雲と月
雲は風を待っていた。ひたすらにただ待ち続けていた。
彼は月をもっと近くで見たいのだ。
「なぜ自分にだけ風は吹かないのだろうか」
と雲は考えた。周りの雲たちは風に吹かれあちこちへと飛んで行っている。ただ待っているだけでどこかへ行く機会を与えられているのだ。彼はなにか悪いことをしたのだろうか。ただただ純粋に、正直に、見た目にも気を使って生きてきた。十八日前に海から生まれ、それ以来何かといって悪いことはしていないはずなのだ。それどころか、良いことをしてきたはずだ。彼は雨をふらし、人を喜ばせ、草木に水を与えた。そうして生きてきた。周りの雲は体を黒くして雷雨を降らし、木を燃やし、動物たちを怖がらせたりしているものもいる。なのになぜ彼にだけ風は吹かないのだろうか。
十九回目の朝がきた。向こうからカモメがやってきた。
カモメは言う
「そんなところで何をしているのさ、みんなあっちのほうまでいってしまった」
雲は答える
「そりゃ行けるなら行きたいさ、でも僕には風が吹かない、どうしてかはわからないけどね。」
「何を言っているのか、みんなにできることが君にできないはずがないじゃないか」
カモメは不思議な顔をして向こうへと去っていった。いまだに海の近くの村からうごけないでいる。それができればなんの苦労もしないのだと雲は思った。反芻して思った。前にも思ったことなのである。というよりいつも思っているのかもしれない。雲にはそれがわからなかった。なぜ周りが簡単にして見せることが自分にはできないのだろう。なぜ自分にはその機会すら与えられないのだろうか。雲は不戦敗が嫌いである。戦ったこともないのにそれだけはわかる。生まれた時からそう刻まれているのだろう。戦えないことが悔しくてたまらない。
気づいたら夜になっていた。人は皆家に帰り、深い眠りについたころ。雲の下に一匹の黒猫がやってきた。そういえば毎晩のように子の黒猫を見るではないか。そう思っていると猫は喋りだした。
「初めまして、臆病な白雲さん。今日も会いましたね」
「失礼な猫なんだな。僕は臆病なんかじゃないよ、まだ動いたことはないけどそれはわかるよ」
「わかった気になっているのではなくてですか?わたしにはずいぶん臆病そうにみえますよ。だってあなた足がないじゃないですか、本当は不安でしかたないのでなくって?」
猫はすらっとした四本の黒い足でどこかへと去って行ってしまった。やはり雲にはわだかまりが残っていた。雲なのだから足があるわけがない、猫は生まれつき足があるからどこへでもゆける。だから雲の気持ちが猫にはわからないのだろう。
「初めて話したのに失礼な猫だ。まあいいさ、寝れば全部忘れるもの。」
そう一人でつぶいて雲は眠りについた。月がきらきらと輝く夜空の中で、
雲は太陽の光で目が覚めた。雲一つない快晴だ。いや訂正しよう雲は一つしかない快晴である。こんな日には特別なことがしたい。そうだ周りに誰もいないのだから大声で歌ってみるのはどうだろうか。きっと気持ちがよいだろう生まれて初めての快晴というものに雲は気が上がっていた。普通の雲というものは快晴は経験しないでその命を終わらせる。普通は集団で行動するからだ。雲は歌った。太陽が空のど真ん中に来るくらいまで歌った。気持ちがよかった。この青空のように雲の心もきれいに晴れた。そして気づいた
「僕はひとりぼっちだ」
