破滅はいつも笑ってやってくる
お父様──王は、謁見の間にて勇者召喚の儀を執り行っていた。
本来ならば私も立ち会いたかった。だが、もし万が一の事があればと、お父様と近衛騎士団長にやんわりと制止された。無理を押せば見学も叶ったかもしれないけれど、国が存亡の危機にある中、我が儘を通すことなどできなかった。
私にできることを、私はしたかった。
戦地で命を懸けている兵たちのために、導きの神リュミエル様に祈り、自身の歳費の一部を孤児院や寡婦への支援へと回した。わずかでも、痛みの届く場所を減らしたかった。
他国への支援要請も行った。
身を差し出す覚悟もあった。だが、どの国も魔王軍の進行を受け、自国の守りに精一杯。隣国の火を消すどころか、自らの火種を抱えているような有様だった。
それでも私は、目の前の孤児や寡婦の次の冬をどう越すか、そんな細やかな支援のことを考えていた。
そのときだった。家臣が、やや顔色を変えて参上したのは。
「どうかいたしましたか?」と問いかけると、彼は口ごもり、どこか要領を得ない。
しばらくの沈黙の後──ようやく絞り出すように告げられたのは、
「召喚は……おそらく成功しました。ですが……その、勇者らしき人物が、殿下にお会いしたいと……」
おそらく? らしき?
歯切れの悪い報告に不安は募ったが、謁見の間へ行けばすべてが明らかになるだろう。そう思い、足を運んだ。
そして、重々しく扉が開かれたその先に──
「クソ野郎」が、立っていたのである。
お父様は──王は、両手両膝を石の床に着け、まるで命乞いでもするかのように深々と頭を下げていた。
懇願している、というより……懇願“させられている”と言った方が、正しいのかもしれない。
なのに、目の前の男は。
私を見るなり、最初は少し意外そうな顔をした。
お父様が私に謝罪の言葉を口にした瞬間には、にやりと口角を歪めた。
そして、私が真正面から「クソ野郎」と吐き捨てたとき──あろうことか、愉快そうに笑っていた。
──虫酸が走る。心底反吐が出る。
一体この男は何者なのか。頭を下げさせられる国王、そして娘として、次代の王族として、確かめねばならなかった。
「で、あなたの名前は?」
できる限り冷たく、言葉を突き刺すように尋ねた。
するとその男は、ますます気分が良さそうな顔をして答えた。
「クスダだ。なに、玖須田さんとでも呼んでくれりゃいい」
……変な名前。
もしも──万に一つ、この男が砦を守り抜いたなら、王家に入ることだってあるのかもしれない。
そのとき、私の名にこの“変な名前”がつくのだと考えたら……なんだか、少しだけ、気が重くなった。
だけど、この逼迫した状況を覆してくれるなら──
それが、勇者との最初の出会いだった。
──ほんの、最悪の幕開け。
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「おい、いつ着くんだよ、砦によォ」
「ひぃ…も、申し訳ありません、あと一日ですのでもう少しの我慢を…どうか、ご容赦を…!」
「すまぬのぅ……」
わしは馬車の御者窓から、怯える兵士に頭を下げた。
この男──クスダとか申したか──の傍若無人さには、神であるわしですら辟易しておる。
初対面の時からそうじゃ。わしを張り倒し、挙げ句には天界から蹴り落とす暴挙。
それでも天界の掟というやつは厄介で、わしはこうして“付き添い”という名目で地上に縛られておる。
王都を発って、はや六日。最初の二日間こそ、奴は野営生活をそれなりに楽しんでいたようだった。
だが、三日目を過ぎたあたりから、態度が急激に悪化した。
今もわしの頭を叩いてきて
「なに謝ってんだよ、俺がワリィみてぇじゃねえか」
そう吐き捨てるように言って、腕を組みなおし、足で馬車の床をトントン小刻みに叩く。
その様子に、内心で大きくため息をつく。
まったく……
どうして、神たるこのわしが、こんな乱暴者の世話までせねばならんのじゃ……。
ようやく砦が見えた頃には、御者とわしは──そうじゃな、心通わせた“友”と呼んでも差し支えないほどになっておった。
