第5話
雪に覆われた山道を越えると、視界が拓け、ついにその城の威容が姿を現した。
鷲ノ巣城。
切り立った崖の上に、まるで巨大な鷲が翼を広げて巣を守るかのように、その城は建っていた。
灰色の城壁は、長年の風雪に耐えてきた歴史を物語り、質実剛健という言葉がそのまま形になったような、荘厳で圧倒的な存在感を放っている。
(あそこが……カイ様の……)
手紙に何度も綴られていた、彼の故郷。
胸の高鳴りを抑えながら、私は城へと続く最後の坂道を一歩一歩、踏みしめるように登った。
城門に辿り着くと、分厚い毛皮の外套をまとった二人の屈強な門兵が、鋭い視線で私を射抜いた。
「止まれ。何用だ」
地響きのような、低い声。
その威圧感に、思わず足がすくむ。
「わ、わたくし、セラフィーナ・フォン・ヴァイスハイトと申します。辺境伯様にお会いしたく、参りました」
震える声でそう名乗ると、門兵は眉をひそめ、あからさまに怪訝な顔をした。
「ヴァイスハイト公爵家のご令嬢が? このようなお姿で、お一人でか? 戯言も大概にしろ」
冷たく吐き捨てられ、追い払われそうになる。
やはり、無理だったのだろうか。
諦めかけた、その時だった。
私の手首に着けられた腕輪が、門兵の目に留まった。
彼の目が、わずかに見開かれる。
「その腕輪は……」
彼はもう一人の門兵と顔を見合わせると、「……ここで待っていろ」と言い残し、城の中へと消えていった。
しばらくして戻ってきた彼は、先ほどとは打って変わって、硬いながらも幾分か丁寧な態度で私を城の中へと招き入れた。
重々しい鉄の扉が開き、中へ足を踏み入れる。
外観と同じく、城内も華美な装飾は一切なく、ひたすらに実用性を重視した造りになっていた。
すれ違う騎士や侍女たちは、皆一様に険しい表情で、私に一瞥をくれると、足早に自分の持ち場へと去っていく。
イーダさんの言っていた通り、まるで城全体が氷に閉ざされているかのような、冷たい空気が漂っていた。
通されたのは、小さな応接室だった。
燃え盛る暖炉だけが、この部屋の唯一の温もりだった。
革張りのソファに腰を下ろすよう促され、私は緊張で冷たくなった手をスカートの上で固く握りしめた。
(もうすぐ、会える)
どんな人なのだろう。
手紙の文面から想像するに、きっと穏やかで、思慮深い、優しい笑顔の似合う人に違いない。
もしかしたら、イーダさんの言っていた先代様のように、太陽みたいな人なのかもしれない。
期待に胸を膨らませ、扉が開くのを待つ。
やがて、重い足音と共に、扉が静かに開かれた。
入ってきた人物を見て、私は息を呑んだ。
そこに立っていたのは、一人の青年だった。
歳は、おそらく私とそう変わらないだろう。
けれど、その身に纏う空気は、まるで百戦錬磨の将軍のように研ぎ澄まされ、張り詰めていた。
夜の森よりも深い、艶やかな黒髪。
磨き上げられた鋼のような、引き締まった身体。
そして、何よりも印象的だったのは、その瞳の色だった。
冬の空をそのまま閉じ込めたような、冷たい灰色の瞳。その奥には、決して他者を寄せ付けない、深い孤独と絶望の影が揺らめいていた。
手紙の温かいイメージとは、あまりにもかけ離れた、氷のような青年。
彼が、ゆっくりと口を開いた。
その声は、凍てついた湖の底から響いてくるように、低く、そして感情がなかった。
「俺が、カイ・フォン・グライフェンだ。ヴァイスハイト公爵令嬢が、何の用だ」
その声に、心臓が氷の矢で射抜かれたかのような衝撃を受けた。
それでも、私は必死に勇気を奮い立たせ、ソファから立ち上がって、練習してきたカーテシーをとった。
「お、お会いできて、光栄ですわ、カイ様。わたくし、セラフィーナと申します。……これまで、心のこもったお手紙を、本当に……本当に、ありがとうございました」
感謝の気持ちが溢れて、声が震える。
この人に会うために、私は全てを捨ててここまで来たのだ。
私の言葉を聞いた彼の灰色の瞳が、ほんの少しだけ、揺らぐ。
しかし、それはすぐに氷の仮面の下に隠され、彼はただ、冷ややかに私を見下ろした。
そして、信じられない言葉を、私の耳元に突き刺した。
「……手紙?」
彼は、心底不思議そうに首を傾げると、こう言い放った。
「ああ、あの手紙のことか。悪いが、人違いだ」
「――その手紙を書いたのは、俺じゃない」
え、と。
声にならない声が、喉の奥で凍りついた。
目の前の氷の青年は、私の凍りついた心を意にも介さず、ただ無感情に、事実だけを告げた。




