【第6話】開幕、地獄の勇者劇場
焦土が広がっていた。
神が放った「ソドムの火」は、裁きと浄化の象徴であり、神聖にして不可逆の終末だった。
かつて魔王軍が陣を敷いたその場所は、今や音も色も奪われた灰の海。
焼け焦げた肉の臭いすら風に散り、地の呻きだけがかすかに残響している。
だがその沈黙を、誰かが踏み荒らした。
黒ずんだ鉄塊。
砦の兵たちが血を吐いてようやく討ち果たした魔物の剣を、玖須田が軽々と肩に担いでいた。
焦土のただなか、紅蓮の中心へと、まるで祝福を受けるかのように彼は降り立つ。
その口角は、ゆっくりと上がっていた。
まるで──
この炎を喜び、己の殺戮の序章として賞賛しているかのように。
「やるじゃねぇか、ジジィ……最高の舞台だ。」
神は、その言葉を確かに聞いた。
かつて地を歩く者が、神の炎を「最高」と評したことなど、かつて一度でもあったか?
それは畏れではなく、讃美ですらなく──
まるで、ただの玩具を褒める子供のような無邪気さだった。
神は、目を閉じた。
彼は、選ばれし者のはずだった。
だが今、炎の果てに立つその姿は──
血の香りに酔う、ただの狂人にしか見えなかった。
その異常性に、神は小さく嘆息を漏らす。
否、違う。
嘆息ではない──これは……祈りだ。
「どうか、これが誤りであったと証明されんことを……」
そして、また目を開いた。
焦土に立つその男は、笑っていた。
この先に何千の命が待ち受けていようと──
彼にとっては、それも「次のオモチャ」でしかないことを、神は知っていた。
だからこそ神は、静かに見守るしかなかった。
選んだ己の、罪の重さを噛みしめながら。
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──視界が、焼き潰されていた。
「……何が……起きた……」
砦の上層。
指揮官であるセルト=グランは、今なお立ち昇る熱の残響に、喉の奥が焼けるような錯覚を覚えていた。
空が──燃えた。
神の名のもとに放たれた、あの業火。
それは祈りでも、戦術でもなかった。もはや一撃の中に収まる「術」ではなかった。
それは天罰。啓示。終末。
地上のあらゆる理を無視して、ただ「そこにいた者すべて」を消し去る絶対の審判だった。
魔王軍、中央陣。
無数の魔物と、圧倒的戦力を誇った魔王軍の一部は──跡形もなく消えた。
「……これが、神の……」
正直、勇者様に殴られていた様子を見て、冗談だと思っていたが──
呆然と呟いたセルトの視線が、ふと焦土の“中心”をとらえた。
──動く影が、あった。
「誰だ……?」
煙が晴れる。
勇者殿が巨大な大剣を肩に担ぎ、灰を蹴って歩み出てきた。
灰に染まった黒髪。砂に覆われた靴。
そして、その顔。
笑っていた。
狂気でも、錯乱でもない。
あれは──心の底から楽しんでいる者の顔だ。
一歩。二歩。三歩。
死に残った魔物たちが、勇者の存在に気づき、咆哮を上げて突進する。
それは、自棄じみた突撃でも、残存兵力の反攻でもなかった。
ただそこに「人の姿」が見えたから、襲っただけ。
──その瞬間。
勇者殿が大剣を握り直した。
「斬った」ではない。
「潰した」でもない。
“消した”。
視界の中央で、あらゆるものが──瞬時に、霧のように砕けた。
骨も肉も、鉄も牙も、咆哮さえも。
まるでそこだけ重力が逆流したかのように、すべてが一点に吸い込まれて、霧散する。
「ば、化け物……」
思わず声に出た。
この世界で最も恐ろしい言葉を、セルトは吐いた。
──いや、違う。
この世界で最も恐ろしい「味方」だった。
彼は笑っている。
神の裁きの焦土で、なお笑っている。
「あー、足りねぇな……もっといるだろ、魔王軍」
味方が敵に見えた。
セルトは、そう言い切れた。
この男──玖須田。
確かに、我らの側に遣わされた“勇者”の名を持つ者。
だが、戦場を歩くその姿は……神よりも、魔よりも恐ろしい。
セルトは震えながら、部下に命じた。
「……戦況報告、王都へ。至急だ。……加えて……」
言葉が詰まる。
「勇者は……戦場にて、健在だと……記せ」
そう言いながら、自分が心のどこかで、
“この者が、真に我々の『味方』でありますように”と願っていることを、セルトは痛いほどに自覚していた。
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デカい声で吠えながら、黒い毛を逆立てて、
仲間に威勢を見せつけてるつもりか知らねぇが、
……目障りだった。
「うるせぇ駄犬だな」
握った大剣を横に薙ぐ。
風を切る音なんて、聞こえねぇ。
骨を砕く音と、肉が弾ける音だけが耳に残った。
斜めに裂けた魔物が、ワケのわからねぇ声を出した。
それが絶叫なのか、絶望なのか、もう判断もつかねぇ。
──それでいい。
身体が千切れ、内臓がぶち撒かれ、血が蒸発しながら霧になる。
その中で、俺は一歩前へ踏み出す。
「──ったく、雑魚のくせに声だけはデカいよなァ」
周囲がざわついた。
魔物たちが、俺の動きに気づいたらしい。
吠え声、逃げ声、武器を構える音、
混ざって、濁って、空気が悲鳴で満ちていく。
「そうそう……その声だよ。その悲鳴たまんねぇんだよなァ」
二体目に向かって跳んだ。
奴が振り上げた斧ごと、腕を落とす。
顔が引きつる。いい顔だ。
「なァ? “勇者”が来たぞォ、良かったなァ?」
剣を突き刺し、ぐるりと回す。
中身が逆流して、口からぶちまけられた。
三体目が後ろから飛びかかってきたが、
振り向かず、剣の腹で顔を潰した。
ボガッ、という音とともに、頭が霧になった。
「ははっ、雑魚すぎだろお前らァ! その数でイケるとでも思ったかよ?」
足元に死体、死体、死体。
その間を踏み抜きながら、剣を振る。
切る。叩き潰す。抉る。裂く。
一撃の名のもと切り捨てる。
迷いも、慈悲も、飾りもねぇ。
「ヒィィィ!!」
「ヤメロォォォ!!」
「オマエ……ナニモノ……」
「──俺か?」
笑いながら、剣を肩に乗せる。
「ただの通りすがりの“勇者様”だよ、バカ共」
地面を蹴って、前に出る。
火傷だらけの魔物が、這いながら逃げようとしてた。
その背中に剣を突き立てる。
「逃げんなよ。俺、そういうの嫌いじゃないんだわ」
最後の一突き。
断末魔が、喉の奥から引きちぎれるように漏れた。
──これだ。
この音、この匂い、この目の光。
「たまんねぇ……クソ、マジでたまんねぇなァ……」