第3章 ますますおかしくなってきたぞ
"「やべっ!」
「今の音……!」
リ・パイは咄嗟に全ての動きを止めた。
廊下には、リ・パイの心臓がドクンドクンと鳴る音だけが響いている。
「肉を剁く音が……止んだ!」
リ・パイは異変に気づいた。
肉を叩く音が突然止んだということは……
あの女執事、さっきの階段がきしむ音を聞きやがった!
バレた!
案の定、次の瞬間、重々しい足音がキッチンの方から聞こえてきた。
キッチンから階段の入口までは、ほんの数秒!
迷ってる暇はねえ!
リ・パイは歯を食いしばり、階段を駆け上がった。
リ・パイが階段の踊り場に差し掛かった、ちょうどその時。肉切り包丁を手にした女執事が廊下に姿を現した。
一瞬、四つの目が交差する。
女執事は険しい顔つきで、手にした肉切り包丁からは、絶えず血が滴り落ちている。
「待ちなさいッ!」
「その腕を置いていけェ!!」
女執事は包丁を振り上げ、リ・パイに向かって吼えながら突進してくる。
「止まって斬られろってか? バカかにすんな!」
リ・パイは内心で悪態をつき、二階へと駆け上がる。
背後から、女執事の罵声が聞こえてくる。
リ・パイはそれを無視し、一気に二階へと駆け上がった。
二階の廊下も、やはり真っ暗闇だった。突き当りに置かれた一つのオイルランプだけが、かろうじて弱々しい光を放っている。
ランプの炎はゆらゆらと揺らめき、今にも消えてしまいそうだ。
前には未知の恐怖、後ろには包丁を持った「おもてなし精神旺盛な」女執事。
もはや迷っている時間はない。リ・パイは腹を括って前へ進むしかなかった。
数歩進んだところで、リ・パイはふと足を止めた。
「……おかしいな。階段から音がしねえ……」
「あの女執事、追ってきてないのか?」
リ・パイは振り返って、そのことを確認した。
「んなわけないだろ……」
「まさか、何かのルールに縛られてて、二階には上がってこれないとか?」
ゲーム的な思考で考えると、その可能性は高いように思えた。
「だとしたら、心配することはねえか。」
「……まさか、二階は一階よりもっとヤバいとか、そういうオチじゃねえだろうな?」
リ・パイは乾いた笑いを漏らす。
その瞬間、ひゅう、と風が吹き抜けた!
廊下の突き当りにあったオイルランプが、フッと消えた!
リ・パイはその場に凍りつく。
「……マジかよ。」
リ・パイの胸に、嫌な予感がこみ上げる。
あのオイルランプには、ガラスのホヤが付いていたはずだ。
ガラス越しに火を吹き消すなんて、どんな風だよ?
ありえねえだろ!
続いて、廊下の窓がピカッと光った!
外で雷が鳴ったらしい!
廊下が照らし出された一瞬、リ・パイは見た。廊下の突き当りに、白い服を着て髪を乱した人影が立っているのを。
「幽霊かよ!?」
「俺が買ったの、マジで恋愛ゲームだよな?」
「なんか、どんどんおかしくなってきてるぞ!」
リ・パイの心臓が、ますます速く脈打つ。
このゲームの感覚再現度は、以前やったVRゲームとは比較にならないほど強烈だ。
冷たい風が肌を撫で、産毛が逆立つ感触さえリアルに伝わってくる。
もしこれが本当にホラーゲームだったら、マジでショック死するレベルだ!
「ゴロゴロゴロ!!!!」
閃光が消えて間もなく、轟くような雷鳴が響き渡った。
まるで巨大なハンマーで胸を殴られたかのように、リ・パイの胸が圧迫される。
続いて、再び稲妻が走る。
今度は、廊下には何もいなかった。さっきの白い人影は忽然と消えている。
リ・パイが訝しむ間もなく、さらに閃光が襲い、廊下が再び白く染まる!
今度は、白い人影は廊下のど真ん中に現れていた!
リ・パイとの距離はわずか10メートルほど!
揺れる長い髪の隙間から、その蒼白な顔がはっきりと見えた!
ぞくり、と冷たいものが背筋を駆け上り、脳天まで突き抜ける。
「ゲーム終了だ!」
リ・パイは迷わず離脱を選択した。
恋愛ゲーム? 温もりと喜び? クソ喰らえだ!
