第10章 3階への逃亡
"リ・パイは、目的の部屋のドアの前に立っていた。
まだドアを開けてもいないのに、ドアの隙間から漏れ出してくる冷気に肌が粟立つ。
コンパスもブルブルと震え始めた。
「マジかよ……」
「この部屋、ヤバいのか?」
ドアノブに伸ばしかけた手が、宙で止まる。
コンパスが震えるってことは、この部屋には間違いなく“良くないもの”がいる。
それが何なのか……。
リ・パイには見当もつかない。
「……入るべきか、やめるべきか……」
リ・パイはちょっと迷う。
この階にはもう砕かれた美人の体のパーツはないはずだが、他に探索度が上がるアイテムがあるかもしれない!
それに、3階の状況は未知数だ。もしかしたら、3階の方がもっと危険かもしれないし。
「あの女幽霊は、俺をパシリにして砕かれた美人の体を集めさせたいんだよな」
「もしこの部屋が俺じゃ手に負えないレベルなら、さすがに何も言わないってことはない……はずだろ?」
「ってことは……」
「……よし、入ってみるか」
リ・パイは考え方を変えてみた。
本当にヤバいのは、たぶん屋根裏部屋だ。
そう考えれば、ここもそこまで怖くない……ような気がしてきた。
リ・パイは深呼吸し、ドアノブに手をかける。
――冷たっ!
真鍮製のドアノブが、骨身に染みるほど冷たい!
あまりの冷たさに手のひらが痛み、リ・パイは思わず手を引っ込めた。
「冷たすぎんだろ、これ!」
「この部屋、冷凍庫かよ!」
リ・パイは思わず声を上げる。
マジで凍傷になりそうな冷たさだ。
だが、こんなことでリ・パイが諦めるわけがない。
リ・パイはオイルランプを傾け、炎をドアノブに近づけて、しばらく炙ってみる。
そろそろいいだろうと、リ・パイは素早くドアノブに触れてみた。
……まだ冷たいが、少なくとも握れないほどではなくなった。
リ・パイはドアノブを掴み、ぐっと回す。
カチャリ。
ドアが開いた。
途端に、冷たい風がドアの隙間からヒューッと吹き付けてくる。
オイルランプの炎が大きく揺らめき、危うく消えそうになった。
リ・パイは不快感に顔をしかめる。
真正面から吹き付けてくるこの冷たい風には、嫌な臭いが混じっていた。
湿っぽく、冷たく、腐ったような……。
まるで、誰も管理していない公衆トイレの中で、大量のドブネズミが腐乱したような臭いだ。
コンパスの震えがさらに激しくなる。
「そういや、さっきの女幽霊、こっちの方向に消えていったよな」
「もしかして、ここがあの女幽霊の寝室とか?」
リ・パイは推測する。
もし女幽霊が普段いる場所なら、相対的に危険は少ないかもしれない。
なんたって、あいつは俺にパシリをさせる必要があるんだから、手を出してくることはないだろう。
……まあ、ビビらせてくる可能性はあるが、実質的なダメージはないはずだ。
怖いのは、ここに何か他の未知の存在がいる場合だ。
「……とりあえず、様子だけ見てみるか?」
今は、ドアがわずかに開いているだけで、中はよく見えない。
リ・パイは、まず中の状況を確認してからにしようと決めた。
リ・パイがドアをさらに開けようとした、その時。ドアの隙間から、突然カサカサという物音が聞こえた!
カサッ……
カサッ……
まるで、指で木の板を引っ掻いているような音。
直後、数本の指がドアの隙間からぬっと現れた!
その指は、まるで枯れ枝のようだ。奇妙な形に歪み、青黒く変色している。爪は……ウルヴァリンも真っ青なほど長く伸びている。
カサッ……
指がドアにかかり、押し開けようとしている!
「うおっ!」
リ・パイは、考えるより先に、ドア板を思い切り蹴り飛ばした。
ドンッ!!
大きな音を立てて、ドア板がその数本の指を激しく挟み込む。
バキッ、と微かな骨の砕けるような音。
直後、ギャアァァ!という悲鳴が聞こえた。
傷ついた指が、素早く引っ込んでいく。
リ・パイはさらにもう一発蹴りを入れ、ドアを完全に閉めた。
次の瞬間、リ・パイは振り返り、脱兎のごとく走り出した。
中に何がいたかは知らんが、こっちは相手の指をへし折っちまったんだ。奴が逆上して追いかけてくるのは間違いない。さっさと逃げるに限る!