苦楽を共にした、とまでは言わんが、あの震える背中を何度も見てきたわしとしては、情の一つも湧かぬではない。
だがその横で、件の男──玖須田は、砦が近づくにつれて、徐々に口元を吊り上げていった。
今ではもうニタニタと、不気味なほど上機嫌な笑みを浮かべながら、案内に来た兵士の後をついていっておる。
砦の外からは、戦場の音が絶え間なく響いていた。怒声、悲鳴、金属と金属がぶつかる音、肉を裂く生々しい音。
誰もがそれに顔をしかめる中、奴だけがまるで遊園地にでも来たかのような顔をしていた。
そして、血相を変えて駆け寄ってきた指揮官が懇願する──「すぐにでも戦場へ!」と。
すると奴は、満面の笑みで即答した。
「当たり前だろ、すぐにでも出てやる!」
その言葉の直後じゃ。わしに向き直ったかと思えば、あっけらかんと言い放った。
「おいジジィ、お前──開幕一発、ドデカい魔法ぶちかませ」
あまりの唐突さに、わしは口を開けたまま固まってしまった。
な、何を言っておるのだ、この男は。
「なに呆けてんだ、お前神なんだからそれくらい余裕だろ」
「む、無理じゃ……神界の掟で、現世への直接干渉は禁じられておる……!」
そう説明し終えた瞬間だった。
不意に視界が横に飛ぶ。──殴られたのだ。
「それくらい知ってんだよ」
吹き飛んだわしの体は地面に転がる。
そしてそのまま胸倉を掴まれ、奴の顔が眼前に迫る。
怒りも、憎しみも、狂気すらも宿したその双眸に──わしは心の底から震え上がった。
「できる、できねぇじゃねぇ。やれ」
「──やれ」
二度目の命令に、魂を握りつぶされるような威圧を感じた。
──抗えぬ。神であるわしですら、もはや抗えぬ。
「わ、わかった……分かったから、それ以上は……勘弁してくれ……」
掴まれていた手が離れ、地面に尻もちをつく。
わしは、ただ呆然と空を見上げた。
……きっと、もう神界へは戻れぬであろう。
それでも。
それでも、せめて──
この男の巻き添えになる人間だけでも、守ることができれば──
わしは、そう願うことしかできなかった。
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まだかよ、ジジィ。
「ソドムの火」とか言ってたが、旧約聖書に出てきたあれか?あの火の玉が落ちりゃ戦況がガラリと変わる。
だったら早く落とせ。お前のタイミングを待ってる奴がここにいるんだよ。
オレは砦の上で、片肩に鉄塊みてぇな剣を担いで待っていた。
黒ずんだその刃は、かつてこの砦を蹂躙し、兵たちの命を踏みにじってきた魔物が振るっていたもの。
5メートル級のデカブツ。肩に金属の鎧、目には知性の光。砦を血で染めた張本人だ。
ここの兵たちは命懸けでそいつを倒した。オレが来る前に、な。
そいつは肩に金属の鎧なんぞ着込みやがって、知恵まで回るらしい。
そのへんの兵士を何十人とミンチにして、砦の壁までぶち抜いたとか。
で、なんだ。
その化け物を倒すために、ここにいた兵たちは命張って、血反吐吐いて、ようやく勝ったってワケか。
……アホくせぇな。
雑魚一匹相手に、必死こいて、死にまくって、ようやくってか?
そいつの持ってた剣、オレが片手で担げるくらいだってのに。
わざわざこんなギリギリになるまで放っといた王も大概だが──
それでも歯を食いしばってここを守ったあいつらには──まぁ、ちょっとは感心してやらなくもない。
風が鳴ってる。魔力が空間を震わせてる。
ジジィが両手を掲げて、空を見上げていた。
「ソドムの火」──魔王軍の中央、密集したど真ん中に落とすつもりらしい。
「……ほら来た」
空が割れる。
雲の間から、焦げたような光が滲み出して、やがて一点に集まった。
デカい火球が空中でうねってる。雷光を帯び、重く、地を焦がす怒りを宿していた。
それを見た瞬間、オレの心が跳ねた。
「いいねぇ、ジジィ……最高だよ、お前……」
大剣の柄をギュッと握る。
もう抑えられねぇ。抑えるつもりもねぇ。
あの火の玉のあと、焼け野原になったあそこへ、オレが落ちる番だ。
開幕の火。地獄の幕開け。
その合図はもう、上がったんだ。
――いくぞ、血の歓楽街へ