いままで友達ができなかったわけではない。できたが、深い関係性には至らなかった生まれては通り過ぎ、それを見送る。それの繰り返しだ。友達はいないのかと聞かれたときには、みんなと友達なのだ。だから寂しくはないと答えた。嘘である。寂しくないはずはない。それでもひとりでいるのも好きなのだ。わがままではあるが、それがこの雲なのだ。なんでも一人でやってきた。だから人に頼るほかの雲を見下していた。だけれども自分一人では、この村から動くことすらできないのだ。戦いに参加することすらできない。弱い弱い雲なのだ。
太陽すら沈みいなくなり、暗い暗い夜がやってきた。少し遠くのほうに昨日の性格の悪い黒猫をみた。白い猫と一緒だった。猫ですら友達がいるのか、いや愛猫なのだろうか。どちらでもよいが、どちらにしろ猫ですら孤独ではない。遠く遠くの空に月が見える。周りのすべての雲は月を目指して進んでいった。風に吹かれて飛んで行った。僕も月を見てみたい。遠く遠くの空へと行ってみたい。そう思って月を眺めていると下から声がした。漁師に捕まったタコだった。
「やあやあ白雲さん。お空で一人で何をしているんだ?」
「いや、別に何も一人の時間が欲しかったのさ、君こそそんなところで何をしているんだい」
「見てわかるだろう。漁師に捕まって洗濯ネットのなかさ、これから死にに行くんだ。人間ってのは俺たちを食うのが好きみたいでね。困ったよ。」
「残念ながら僕にはどうすることもできないよ。君はどこから来たんだい。どうして死にに行くっていうのにそんなに元気でいられるんだい。」
「遠くの冷たい海から来たんだぜ。もう別に悔いがないのさ、仲間と暮らして、海老やカニを食べて楽しく暮らす。かみさんでもいればもう少し生きていたかったと思えるんだろうけど、別にいいのさ。だって俺だって海老やカニを殺して食っただろう?だったら自分が食われる側になったって文句は言えねえよな。人間とは違うのさ。」
そう言い終わったところでタコを乗せた船はほかのタコを捕るために遠くへと去っていった。
「すかしてるなぁ、どれだけ充実してても死んでいいってことはないだろうに、それにあのタコだって今はひとりなのに」
雲は内心、タコを見下していた。タコは内心、雲を哀れに思っていた。
次の日の朝、雲は雨を降らした。残念がるおかあさんに、喜ぶ子供と農家、植物はここぞとばかりに感謝を述べる。
「ありがとうございます」
「あなたのおかげでまた生きることができます」
「そろそろ水が欲しいと思っていたんです」
いつもは一言もしゃべらないというのにこういうときだけは饒舌になるのが草木というものだ。それでも雲は悪い気はしなかった。自分が求められている。この世に存在していていいと思える唯一の時間だ。毎日降らしたいがそうもいかない。海からの補給が十分でないまま雨を降らすと死んでしまう。それが雲たちの寿命というものだ。まだ雲は死にたくはない。だって戦いに参加していないのだから。
ひとしきり雨を降らすと雲はずいぶんと小さくなった。今までたくさんためてきた分今日はいつもよりも多くの雨を降らすことができた。ひさしぶりに満足している。楽しいともいえる。疲れたのでお昼寝をしてしまおうかと思っていると、向こうで大きな雲が生まれた。天まで届くほどの巨体で影はもはや青く見えるほどに濃い、しかし体の中は真っ黒である。その雲はゆったりとこちらに近づいてくる。この村は水が多すぎると川が氾濫し、人々は大きな被害を受けてしまう。守らなくては!!