リ・パイは一気に階段まで駆け抜ける。
背後からは、未知の怪物の唸り声。
階下には、あの“親切な”女執事。
そして、上には……。
未知の恐怖。
……最悪の三叉路じゃねぇか。
背後で、ドアが突き破られる音が響く。
唸り声が部屋の中から外へ。
直後、奇妙な足音が続く。
……追ってきた!
迷っている暇はない。リ・パイはそのまま3階へと駆け上がった。
古い階段が、リ・パイの重い足取りを受け止め、ギシギシと悲鳴を上げる。
数段飛びで駆け上がり、リ・パイは3階に到着した。
階段の最上段に立ち、リ・パイは片手にオイルランプを掲げ、もう片方の腕――デモンハンターの腕ボウガンを構え、階下を睨む。
もし奴が追ってきたら、ためらわずに銀の矢をぶち込んでやる。
同時に、3階の廊下から何か飛び出してこないか、警戒も怠らない。
奇妙な足音が、リ・パイの真下で止まった。
奴は2階の階段の入り口にいる。
だが、追ってはこない。
どうやら、奴にも何らかのルールによる制限があるらしい。
数回唸り声を上げた後、足音は遠ざかっていった。
諦めて去っていったようだ。
リ・パイは、ふぅ、と息をつく。
腕ボウガンは使い切りだ。一発でも節約できるならそれに越したことはない。
「あのクソ女幽霊め、2階にんなヤバいモンがいるなら教えろっつーの!」
「マジでパシリを人間扱いしてねぇな!」
リ・パイは思わず毒づいた。
あの女幽霊が悪意を持っているのは分かっていたが、少なくとも危険があるなら警告くらいしろよな。
俺がやられちまったら、誰がお前の体のパーツを集めるんだよ。
ぶつぶつ文句を言いながら、リ・パイは上へと続く階段に目を向ける。
その先は……屋根裏部屋だ。
デモンハンターの日記、ベッドの床板、本棚の裏、そしてあの女幽霊……誰もが屋根裏部屋について言及していた。
「屋根裏部屋には、いったい何があるんだ……?」
リ・パイの好奇心がほんの少しだけ頭をもたげたが、すぐに自分でそれを叩き潰す。
「俺、リ・パイは、絶対に屋根裏部屋には行かない!」
リ・パイは静かにフラグを立てた。
「……それより、さっさと探索度を上げねぇと」
リ・パイはオイルランプを手に、ゆっくりと前へ進む。
3階の内装は、2階よりも少しだけ手が込んでいる。
床には金縁の赤い絨毯が敷かれているが、見るからに長い間手入れされていないようだ。
廊下の両脇には低いテーブルがいくつか置かれ、花瓶が飾られている。中の花はとっくに枯れ果て、乾いた茎が力なく項垂れていた。
「3階は……たぶん、主人のエリアだな」
「もしかしたら、探索度、結構稼げるかもしれん」
リ・パイは呟きながら、廊下を進む。
数歩進んだところで、リ・パイは突然、誰かに見られているような感覚に襲われた!
ゾワッとする、嫌な感じだ。
リ・パイは速度を落とし、注意深く周囲を見回す。
突然!
リ・パイの視界の端に、一対の目が映った!
ドキッとして、リ・パイは即座に一歩後退り、腕ボウガンを構えた右腕を上げる。
揺れる炎の光の中に、リ・パイはようやく目の前の物体を捉えた。
それは、壁に掛けられた半身肖像画だった。
宮廷風のドレスを着た金髪の中年女性が、椅子に腰掛け、真正面をじっと見つめている。
目元や顔立ちが、砕かれた美人エローラと少し似ている気がする。
「絵かよ……」
「これは……エローラの親戚か?」
リ・パイは胸をとんとんと叩き、ドキドキしている小心臓をなだめる。
西洋の貴族とかって、家に肖像画を飾る習慣があるんだっけか。
見た感じ、この絵の人物はこの家系の中でも地位や名声が高かったんだろう。
リ・パイは再び前へ進む。
廊下の壁には、一定の間隔で肖像画が掛けられている。
これらの肖像画は、例外なくすべて女性のものだった。
「この家系の男は、そんなに影が薄いのか?」
リ・パイは少し疑問に思った。"




