婚約破棄の最中に魔女が現れて10年分の記憶を奪っていった
「リリー・カサブランカ公爵令嬢!
今この時をもって、お前との婚約を破棄する!
そして!!
これからは、このサリー・マクガレン男爵令嬢と婚約を結び直す!
お前は、俺がサリーと仲がいいのに嫉妬して、サリーに様々な嫌がらせをしたな!
お前のような悪女とは結婚できない!
俺はサリーと真実の愛を貫く!」
理想の王子様を、ちょっぴり残念にしたような金髪蒼眼のマイケル・トーミウォーカー王子は、隣にいる小柄なピンク・ブロンドの肩を抱いてリリーを指差した。
場所は貴族学園の総合スペース。
今日は卒業記念パーティー。
突然、始まった断罪劇に出席者と、そのパートナーたちが固唾を飲んで見守っている。
「さようですか。
それでは父に、その旨伝えますので失礼します」
リリーが踵を返すと、王子から待ったがかかる。
彼女はウゼェ……とは口に出さず振り返る。
「お前は反論などないのか?!」
「すべて父に任せます。婚約契約自体、当主同士の決定なので」
「少しは泣いたり喚いたりしないのか?!」
「それに何の意味が?」
「くうううう、可愛げない! お前みたいな鉄仮面と結婚せずに済んで、せいせいする! お前なんぞ国外追放だ」
会場がざわつく。
「殿下、あまり勝手が過ぎると後が……」
宰相の息子セルジュがマイケル王子を窘めた時──
「イーヒッヒッヒ!
あたしゃ魔女だよ。面白いことが大好きさ!
今日は面白い遊びを思い付いたよ。
その子の記憶を10年分消してしまおう、えい!」
空飛ぶ箒に乗った黒ずくめの女が突然現れ「えい!」と叫ぶや否や、リリーはバタンと倒れてしまった。
クラスメイトや近衛が慌てて駆け寄る中、すぐに彼女はムクリと起き上がる。
ぼんやりした瞳で辺りを見回し、そして1点で止まる。見る見る頬を紅潮させると走り出した。
なんとマイケルに駆け寄り抱きついたのである!
周囲はどよめいた。勿論マイケルも固まる。
「ダニエル叔父様! 会いたかったわ!
お手紙を出したのに10日も会いに来てくださらないんだもの!」
ダニエルは王弟。マイケル王子の叔父であり、リリーにとっても母の弟。マイケルとリリーは従兄弟。
ダニエルは末っ子でマイケルと10歳しか違わず、見た目も似ていた。
つまり10年分の記憶を失ったリリーは、マイケル王子をダニエル王弟だと勘違いしている。
「あら? カミジュもいたの。叔父様と相変わらず仲がいいのね」
と、宰相の息子セルジュに向けて言う。
カミジュはセルジュの1番上の兄で、ダニエルの側近である。
「ええと、リリー公女。実はですね、魔女が──」
「黙れ。言うな」
説明しようとした側近をマイケルが制す。
魔女はいつの間にかいなくなっていた。
「リリー、寂しい想いをさせて悪かった。
一旦、王宮でお茶をしよう」
と、マイケルは彼女の背中を押して退場を促す。
「え? ここは王宮じゃないの? 何処なの?」
「後で説明するから馬車に乗ろう」
「……わかったわ。叔父様に従います」
「イイコだ」
マイケルがリリーの頭を撫でると、彼女は嬉しそうに微笑む。
その様子に危機を覚えたサリーが割って入る。
「待って。私も一緒に行くわ」
「叔父様、こちらはどなた?」
「サリー・マクガレンよ」
マイケルではなく本人が直答。
「マクガレン……男爵?」
「ええ」
「マクガレン男爵は新婚なのに、妙齢の令嬢がいらっしゃるの? 奥様じゃなくて?
この前、父の名でご祝儀を出したばかりだわ。
おたくの領地の川の氾濫に、うちの治水事業部をお貸しした縁で。
その後、領民は恙無く暮らせているかしら?
地盤の緩い場所を住宅地として売っていたから心配していたのよ」
「それは……えっと……わからない」
「『わからない』ですって?
領民の税で暮らしているのに、領地に心を傾けずして何をなさってるの?」
「わ、私は庶子で! 貴族になったばかりだから、 分からなくて当然だわ!」
「貴族として暮らし始めて何年なの?」
「3年よ!」
リリーは大きく溜め息をつきたいのを堪えた。
「貴方の振る舞い言動は、王侯貴族領民すべてを侮辱しています。
貴族として生きたいなら初歩から学び直しなさい。
そして自身の言動を恥じる能力を育てなさい。
それができないうちは、私に接近禁止です」
「そ、あ、あなたにそんなことっ」
「『あなたにそんな』?
私はカサブランカ公爵が長女リリーです。
サリー・マクガレン男爵令嬢」
分からないならわからせるわよ、と言わんばかりの冷たい視線に、サリーはたじろぐ。
周囲の誰もが2人の才覚の違いを再認識した。
これでサリーが王子妃になることはなくなったが、記憶のないリリーはそんなことは知らない。
マイケルがリリーをエスコートして馬車へ向かう。
「ねえ叔父様、あの方はお友達なの?」
「……まさか。違うよ」
「そうよね。あのように下品で自分本意で状況を理解できない方と親しいだなんて王族の名折れよね!
変なこと訊いて、ごめんなさい」
マイケルは顔がひきつるのを何とか堪えた。
8歳(体は18歳)に、そこまで言われるサリーは……。
2人が馬車に乗り込むと、早速リリーはマイケルの膝に乗った。
「え、な、何をっ?!」
「嫌だわ、ダニエル叔父様。
『10歳になるまでは乗っていい』って仰ったじゃない! 忘れたの?