気づいたら黒雲は雲の目の前までその巨体を運んでいた。その瞬間だけほほに風が通った気がする。すぐに止まったが、風の代わりに黒雲が話しかけてきた。
「どけ、お前はこんなところで何をしている。俺は俺の仕事をしなくてはならない、お前もお前の仕事をしろ。こんな小さな村でだらだらと水をながしているんじゃない。」
ゴロゴロと腹をならすその巨体に少し体がすくんでしまったが、少ししかひるまずに雲は言う
「この村をめちゃくちゃにすることがお前の仕事なのか、生きる意味なのか、そんなことがお前の生まれてきた意味なのなら消えてしまえ。あと…なんだ…僕の仕事って!この村に雨を降らせることが仕事でないのなら何が僕の仕事なのだ。何が僕の生きる意味なんだ!」
「ふむ、なかなか言えるじゃないか。もっと臆病なものだと思っていたがね、お前の小さい勇気に免じて道を変更するとしようか、こんな小さい村を水浸しにしたってなにも面白くないからな。」
と言って黒雲は強風をビュービュー吹かせながら飛んで行った。雲は初めて一歩だけ前に進むことができた。黒雲を押していた風のおかげなのか、それとも黒雲のおかげなのか、このころの雲にはそれがわからなかった。それでも、この日から雲の頬はかすかな風を感じるようになった。
放心状態から覚めると夜になっていた。周りには後輩といえる雲がたくさんいた。そのうちの一人が雲に話しかけてきた。
「君はいつできた雲なの?ずいぶん年を取っているように見えるんだけど。」
そうかそれほどの時間をこの場所で過ごしているのかと雲は気づく。
「もう二十日以上経つかな詳しい時間は覚えていないんだけど。」
「二十日!?なかなかいない年齢だよ!普通雲の寿命は二日か三日だ。」
「そうなの?周りに雲がいなかったから気づかなかったや、みんなどこかに行っちゃった。たぶん月を目指しているんだ。あんなにきれいなものはないからね。」
「月?どうして月なんか目指すんだい?そもそも月って届くのかい?」
「え?君は月を目指しているわけではないんだね。珍しいほうなんじゃないかな。」
「そうか、普通はそうなのかな、私の周りでは聞いたことがなかったから。あ、そろそろ夜明けだから行くよ。僕は隣町に行って雨を降らせなきゃいけないから。」
そういって雲は隣町に向けて風に乗っていった。不思議な気持ちが雲には残った。ずっとみんなが月を目指していると思っていたからだ。目指していない雲だってこの世にはいたのか、そういえばまわりの雲がどこへ行くのかなんて聞いたことがなかった。そして昼に黒雲が言っていた仕事、あの雲もそんな感じのことを言って去っていった。自分にも仕事というものはあるのだろうか。そう考えながら雲は眠りについた。
向こうの水面がバシャバシャとうるさい。なにがいったいなにをしているんだ。イワシの群れがはねていた。まるで昨日の雲のようだ。きらきらと太陽の光を反射するその鱗を雲は欲しいと思った。だってその鱗があれば月のように輝けるではないか、雲の理想の姿だ。美しい、なんでそう思うのだろう。生まれてから考えたことなどなかった。自分はなぜ月を美しいと思うのか、自分にはないものをもっているからなのか、それとも何も考えずにただ美しいと思っているのか。それがわからない。月のことなんて見た目しか知らないし、どんな性格をしているのかだって知らない。でもただただ美しいと思ってしまう。その気持ちだけはわかるのだ。
その日の夜、一匹のトンビがやってきた。こんなところにトンビが来るなんて珍しい。初めてだ。月は初めて自分から話しかけた。
「トンビさん始めまして、遠いところから来たんですよね、僕、月を目指してるんです。なにか会いに行ける方法を知りませんか。」
「初めまして勇敢な白雲さん、今日はいい夜ですね。月ですか、話したことはあります。しかしどうやってあなたがあそこまで行くのかはわかりかねます。」
「話したことがあるのですか?どんなひとでしたか。教えてもらいたいです。」
「そうですね、期待しているなら申し訳ないですが、あまりいい方ではありませんでしたよ。見た目は美しいですが、それ以上に言葉の厳しい方でした。」
「そうなのですか?そうは見えないのですが、本当にそれは月だったのですか、水面だったりしませんか。」
「いえ、確かに月でしたね。残念ですれどそれが事実でありました。」
トンビは静かに優雅に飛んで行った。