「『砕かれた美人』シナリオ探索度5%。50%未満のため、ゲームを終了できません。」
システムメッセージが、リ・パイに追い打ちをかける。
「マジかよ! そんな設定アリか!?」
「これ、恋愛ゲームじゃなくて脱出ゲームじゃねーか!」
リ・パイは思わず罵倒した。
だが、今はクレームを入れている場合ではない。
ゲーム終了ができないとわかった以上、リ・パイはこの状況を受け入れるしかなかった。
リ・パイはあたりを見回し、すぐ隣に部屋のドアがあることに気づいた。
みるみるうちに近づいてくる白いヤツから逃れるため、リ・パイは考える間もなくドアノブを捻り、部屋の中に転がり込んだ。
バタンッ!
力任せにドアを閉めると、リ・パイはドアに背を預け、全体重をかけて必死に押さえた。
極度の緊張から、額には汗が玉のように噴き出し、ハァ、ハァ、と激しく息を切らしている。
「……アイツ、壁抜けとか……しねえよな……?」
「もし壁抜けできんなら、いくらドア押さえたって意味ねえし。」
リ・パイはぶつぶつと呟く。
もし本当に抵抗できないなら、もう甘んじて受け入れるしかない。
もしかしたら、あの女の幽霊だって、ただ俺の体が目当てなだけで、危害は加えてこないかも……。
そう考えると、リ・パイの心は少しだけ落ち着きを取り戻した。
「……やっぱこのゲーム、絶対おかしい!」
「なんとかして、とっととクリアしねえと。」
リ・パイは心の中で決意を固める。
ネットでの評判はめちゃくちゃ良かったんだ。わざわざプレイヤーを陥れるようなクソ仕様ってわけでもないだろう。
まさか、単なる「恋愛」ゲームじゃ、もうプレイヤーは満足できないってことか?
恋愛ゲームにちょっとした冒険要素を加えるってのは理解できる。カードゲームがオープンワールドのアクションRPGになったりするご時世だしな!
だが、血まみれの執事だの白い服の幽霊だのってのは、さすがにやりすぎだろ!
探索度50%未満じゃゲームを終了できない……。
これじゃ本当に脱出ゲームと変わらねえ。
「あの腕を見つけた時、探索度が5%上がった。」
「ってことは、パーツ集めを続ければ、探索度は上がるはずだよな。」
リ・パイは手の中の真っ白な腕を見つめた。
こうなったら、できる限り『砕かれた美人』の体のパーツを集めるしかない。
リ・パイはドアに背を預けたまま数秒待ったが、あの白い服の幽霊は壁を抜けてくることも、ドアを叩くこともしなかった。
理由はともかく、少なくとも一時的には安全らしい。
「……まずはこの部屋の中を探してみるか。」
リ・パイは深呼吸し、部屋の中を見回し始めた。
部屋の中はひどく薄暗い。月明かりも雲に遮られているのか、ほとんど差し込んでこない。
時折光る稲妻だけが、一瞬、部屋全体を照らし出す。
何度かの雷鳴と閃光のおかげで、リ・パイはこの部屋の構造を把握した。
十数平米ほどの小さな部屋。
部屋の真ん中には、古風な木製の小さなベッドが一つ。
ベッドの足元には長椅子が置かれ、その上には埃が厚く積もっている。
ベッドの左手には、化粧鏡の付いたナイトテーブル。
右手には、深紅色の洋服ダンス。
洋服ダンスの隣、窓際には書き物机があり、その上には火の点いていないオイルランプが置かれている。
周りの壁には、カビの染みが広がり、ひび割れも多数見受けられる。
「こりゃ多分、客間だな。」
「とにかく、まずは明かりを確保しねえと。」
リ・パイは壁に手をつきながら、書き物机の前まで移動した。
オイルランプのガラスのホヤは埃まみれで、蜘蛛の巣までかかっている。
果たしてまだ火が点くのかどうか。
リ・パイは引き出しをそっと開け、中にマッチのような火を点けるための道具がないか探ろうとした。
あまりにも暗いため、リ・パイは手探りで引き出しの中を探るしかない。
しばらく探っていると、リ・パイの指が不意に棒状のものに触れた!
この手触り……なんか、覚えがあるような……。"