訓練の崩壊
乾いた破裂音の余韻がまだ空気を震わせている。銀行の室内には誰一人として笑顔はなく、形ばかりの訓練は完全に色を失っていた。全員が硬直する中、Cは鋭い目で支店長を射抜き、低い声を吐き出した。
「動くな!」
声の調子は演技を超えていた。支店長は顔を引きつらせ、思わず一歩後ずさる。胸の奥底に、不気味な現実感が忍び込んでくる。誰もが思った——これは訓練の延長ではない。空気が本物の事件に変わりつつあった。
Cは乱暴に後輩の肩を引き、窓口へと歩を進めた。床に擦れる靴音が響き渡り、誰もがその一歩一歩に息を止める。窓口に立つEの前に、無造作にカバンを投げ置くと、Cはありきたりな言葉を吐き出した。
「金を詰めろ」
その台詞は、もはや冗談ではなかった。Eの顔が一瞬凍りつき、次いで震える手で偽札を鞄に詰め始める。普段の真面目な所作が、その場では恐怖に歪み、見慣れた彼女の姿が別人のように見えた。
「早くしろ!」
CはモデルガンをEの頭に押し付けた。冷たい鉄の感触に、Eの肩がびくりと震える。彼女の目尻に涙が浮かび、喉から掠れた声が漏れた。
「……はい……」
室内の空気がさらに張り詰める。誰もが目を逸らし、ただ時間が過ぎるのを願った。だが、その緊張を破ったのは別の声だった。
「いい加減にしろ!」
怒鳴り声と共に立ち上がったのは、あの上司だった。顔を紅潮させ、唾を飛ばしながら怒声を響かせる。
「警備員! あいつを取り押さえろ!」
怒鳴られた警備員は硬直し、しかし次の瞬間、慌てて動き出した。椅子を蹴るように立ち上がり、Cへと一歩踏み出す。だが、その動きを目にした後輩はすかさず行動した。Cの腕をすり抜け、強引に身体を捻って拘束を抜け出したのだ。
「っ……!」
Cの目が見開かれる。逃げられた。焦りに駆られたCは後輩を追う。だが後輩は巧みに動いた。上司の背後へと滑り込み、その影に隠れるような仕草を見せた。次の瞬間、彼は自然な流れを装って、上司の身体を前へと押し出した。
その動作は一瞬のことだった。押された上司がバランスを崩し、Cの眼前に現れる。Cは咄嗟に身を翻し、追いかける勢いを利用して腕を振り抜いた。
「ドンッ!」
鈍い音が室内に響く。Cの拳が上司の頬を強かに打ち抜いた。上司は驚愕の表情を浮かべたまま床に崩れ落ち、数秒の沈黙が訪れる。
凍りついた。
窓口のEは震える手を止め、目を見開いた。パート職員は悲鳴をあげ、支店内の全員が呆然と立ち尽くした。まるで時間そのものが止まったように。
だが現実は容赦なく動き出す。警備員が我に返り、Cの背後に回り込む。
「やめろ!」
羽交い締めにされたCの身体がぐらりと揺れる。抵抗しようとしたが、複数の腕が彼を強引に抑え込む。Cの目はなお鋭く光り、殴った拳を震わせていた。
「ふざけるな……」支店長が声を張り上げる。怒りと恐怖が入り混じった声だった。
「訓練をなんだと思っている! いい加減にしろ!」
支店長の顔は怒りに染まり、声はかすれて震えていた。その響きに誰も逆らえなかった。現場の空気は完全に崩壊し、もはや訓練という言葉はどこにも残っていなかった。
「終了だ! 全員やめろ!」
支店長の絶叫が支店内に反響する。
Cは警備員に押さえ込まれながらも、なおも目を逸らさなかった。視線の先には、殴り倒れた上司がいた。その姿に、彼の胸の奥で何かが確かに終わりを告げていた。