雲はしばらく何も考えることができなかった。涙を流すことすらできなかった。遅れて怒りがわいてきた。それは月に対してだろうか。いいや違う。雲は勝手に期待していた。見た目通りだときれいだと思い込んでいた。だから勝手に傷ついた、それこそが怒りの原因である。恋ではないと思っていた。周りが目指していたからあこがれているだけだと思っていた。しかし、それはそれでも確かに恋だったのだ。月のことだけではない、白雲は白雲のことすらなにもわかっていなかった。わかったふりをしていた。それに気づくことができただけでも成長なのだろう。そのことをわかったとき雲のせなかにはさわやかな風が吹いていた。白雲は決心したのだ。
もう立ち止まらない。
白雲は薄々気づいていた。風は吹いてくるものではないのだ。自分が動いたとき、そこに風が吹くのだ。自分が動き出せないということを自分には向いていないと勘違いをしていた。
月に会う、それが生まれてきた使命だ。それが僕の”仕事”だ。そう思ったとき雲には足が生えた気がした。もちろん本当には生えていない、気がしただけだ。
黒猫は、空を見ながら言った。
「きれいな白雲が浮いている。」
道は長い、トンビが飛んできた。方向から察するに山を五個越えなくてはならない。もちろんその間死んではいけない。でもそんな心配は白雲にはなかった。停滞する今日を生きるよりもよっぽどましだったからだ。気づけば海辺の町は遠くに行っていた。進めば進むほど自分の中の水が減っていくのがわかるのだ。海にいた時とは違う。水分の供給は著しく減る。風が強くなればなるほど水分の消費は減る。
一つ目の山へとたどり着いた。山では多少水分を得ることができるので、登っていく途中で一休みしているとクマに出会った。
「こんにちはクマさん、こんなところでなにをしているんだい?」
「これはこれは、こんなに白い雲を見たのは初めてだなあ、餌をとっているんですよ白雲さん」
「この山でですか?あなた以外の動物はみませんでしたよ?」
「そうなんですか?でも降り方がわからないんです。一度も降りたことがないので。」
白雲は自分と似ていると感じた。
「よかったら山の外まで案内しましょうか。」
白雲はクマと一緒に山を降りた。少し近く感じていた月が遠く、しかしどこかで近くなったような気を抱えて。
クマと別れて次の山へと向かう。夜になり、月が顔を出した。何度見ても遠すぎる。月は白雲のことなど存在すら知らないのではないだろうか、白雲の風はそれほど強くはないそれでも一歩ずつ慎重に確かに歩んでいく、目の前には大きな田んぼが見えた。前いた村には田んぼがなかったので不思議な気持ちになる。前会った雲が仕事をしに来たのはこの村だろうか、なるほど確かに雨がたくさん必要なわけだ。田んぼの脇にはふたりほどの小さな子供が座っていた。男の子と女の子で、よく見えないが何かを交換していた。白雲は心が温まりつつも一人の身の自分にすこしばかりの心細さを覚えた。そうしてしばらく見ていると、白猫が話しかけてきた。
「私と同じほど白い白雲さん、のぞき見なんていやらしいですよ。」
この猫はあの黒猫と一緒にいた猫だ。こんな遠くの村の猫だったのか
「前の村であなたをみましたよ、どうやってこんな遠くからあそこまで?」
「おや、私はあなたを見たことがありませんよ?もしくはあなたが変わりすぎたかですね。飼い主があの村の男に恋をしているんです。私はあの雌猫に興味はありませんよ。」
「そうだったんですか、てっきり恋仲なのかと思っていました。」
「見ただけだとわからないことは多いですよね。友達ですらありません、彼女が勝手についてくるのです。」
なにか自分にも刺さっているような気がしてつらくなる白雲だった。
二つ目の山は岩山だった。いわゆる剣山とよばれるものだ。水分がなくて雲にとっては大敵なのだが、回り道をしていたら月にたどり着く前に死ぬだろう。
この山には猿が多かった。大量の猿の上をぷかぷかと浮いてそのまま通り過ぎようかと思ったのだが、猿たちはそれを許さなかった。
「おい、ここを通りたかったら食い物をよこしな。そうでなきゃ消してやる。」
なんて凶暴なのだろうか、人間ほどではなくとも賢く、卑怯な生き物である猿はこういうことをしてくる。第一人間と違って僕たちと話せるから厄介なのだが。
「そんなこと言わないで通してくれよ、見てわかるだろう?僕は食べ物を持ってもすり抜けちゃうよ。」
「言い訳は聞いていない、食べ物を持っていないならここでお前の旅はおしまいだ。」
そう言い放つと猿たちは石を投げてきた。バラバラになってしまう!