あと2年は、こうしてお膝の上よ」
クスクス笑うリリーが可愛くて思わず抱き締めてしまう。
そもそもマイケルのリリーへの感情は、かわいさ余って憎さ百倍からくるマイナス。
つまりリリーの態度次第で、簡単にプラスに転じるということである。
「早く叔父様と結婚したいわ。いつしてくださるの?」
ダニエルは3年前に結婚している。
今のリリーにとっては7年後。
「っ?! あ、えと……私とは歳が離れているから……甥のマイケルなんて、どうだ?」
「まさか。嫌ですわ。
だってあの人、事ある毎に意地悪してきますの。
互いに嫌い合ってるのに一緒になるだなんて」
「ど、どんな意地悪されたんだ?」
「誕生日にプレゼントをくれたので珍しいと思い蓋を開けたら、カエルが出てきましたの」
「そ……れは、ちょっとしたサプライズで……その箱はどうした?」
「どうしたもこうしたも、捨てたに決まってるではありませんか」
「捨てたのか?!」
「ええ。だって気持ち悪いもの」
「……そうか」
その箱、実は二重底になっていて、下にネックレスが入っていたのだ。
1度も着けてるところを見たことなかったので気に入らなかったのだと彼は思っていたが、箱を確認せず捨てたからだった。
それからリリーは従兄弟にされた悪事を並べ立てた。
飼っていたウサギを箒の柄で叩かれたとか、ミミズを肩に乗せられたとか、羽虫呼ばわりされたとか。
出てくる出てくる出てくる。
「男の子は、ちょっとしたイタズラをするものだよ」
「あれが、ちょっとしたイタズラ?!
冗談じゃありませんことよ!
かの方は産まれ持った権力を笠に着たクズです!
あんなのと結婚しても、すぐに浮気するでしょうよ!」
「うっ……ゆ、許せないか?」
「当然でしょ! 大嫌いですわ!」
王宮に着く頃にはマイケルのライフポイントは0になっていた。
馬車のドアを開けた従者が亡霊のようなマイケルを見てビビっていた。
城に泊まることになったリリーが寝支度を終えると、ダニエルもといマイケルが客室にやってきた。
「今夜だけ叔父上と寝てくれないか?」
「勿論、毎晩だっていいわ!」
「毎日は……無理だ」
「お母様と仲良しでしょ? うちで暮らせばいいのに」
「ハハッ! いくら仲良くても君のは……姉上は困るよ。義兄も」
「そう」
ベッドに入るとリリーがマイケルに抱き着く。
マイケルは股間がリリーに当たらないように腰を引かせるが、リリーはグイグイくっついてくる。
リリーの中身は今8歳だが、身体は18歳なのである。
「うう……」
「どうしたの? 今日ずっとおかしいわ」
「あ……ぬ、ぬいぐるみないか?」
「あるわ」
棚から大きいクマのぬいぐるみを持ってくる。
子供用の客室なので、この手のものは揃っている。
マイケルは、あからさまにホっとして、ぬいぐるみを2人の体の間に挟んだ。
「何するの、叔父様?!
これじゃくっつけないじゃないの!」
「……ほ、本当は、ぬいぐるみ抱いて寝てみたかったんだけど、私が1人でそんなことしたら隔離病棟に入れられてしまうだろう」
「なるほど! カモフラージュね!」
「そういうことだ。よろしく頼む」
「わかったわ」
「ところで。あーその……リリー、大事な話だ。
……愛してる」
「私も愛してるわ」
「私と同じようにマイケルも君を愛していた」
「悪い冗談はやめて」
「本当だ。色々と行き違いがあったんだ。
互いに誤解しあってる」
「それで?」
「誤解を解いて仲良くすればいいじゃないか」
「必要ないわ」
「どうして?」
「合わないなら関わらなきゃいいのよ」
「彼は王子で君は公爵令嬢。いとこ同士なんだから関わらないなんて無理だろう。
実際に君たちの婚約の話が出てる」
「何ですって?!
そうねえ……叔父様がお嫁に貰ってくれないなら隣国に行けばいいわ」
「そんな簡単にはいかないよ」
「ねえ、叔父様。あの花瓶を見て。ルイノーの傑作よ」
ルイノーとは高名な陶芸家である。
「ああ素晴らしい」
「あれを床に落として割って、破片を裏から粘土で貼り付けて元の形に戻したとして。それは以前と同じ値段で売れると思う?」
「無理だろうな」
「そう。
1度壊れたものは、もう元には戻らないの。戻ったように見えても、それはもう別の何かなのよ。前と同じ価値はない。
人の心も関係も物と同じ。終わったら、それまで」
「…………そうか」
「叔父様、今日おかしいわ。
きっと疲れが溜まってるのね。
私が背中を擦ってあげるから、ゆっくりお休みなさいな」
と、リリーは手を伸ばしてマイケルを撫でた。
マイケルは後悔しながら眠った。
翌朝、記憶の戻ったリリーの悲鳴で起きる羽目になるが……。
数日後。マイケルは「リリーとの婚約破棄は自分の有責である」と公表。
騒動の責任をとって臣籍降下し男爵になった。
サリーは王子を誑かした罪で追放。
リリーは隣国の公爵子息に嫁いだ。
リリーとマイケルは以降、直接言葉を交わすことはなかったが、たまに手紙のやり取りをする仲にはなった。
□完□
閲覧ありがとうございます。
たまには、こういうのもいいかと思って☆