準備のざわめき
訓練日の二週間前、Cは銀行の小さな会議室に後輩とEを招き、ざっくばらんな打ち合わせを装って扉を閉めた。蛍光灯の下、三人の影が机に落ちる。外はまだ明るかったが、室内の空気は既に重かった。
「今日は細かい段取りを詰めたい」Cは声を低くした。資料を取り出し、ポケットから薄いメモを滑らせる。その紙切れに書かれた文字が、いま三人の間で唯一の合図だった。
後輩が先に切り出す。「具体的に、どこまでやるつもりなんですか?」
Eは腕を組み、目を伏せたまま問うた。いつもの慎重さと、どこか危うい覚悟が混ざっている。
Cは迷いなく言った。
「訓練の“暴れ”をいつもより強めにして、その混乱に乗じる。上司が現場で介入してくる瞬間を作り、その場で俺らが偶発的にぶつかるようにする。そこに一発、入れる」
言葉が落ちる。二人の表情が一瞬硬直した。Eの手が小さく震え、後輩の唇がかすかに動く。どちらも言葉を選んでいる。
「暴行は、どんな理由があってもリスクが高すぎます」後輩は真剣に反論した。「誰かが大怪我をすれば、訓練どころじゃなくなる。計画が露見したら、全員が責められる」
Eも重ねるように言った。
「私たち、ただの訓練担当のはずよ。どうしてその一線を越えようとするの?」彼女の声には怒りと悲しみが混じっていた。
Cの顔に、いつもの疲れた影が広がる。黙っていた時間が長く、ようやく口を開いた。
「分かってる。だからこそ、やり方は極力“事故”に見せる。演技の範囲で済ませたいんだ。俺は何度も上司にやられてきた。これ以上、黙って見殺しにされるわけにはいかない」
その言葉には、説明を超えた何かが宿っていた。静かな怒りと、長年抑えてきた屈辱。Eは震える声でつぶやく。
「……それでも、怖い。あなたが本当にやるつもりなら、私も自然と加担してしまうかもしれない。それが怖いの」
後輩は俯き、指先でメモを撫でる。場の重さに押されるように、ゆっくりと答えた。
「俺も反対だ。でも、Cさんの気持ちも理解する。だから、できるだけ被害を出さない形で、止める役は俺がやる」
Cは二人を見渡し、短く頷く。誰も賛成とは言わなかったが、二人の目には決意が宿っていた――渋々ながらも、共に行く覚悟だ。
話題は切り替わる。実務的な準備へと移る。訓練用に用いる小道具のリストが紙の上に並べられた。偽札、モデルガン風の小道具、目出し帽、そして訓練用の簡易放送や警報の扱い方……どれも訓練で使われる範囲のものばかりだが、並べられた時の重みが違う。
「役割はこうしよう」Cが指で示す。
「犯人役は俺。窓口操作はE。抑えに入るのは後輩。俺は犯人として演技するが、抑え込めない“演出”を作る。あとはタイミングだ」
Eは小さく息を吐いた。後輩は眉間に皺を寄せたが、二人とも頷く。言葉には出さないが、各自が自分の覚悟を測っているのが分かる。
会議室を出る直前、Eが紙片をひとつ拳で潰すように握りしめた。
「本当にこれで、誰も傷つけないで済むのかな……」
Cは答えなかった。代わりに短く言った。
「最善を尽くす。だが、これが最後かもしれない」
廊下に出ると、三人の影が長く伸びた。互いの背中を確かめ合うように、誰もが黙って歩き出した。