白雲だってただではやられない、ぐっと力を入れ過去最高速度の風速で去る。白雲の通った道にはとてつもない強風が吹き荒れ、猿たちがなげた石は弾丸のように猿たちに帰っていっただけでなく何本か岩を折った。いやしかし調子に乗りすぎた。こんな速度出したのは初めてだったために水分がかなり減ってしまった。剣山はさっきの勢いで抜けたので大きな湖で休むことにした。月を目指し始めて初めての水源である。湖のほとりには緑色のカエルがいた。
「こんにちはカエルさんいい夜ですね。」
「どうも、夜だっていうのにきれいに光る雲ですね。」
「ありがとうございます。カエルさんはお食事ですか?」
「ええそうですよ。今日はバッタを五匹ほど食べたんです。おなかは満たされましたよ。」
「どこか物足りない顔ですね。何かあったんですか?」
「家内に振られましてね、ずっと一緒だと思ってたんですけど。なかなか結婚生活もうまくいきませんよ。」
「それは災難でしたね。ゆっくりお休みになられてください。」
白雲は、月を想っていた。あの方は今なにを考えているのだろうか。あの雲が言っていることがもしも本当なのだとしたら、いまこの地球で月を想っているのは白雲だけなのかもしれない。
三つ目の山は本当にただただ普通の山だった。普通に動物がいて、川があって、木が喜んで暮らしている。木のような安定した暮らしにも少しはあこがれる。月のもとに行ってもし、この想いが伝わったならそのようなくらしもよいなと白雲は思う。
山頂に差し掛かった時に一本の木が話しかけてきた。雨を降らせてもいないのに木がしゃべったのは初めてだ。白雲が雲だった時に話しかけても無視されたことを思い出す。
「白雲さん、白雲さんや、このわしの丁度反対側に立っている古い木は元気かね。」
「おや?いま木が話しかけてきたんですか?初めてのことだったので驚きました。反対側の古い木…というと?反対側は人工林になっていますよ。」
「おお…なんてことだ…」
「反対側のわしと同じところには妻が植えられていたんじゃよ、もともと隣に植わっていたんじゃが、人間に引っこ抜かれてしまっての…もう何十年も話していなかったんじゃが、そうか、もう切られていたか。」
「そんな…悲しい話ですね…よかったら奥さんとのお話、聞かせてもらえませんか?」
「そうじゃな…あれは何百年前だったか忘れたが、鳥の糞の中に入っていた種として生まれたわしの隣に同じように落ちてきたのが妻だった。最初は不細工な木だとおもったよ。それでも一緒に何年も隣にいるうちに樹皮の下の美しさに気づいてな、この木となら一緒に居たいと思えたんじゃよ。それから何十年という時間をともに過ごして、子供もできた。きっと遠くの山で元気に暮らしていることじゃろう。妻が移植されるときに一緒に見た星は今でも覚えておるよ。月はその時と同じくらいきれいに今でも光っているな。白雲さんよ、妻が切られてしまったのは残念じゃ、しかし今日は白雲さんと会えたから悪い日ではないと思うよ。話を聞いてくれてありがとう。」
そういうと古い木は静かにその芽を閉じた。
月がきれいにたたずんでいた。同じほどにきれいな白雲のふかせる風はどれほどのきれいさを持っているのだろうか、その風は、植物たちになにをあたえるのだろうか。
この山の木々も今夜だけは思わず夜更かしをしていた。
白雲は早朝に起きた。四つ目の山は三つ目の山からだいぶ離れているのでゆったりと進むことにした。ふわふわと空気中の水分を吸いながら飛んで行く、一歩も動けないと思っていたころがずいぶんと懐かしい。思い込みというものはかなり効果を持つようで、動けると気づいたときからは逆に止まるのが難しいくらいなのだ。
