いないいない場
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
よう、つぶらやくん。今日も暑いな。
学生の時分なら、遠慮なく学校のプールなり市民プールなりに足を運びたくなるような陽気だ。
でも、大人になってからはどうも足が遠のきがちになる。仕事をはじめとしたもろもろで時間あるいは精神にゆとりがなくて、足腰重くなるというのもあるが、何より体型がね。
昔の自分に比べると、いまの自分のスタイルのだらしがないこと。とても人様に見せられるようなものじゃあない。
――他人は、自分が思っているほど自分のことを見ていない?
そう感じられるっちゅうのは、ある意味幸せかもしれないぞ、つぶらやくん?
確かに普段の他人は自分のことをたいして見ちゃいないが、ふとしたきっかけで見るどころか「観る」領域にまで達することもあったりする。
もしかしたら、誰かが君を。いや、この場にいる全員を観て、干渉しているかもしれないよ?
私の昔の話なんだが、聞いてみないか?
私が学生の時分、通っている学校でまことしやかにささやかれている怪談があった。
水泳の授業の始まる前と後で、参加者の人数が変わっている、というものだ。プールに限らず、よく聞くタイプの話であろう。
私たちも最初に聞いたときは、単なるうわさ話だろうとさして気にしていなかった。やがて夏どきになり、プールの授業が始まってからも人数点呼の際に異常がみられることもなく。しょせんは子供たちを震え上がらせる注意ごとの範疇かと思った。
だが、その日の授業はクラスの生徒がひとり休んでいる状態で行われた。
朝からいない。先生に理由を伝える連絡帳によれば、体調不良によるものとのこと。
最初の点呼も、確かにひとりが欠けていることを確認して始められたのだが……このフリ、想像できるな?
終わり際に、問題が起きたんだ。
皆がプールサイドに並んで行う、点呼確認。その真ん前に立ち、みんなの名前を読み上げていく先生なのだけど、不意に休みの子の名前を呼んだんだ。
「せんせ~い、休みですよ~」
そう突っ込んで、もう一度数えてもらったが、やはり先生はその子の名前を呼んだ。
悪ふざけにしては、先生の顔色にゆとりが見られない。手にした教室生徒の名簿と、私たちの顔を何度も見合わせながら、ついには私たちにまわりの子たちの頭をおさえて、確認するよう声をかけてくる始末。
どよめきを隠せない私たちは、おのおのが水泳帽をかぶった頭をぽんぽんと触っていき、私は弾みで自らの背後にも手を伸ばしてしまう。
ぽん。
確かに触れてしまって、私はさっと手を引っ込めてしまう。
本来なら、いまそこにこの感覚はあるべきではなかったからだ。休んでいた子が、本来ならばいる位置だったんだよ、そこは。
ぱっと見たけれど、誰もいない。あらためて手を伸ばしても、空を斬るばかりだ。つい先ほどの感覚以外に、何かがいたような形跡はなかった。
最終的に先生も数を合わせることができたらしく、解散になったのだけど、私が触れたものの感触は手に残ったまま。あやしの動きも周囲に見られていたから、事情を話したところ、「あいつの生霊なんじゃないの~」などと言い出す始末。
もとより、水泳が好きな子だったんだ。今回の休みだって、本意じゃなかったはず。一緒に泳ぎたい思念だけ、ここに来たんじゃないかとね。
が、水泳が終わった直後に、お約束ながら凶悪なものがやってくる。
眠気だ。
水の中で身体を動かすというのは、知っての通り地上での運動よりカロリーを消費しやすい。水の抵抗があるからね。疲労が重なるのは自然なこと。
それでも私は次の授業をどうにか起きて受けようとする組ではあるのだけど……この日はほぼ全滅だった。
先生が黒板に字を書こうと背を向けた瞬間、クラスの9割が撃沈。私を含めた幾名かも、舟を漕いでいて、いつ皆の後を追うか分からないという惨状だ。
先生のチョークの音を子守唄に、私たちの眠りは、続くよどこまでも。ついにはみんながぶっ倒れる時間が数分できるというありさまで、先生も怒るのを通り越して唖然としてしまったらしい。
その異様な眠気に襲われた私たちは、授業一コマを多かれ少なかれ、熟睡することによってぴんぴん回復。日ごろの疲れが溜まっていたのだろうか、全員……などと、このときは考えていたんだ。
しかし、休んでいた彼が数日後に学校へ来て、驚くべきことを告げた。
休んだ初日、自分は危うく三途の川を渡るところだったという。その日の日付が変わってすぐに、彼は珍しい病気の発作に襲われたらしい。
緊急で病院に運ばれながらも、意識を失ったまま数時間。生死の境をさまよい続けていたが、ちょうど私たちの水泳の時間終わりほどに意識を回復したのだとか。
具体的な裏付けなどはなく、憶測ではあるが。私たちが爆睡したこと、そしていないはずのあの子の感触があったこと。
私たちは自分たちの活力を、あのときかの子に注いでいたのではないだろうか……といまでも考えているんだよ。