笑顔でお疲れ
訓練の終了からしばらくして、支店内は重苦しい沈黙に包まれていた。会議室のドアが閉ざされ、支店長と上司が向かい合う。蛍光灯の白い光が、二人の顔を無機質に照らしていた。
「いいか、大事にすることは絶対に許さん」支店長の声は低く抑えられていたが、言葉の一つ一つが突き刺さるように強かった。「もし本部に報告する気があるなら、お前の部下の管理能力が致命的に低いと俺は判断する。その場合は降格だ。分かったか?」
上司は顔を真っ赤にし、唇を噛みしめた。机を睨みつけ、呼吸が荒くなる。だが、その先に言葉は続かない。支店長の冷たい視線に射すくめられ、声を出せない。やがて搾り出すように答えた。
「……承知しました」
その声には屈辱が滲んでいた。全身から不満が溢れ出ているのに、逆らえない。机の上の拳が震えている。怒りの矛先がCに向かうのは明白だった。
一方その頃、Cは銀行の片隅にある小さな個室に座らされていた。警備員二人がドア近くに立ち、まるで罪人を見張るかのように視線を送っている。沈黙の中で、Cの呼吸音だけが妙に大きく響いた。
ドアが開き、支店長が入ってきた。椅子に腰を下ろすと、短く告げる。
「今回の件は水に流す。表沙汰にはしない。ただし、誰にも何も言うな。口外すれば、それなりの処分を下す」
Cは思わず顔を上げた。問いただそうとしたが、その目には氷のような光しか宿っていない。
「理由は……」Cが言いかけると、支店長は手を振って遮った。
「理由など必要ない。黙っていろ。それが命令だ」
言い放つと支店長は立ち上がり、振り返らずにドアを閉めた。
Cの胸に、不快なざらつきが残る。なぜやったのかを問われもしない。真相など最初から求められていない。——こうして声は潰され、見て見ぬふりが常態化するのだ。Cは確信した。
退勤の時間。Cは耳を疑う声を聞いた。
「今日はお疲れ」
振り向くと、あの上司が笑顔で立っていた。殴られた頬にうっすら赤みを残したまま、穏やかに見える表情で軽く肩を叩き、何事もなかったかのように去っていく。
それは、誰も聞いたことのない言葉だった。上司が部下に「お疲れ」と声を掛けるのは初めてだったのだ。
その瞬間、支店に残っていた同僚たちの空気が凍りついた。誰も口を開かず、視線を交わすことすらできない。Cもまた、背筋に冷たいものを感じていた。笑顔の裏に潜むものの正体を、誰も口にできずにいた。