朝は太陽もまだ起きたばかりで、僕の夜の次に好きな時間だ。太陽が照らしてくれないから水分はあんまりもらえないけれど、それでもゆったりとしている。物好きな人間はこの時間に起きてくる。外で体操をしたり、仕事の準備をしたりと忙しそうにしている。人間という生き物は生きるために苦しむ生き物のように見える。僕も今は生きているだけで大変だ。毎日の水分調整だって難しい。正直生きるという面だけでいえば雲だったころのほうが楽でいいのだろう。それでも人間に雲になることを進めることができない自分がいる。毎日食べてそこにいるという暮らし方はすごく楽だけど、それは本当にただ生きてるだけなんだってことに気づいた。人間はわがままだから生きてるだけじゃ満足しない。生きることに意味を見出そうとする。そしてそれに苦しんだりする。時に死にたいと思ったりもするんだろう。前まで理解できてなかったけどここ数日は理解することができるようになった。僕もわがままに生きたいと思うようになったからだと思う。
少し時間が経って一匹の犬が家から出てきた。ぼさぼさで情けない飼い犬だ
「なんだなんだ今日はきれいな雲が浮かんでいるな。追いかけてみようか。」
一時間ほどたったが、ずいぶん遠くまで来たが犬はついてくる。白雲は少し止まって
「なんなんだ君は、おうちはかなり遠くになってしまったよ。飼い主が心配するよ。」
「大丈夫さ、おいらの飼い主は放任主義なんだ。」
「難しい言葉を知ってる犬だな。でも帰れなくなっちゃうよ、ご飯もらえなくなるんだよ。」
「なっ!それはまずいな…そしたらおいらとすこしおしゃべりしようぜ。」
「んーちょっとだけだよ。」
「やった!!白雲には大切な人はいるか?おいらはいるぞ、飼い主だ。あいつはいつも家にいないし、ご飯くれる時しか帰ってこないけどおいらを愛してるってちゃんとわかるんだ。だからおいらもあいつが好きだ。好きだから無理しないでほしいけどな。」
「僕には…いる。人ではないけど、あったこともないし、しゃべったこともないけどいるよ。」
「なんだそりゃ、それじゃ本当に大切なのかなんてわかんないじゃねえか。」
「わかるよ、それが僕の仕事だし、僕の生まれてきた意味なんだ。あったことはないけど、今から会いに行くんだ。確かに大切なものに会いに行くんじゃないのかもしれない、そのものを大切にできるように会いに行くのかもしれないね。」
「ふーん、よくわかんねえけど本気ってことだ。じゃあ邪魔するわけにはいかないな!」
うるさい奴だが、悪い奴ではなかったなと白雲は思った。そろそろ四つ目の山へと到着する。
四つ目の山は火山であった。その火山は3000年ほど前にこの世に生まれてからずっと生き続けている。めらめらとでは言い表せないほど強く光る火口をもった活火山だ。山の下に人の集落はなく、野生の動物もいないまさに死の大地と呼んでよいだろう。大きな口から黒い雲を生み出し続けるその雄大な姿に白雲は少しおびえていた。しかし、月までの道のりもようやく半分を切ったのだ。今更引き返すという選択肢は残されていない。猫を前にしたネズミのような気持ちで前へと進む。
