの子を守る盾となってほしい」と。

それは、愛する女性との、最後の約束だった』


私の、お母様が……。

私を疎んでいるとばかり思っていた母が、そんな約束を。

魔力が暴走したあの日、母が見せた悲しみの表情は、失望ではなく、私の未来を案じる悲しみだったのだろうか。


カイ様は羊皮紙をめくり、私の方へ向き直ると、続きを読み聞かせるように言葉を紡いだ。


『セラフィーナ嬢。君の力は「呪い」ではない。それは、君の母君から受け継いだ、「生命を育む祝福の光」そのものだ。

かつて君が枯らしてしまった薔薇も、本当は君が「もっと美しく咲いてほしい」と願う純粋な心が、花の生命力を急激に活性化させ、その循環を狂わせてしまっただけに過ぎない。

君の心に安らぎが訪れ、誰かを、何かを、心から「守りたい」と願う時、その力は真の輝きを放つだろう』


守りたい、と願う時。


私は、無意識のうちに、目の前に立つカイ様の姿を見つめていた。

氷の仮面の下に、誰よりも深い孤独と優しさを隠している人。

私を突き放しながらも、温かいミルクを差し出してくれた人。

王家の軍勢を前にしても、私を差し出すことをしなかった人。


守りたい。

初めて、心の底からそう思った。

この人の孤独を、私が癒したい。この人の背負うものを、半分背負いたい。

この城を、ここに住む人々を、私を助けてくれたイーダさんやゴードンのような優しい人たちを、私のせいで傷つけさせたくない。


その瞬間、私の身体の奥底で、何かがカチリと音を立てて嵌ったような感覚がした。

まるで、ずっと流れを塞き止められていた川が、その堰を切って奔流を始めたかのように、温かく、そして強大な魔力が、私の全身を駆け巡り始めたのだ。


私の手首で、あのお守りの腕輪が、これまで見たこともないような、鮮やかな新緑の光を放つ。

それは、暴走の兆候を示す危険な光ではなかった。

生命力に満ち溢れた、希望の光だった。


カイ様は、目を見開いて私を見つめている。

彼の灰色の瞳に、驚きと共に、初めて見る確かな信頼の色が宿った。


最後の手紙には、こう締めくくられていた。


『カイ。セラフィーナ嬢。

過去の因縁は、この手紙で終わりだ。

これからは、お前たち自身の言葉で、お前たち自身の物語を紡いでいけ。

北の厳しい自然は、時に牙を剥く。だが、二人で手を取り合えば、どんな冬も乗り越えられるはずだ。

父として、そして友として、お前たちの未来に、最大の祝福を贈る』


手紙を読み終えたカイ様は、それを静かにテーブルの上に置いた。

そして、私に向き直ると、その手を取った。

初めて触れた彼の手は、武人らしく硬く、ごつごつとしていたが、信じられないくらいに温かかった。


「セラフィーナ」


氷が溶けた、穏やかな声で、彼は私の名を呼んだ。


「俺は、父の亡霊になるつもりはない。お前を、親の感傷の道具にするつもりもない」


彼は、私の手を強く握りしめた。


「俺は、俺の意志で、お前を守りたい。……いや、共に戦いたい。お前の力を、貸してくれるか」


それは、命令でも、遺言の履行でもない。

カイ・フォン・グライフェンという一人の男の、魂からの問いかけだった。


私は、涙で濡れた瞳で、彼を真っ直ぐに見つめ返した。

そして、人生で初めて、自分の意志で、未来を選択した。


「……はい、カイ様。わたくしの全てを、あなたと、この辺境のために」


私たちが手を取り合った瞬間、城の窓から、まばゆいばかりの緑色の光が、空に向かって放たれた。

それは、北の地に春の訪れを告げる、最初の光だった。

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