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零れ落ちた声

 仕事終わり、Cは書類を抱えて支店を出た。夜の風は湿っていて、溜め込んだ疲労を吹き飛ばすには心許ない。駅へ向かう足取りは重く、考えはまとまらないままだった。


 「……先輩」

 突然、背後から呼び止められた。振り返ると、窓口のEが立っていた。普段は控えめな彼女が、こんな時間に声をかけてくることは珍しい。


 「少しお話、いいですか」

 そう言うと、Eは強引にCの腕を掴み、駅前の飲み屋へと歩き出した。驚く間もなく、Cは狭い個室へ押し込まれていた。


 「……一体どういうつもりだ」

 動揺を隠しながら問いかけると、Eは真っ直ぐな視線を返した。

 「先輩、後輩と何を企んでいるんですか」


 Cは息を呑む。

 「企む? そんな大げさなものじゃない。ただ、防犯訓練を少し現実的にしようと——」

 「なぜですか」Eは遮った。

 「支店長の方針は“例年通り”だと知っているはず。それを敢えて変えようとしている。何のためなんですか」


 彼女の言葉は鋭く、逃げ道を塞いでいた。Cは曖昧に笑ってごまかそうとしたが、Eの目は揺るがなかった。

 「……話してくれないなら、こう言いふらしますよ。『C先輩に二人きりで飲みに連れて行かれた』って」


 脅しのような言葉に、Cは言葉を失った。

 「なぜそこまで」かろうじて問い返す。


 しばしの沈黙の後、Eの目に涙が滲んだ。

 「……私も、ずっと苦しめられてきたんです」


 声は震えていた。

 「支店長にも、あの上司にも。真面目に働けば働くほど“暗い”“愛想がない”って笑われて、意見をすれば“女のくせに出しゃばるな”って叩かれる。どれだけ努力しても、誰も認めてくれない。私はずっと我慢してきました。でも、もう限界なんです」


 Eは両手で顔を覆った。

 「誰も助けてくれない。同僚も、みんな見て見ぬふり。……だったら、同じように苦しめてやりたい。私と同じ思いを、あの人たちにも味わわせたい」


 Cの胸に重いものがのしかかった。彼女の涙は、かつて自分が流したはずの涙と重なった。


 「……分かった」Cは低く言った。

 「本当に、そんな気持ちでいるなら。俺が考えてることを話す。ただし、誰にも言うな」


 Eは涙に濡れた顔を上げ、強く頷いた。

 その瞬間、二人の間には奇妙な共犯意識が芽生えていた。


 ——零れ落ちた声が、Cを動かしてしまったのだ。

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