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星降る夜の終わりに、あなたからの手紙を  作者: 九葉


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第1話

「公爵令嬢セラフィーナ・フォン・ヴァイスハイト! 貴様との婚約を、本日この時を以て破棄する!」


シン、と静まり返った謁見室に、第一王子クラヴィス様の張りのある声が朗々と響き渡った。


磨き上げられた大理石の床に映る、豪奢なシャンデリアの光が、やけに白々しく私の頬を照らす。肌を撫でる空気が、まるで冬の夜のように冷たい。


(……ああ、また、この瞬間が来てしまった)


デジャヴ、というにはあまりにも鮮明な光景だった。

周囲にずらりと並ぶ貴族たちの、好奇と侮蔑と、ほんの少しの憐憫が混じった視線。その全てが、無数の針となって私の肌を突き刺す。


痛い。

けれど、それ以上に、どうしようもない諦めが心を支配していた。


「セラフィーナ嬢。貴様がその身に宿す、あまりにも不安定で強大すぎる魔力は、この国の安寧を脅かす危険な代物だ。これまで幾度となく機会を与えてきたが、ついに貴様が魔力を完全に制御することはなかった! これ以上、次期国王となる私の隣に、いつ暴発するかも分からぬ『呪い』を置いておくわけにはいかぬ」


呪い。

その言葉に、会場のあちこちから「まあ」「やはり」という囁きが漏れる。


街角で子供たちが「出来損ないの魔女だ」と陰口を叩きながら、小石を投げてくる。

夜会の招待状が、私の分だけ「うっかり」忘れられる。

お茶会に呼ばれても、誰も私の隣に座ろうとしない。


そんな日常の延長線上に、今日のこの光景はあった。

だから、驚きはなかった。

ただ、心の奥底で、小さな何かが音を立てて砕けただけ。


私はゆっくりと顔を上げ、クラヴィス様の隣で得意げに微笑む子爵令嬢に視線を移した。可憐なピンク色のドレスを身にまとった彼女は、まるで勝利を確信した花のようだ。


「……クラヴィス様。殿下のお言葉、謹んでお受けいたします。これまで、至らぬ私に多くのご慈悲を賜りましたこと、心より感謝申し上げます」


震えそうになる声を必死に抑え込み、淑女の作法に則った、完璧なカーテシーを捧げる。

公爵令嬢としての矜持。それが、今にも崩れ落ちそうな私を支える最後の柱だった。


(これで、いい)

(これで、やっと終わる)


そう自分に言い聞かせながらも、ドレスのスカートを握りしめる指先が、小さく震えているのには気づかないふりをした。


幼い頃、一度だけ魔力が暴走したことがある。

お母様が大切に育てていた白い薔薇の庭園で、私はただ、もう少しだけ綺麗に咲いてほしいと願っただけだった。

けれど、私の指先から溢れた淡い光は、全ての薔薇を瞬く間に枯れさせ、黒い灰に変えてしまった。


悲鳴を上げたお母様の顔。

失望に染まったお父様の瞳。


あの日から、私の世界は色を失った。

両親からは距離を置かれ、屋敷の中でも孤立した。

唯一の希望だった王家との婚約も、結局はこの様だ。


謁見室からの退出を許され、ふらつく足で長い廊下を歩く。

背後で続く、誰かのひそひそ話が耳に届く。


「……これで国も安泰だな」

「そもそも、あの魔力自体が不吉の象徴だったのだ」

「辺境伯様も、よくあのような令嬢と文通など……」


――辺境伯様。


その言葉に、私の足がぴたりと止まった。

忘れていた。いいや、忘れようとしていた。

私の、たった一つの光を。


自室に戻ると、窓際の小さな机の上に、見慣れた一通の手紙が置かれていた。

飾り気のない、素朴な羊皮紙。

差出人の名を示すのは、鷲の紋章が刻まれた、深い青色の封蝋。


北の辺境を守る、グライフェン辺境伯。

カイ・フォン・グライフェン様からの手紙だ。


月に一度、必ず届くこの手紙だけが、私の灰色の世界で唯一、彩りを持つものだった。


顔も、声も知らない人。

お父様同士が旧知の仲であったという、ただそれだけの間柄。

彼から初めて手紙が届いたのは、庭の薔薇を枯らしてしまい、自室に閉じこもっていた、あの日のことだった。


『拝啓、セラフィーナ嬢。初雪の便りが届く季節となりましたが、王都にて健やかにお過ごしのことと存じます』


その書き出しから始まる、丁寧で、けれどどこか温かい文章。

手紙には、北の厳しい自然のこと、そこで暮らす人々のたくましさ、時折見せる森の動物たちの可愛らしい仕草などが、生き生きと綴られていた。


同情でも、憐憫でもない。

まるで、昔からの友人に語りかけるような、穏やかな言葉の連なり。


私は震える指で、その手紙にそっと触れた。

まだ、開ける勇気はなかった。

今日の出来事を経て、この温かい光に触れることが、少しだけ怖かった。


手首に着けた、素朴な木のビーズの腕輪を、無意識にぎゅっと握りしめる。

初めての手紙と一緒に贈られてきた、魔力を安定させるお守り。

効果があるのかは分からない。けれど、ひんやりとした木の感触が、いつも私の不安な心を少しだけ和らげてくれる。


(大丈夫)


砕け散ったはずの心の欠片が、指先に宿る温もりによって、ゆっくりと繋ぎ合わされていくような気がした。


私は深呼吸を一つすると、意を決して、青い封蝋に指をかけた。

この手紙を読んだら、未来を決めよう。


もう、誰かの言いなりになるのは終わりだ。

私の人生は、私が決める。


パキリ、と。

静かな部屋に、封蝋の砕ける小さな音が響いた。

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