僕がこれまでに見てきた山の中でダントツに恐ろしいと感じた。動物の気配も人の気配もなく、あるのはただの岩、岩、岩。それ以外ないのかというほどに植物もなにもない。とりあえずこんなところはやくぬけだしたい。岩だらけなので水分が心配だったが、その心配はいらなかった。いたるところから水蒸気が噴き出し、山を登る前より少し太ったくらいだ。そういえばこの山から少し離れた人里では、この火山の熱を利用した温泉というものが人間たちに楽しまれているらしい。わざわざ熱い思いをしたいなんてやっぱり人間という生き物は変わってる。そういえば猿にもそういう習慣があるんだっけ、同時に嫌なことも思い出してしまったな。そういえば昨日遠くから見てたよりも今日は火山が元気な気がする。空に浮かんでる黒雲が大きくなってるし、聞いていたよりずっと暑い。きっともう少しで火口だから気温が高くなっていっているだけなのだろう。嫌な予感が走る心を押さえつけてとにかく山を登ることにした。まさにもう山頂というところで、その嫌な予感が的中した。ゴゴゴと空気がしびれるほどの轟音をヒビカセながら火山は噴火したのだ。そして予想していなかったことが起こった。
「おはよう!こんなところに誰かがきたのはいつぶりだろうか。」
火山はしゃべったのだ。
「え…?は?なんで山がしゃべれるんだ?」
「なんでって君だって生き物じゃないのにしゃべってるじゃないか!」
いわれてみればそうである。なぜ動物だけがしゃべれると勘違いしていたのだろうか。
雲がしゃべれるのだから山だって喋れるよな。…じゃあ今までの山は無視してたってこと!?
「おい、まだあいさつが帰ってきてないぞ?」
「えっとおはよう。僕はもういかなくっちゃだからじゃあ」
「おいちょっと待てよまだ来たばっかだろ?ずっと一人だったから寂しかったんだよ相手しな」
「いかなきゃいけないところがあるんだけど…」
「おっとそれは話が変わってくるぞ?」
お話に付き合ってくれれば早道をさせてあげてもいいんだけどな」
五つ目の山までは今までの非にならないほどの距離がある。ショートカットができるなら是非させてもらおう。
「でなんの話をするんだ?」
「君は山は一人で生きていけると思うか?」
「おもうかって…実際に一人で生きてる山がいるじゃないか。周りには動物もいないし、人里もかなり離れてる。」
「答えはNOさ、俺がここまで生きてこれたのには”コツ”がある。」
「コツって?」
「それはな、約束することだよ。」
「誰と。」
「自分と誰かとさ、俺にはさ、相棒がいたんだよ。人間のな。」
「人間とも喋れるのか?」
「いや、それは無理さ。でも言葉なんて友情にはいらないんだよ。あいつは最初仲間をぞろぞろ引き連れてきたんだ。それで仲間と一緒にいろんなものを盗んでいった。懲らしめてやろうと思ったんだ。俺は軽く噴火した。俺にとっては軽い噴火だったけどあいつらからしたらすごい恐怖だったんだろうな。あいつの仲間は盗人をやめてもう来なくなった。だけどあいつだけは違った。毎日毎日なんか一つを盗んでいく、でも盗んでいくだけじゃなかった。あいつは俺に感謝して下山していくんだ。変なやつがきて俺の日常は少しだけ寂しくなくなったんだ。ずーっと続いた。何年たったのかはわかんねえけど、いつの日からかあんなに小さかったあいつは大きくなって、まあ俺に比べりゃまだまだだけど、気づいたら髪を白く染めてた。イメチェンかなーなんて思ってたらあいつはこれで最後だ。なんて言いやがった。なんでそんなこと言うのか全く理解できなかった。でもあいつは言ったんだ。」
「約束だ。生まれ変わったらまたくる。その日のためにたくさんお宝をつくっておいてくれよ。」
「生まれ変わるとか俺には理解できなかった。でももうこいつには会えないってことだけはわかった。それから俺はまた一人になった。寒いよるも丁度いい夏の日もあいつがいなかった日はなかった。具合が悪そうにしながらも来てたよ。あいつがいなくなってからあいつの暖かさで俺も暑くなれてたんだってきづいたんだ。あいつはあいつがあいつじゃなくなっても、また来ると言った。だから俺も俺と約束したんだ。あいつがくるまで熱は止めないって。」
「君にも大切な人がいたんだね。」
「君は前に進まなきゃいけないんだろ?すこし話過ぎたな。数百年ぶりに誰かと話せて満足した!約束通り俺の煙にのってけ!!」
白雲が火山の煙に乗ると火山は爆発的な噴火を起こす。熱く黒い煙はその中では光り輝くような白雲を乗せて五つ目の山の近くへと伸びてゆく、火山が放っていた光はとても満足気で、太陽の光ほど美しくみえた。黒い煙に乗せられながら白雲は火山を見る。孤独だが、決してあきらめないその堂々とした姿は目的は違っても白雲に似ていた。
五つ目の山はこれまでの山が小さく見えてしまうほどに高くそびえたっていた。この山の頂点に月はいる。最終コーナーに入ったのだ。白雲は生まれてからすでに30日以上が経過している。雲にしてはあまりに長すぎるその生涯をささげてここまで来た。いままでたくさんの存在にあってきた。そしてその存在たちからは多くのことを学んだ。もはや白雲は雲とは呼べないほど美しく、白雲が通った場所では動物たちが見惚れ、動きを止める。空にぽっかり空いた穴のような姿で山のふもとにたたずんでいた。
白雲は登る。いつもよりはやく、命が削れていくのがわかる。火山でかなり大きくなっていた体は、登り始めて三日目の夕暮れ時にはもう元あったものよりも小さくなっていた。それでも先ほどよりも進みを速めてしまう。山頂はすでに見え始めた。夜も近づいている今、月に会うチャンスなのである。人でいう大股歩きで、死なないように確実に大きく進んでいる。
ついに月が見え始めた。いままで生きてきたなかで一番美しく感じる。そういう風に僕はできている。そのために生まれてきたのだから。会いたい、会いたいその気持ちばかりが先走り、つい保身を忘れてしまう。ついに戦いの場へと足を踏み込んだのだ。今僕は地球で一番ドキドキしているんだと思う。そして同時に地球で一番生命の危機に瀕しているんじゃないだろうか。丁度月が山頂に到着したときに、僕も到着した。今まで食べてきた水分が全部漏れ出してしまうんじゃないだろうか。そんな気持ちで、言葉を絞り出す。
「あの…!!」
月は、トンビが言っていたようにあまり性格のよい者ではなかった。しかし、むしろ白雲は安心した。あんなに美しい月であっても自分と同じだとわかったからである。
その日月には小さな純白雲がかかっていた。しかし、月の光はさえぎられることはなかった。それどころかともにきれいに輝き、地球上のすべての生物が大切な者と寄り添って月と白雲を眺めていた。ただの雲の恋は、地球上のすべての生物を巻き込んだ恋となった。その瞬間の月と雲はきっと宇宙で一番輝いていたのだろう。
まずはこんなに長い文章を読んでくれてありがとうございます。(12168文字)
自分の懺悔と慰めのために書きました。文章を書くのは苦手なので稚拙な文になってしまっていることを申し訳なく思います。それにしてもこんなに長く書くのは初めての経験で、小説家の方々のすごさをしみじみと感じております。この話を読んで共感してくれる人がいたら文章がだめだめでも伝えたいことは伝わったと思います。僕はまだ雲なので白雲になれるように頑張ります。
※誤字などありましたら教えてもらえると助かります。
制作期間2025.9.9-2025.9.11